いろいろ徒然

◎「俳句いろはかるた」の俳句たち。【な】~【ほ】編。

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わたしの俳句経験は、この俳句いろはかるたが8割。残りは学校で勉強したもの。……のはずですが、教科書に載っていた俳句で記憶に残っているものは全くない。あ、「おくのほそ道」はちょっと覚えてる。

草の戸も住替る代ぞひなの家(くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ)

冒頭の句です。いまひとつぱっと見でわかる句ではないんですよねえ……。俳句はこういうの多いから困る。読む人が読めばすぐ意味がわかるのかもしれませんが。

意味は、だいたいのところ「自分がわび住まいをしていたこの質素な家も、住む人が変わるとお雛様を飾ったりするようになる。変わるものだなあ」的なものだと思います。知らんけど。個人的な意見では、俳句は意味がわかりにくくてとっつきにくいところがある。

しかし「俳句いろはかるた」で四十八句を覚えたのは良かったと思う。

【さ~と】編はこちら。

◎「俳句いろはかるた」の俳句たち。【さ】~【と】編。

 

な行、なにぬねの。

【な】

菜の花や月は東に日は西に     与謝蕪村

(なのはなや つきはひがしに ひはにしに     よさぶそん)

《我流訳》夕暮れ、東の空には月が昇り、西には日が沈もうとしている。その二つに照らされた菜の花の美しさ。

《感想》イメージはとてもきれいなのですが……しかしわたしは月と日が一緒に出ている光景を見たことがない気がする。あるもんですか、こういう光景?日の入りと月の出の時間を調べてその時間が合っていたら論理的には可能という言い方をされますけれども、落日の光の中で月が見えるのだろうか。まあ真逆だから光を反射しそうではありますが。

わたしとしては日は西に沈んで、(それから)月が昇って来た、という薄暮の光景を想像したいと思います。

絵は黄色の背景の中にあるさらに黄色い菜の花。繊細な線で描かれていました。

 

【に】

日本がここに集まる初詣     山口誓子

(にっぽんが ここにあつまる はつもうで     やまぐちせいし)

《我流訳》初詣に来た。色とりどりの着物。人々の顏も華やいでいる。無心に神に祈るその姿。清浄な空気。ああ、ここには日本の精髄がある。

《感想》にほんではなく「にっぽん」と読まないと成立しない一句。この音で読み手の正月を迎えた心晴れを表すようですね。

絵は晴れた空を背景にした赤くない鳥居。赤い鳥居でも良かったのにね。

 

【ぬ】

濡縁に母念ふ日ぞ今年竹     石田波郷

(ぬれえんに ははおもうひぞ ことしだけ     いしだはきょう)

《我流訳》濡縁から庭を見る。今年生えた竹があるのに気づく。去年死んだ母はこの竹を見ることはなかった。亡くなってから竹が立派に育つほどの時間が経ったのか。

《感想》「亡くなった母」と見ない解釈もあると思うのですが、「念う」「今年竹」というワードチョイスから亡母が連想されます。濡れ縁は今でいうウッドデッキですね。今では見ることが少なくなりました。

絵は、濡縁と色薄い今年竹。……だが濡縁の遠近感がおかしかったような記憶がある。

 

【ね】

葱坊主雨降ればまた寒くなる     大野林火

(ねぎぼうず あめふれば またさむくなる     おおのりんか)

《我流訳》収穫されずに畑に残されたたった一つの葱。花が咲いて、丸い頭が淋しそうだ。雨に降られてより一層。

《感想》(食べものとして)葱自体が好きではない。ので、葱の句もそんなに親近感は感じない。でも葱を擬人化したこの句はちょっと面白い。「寒くなる」と言っているところは「淋しくなる」という意味合いだと思っています。個人的な考えでは。

絵は葱坊主の絵。地味。

 

【の】

野霞のこぼす小雨や蓬摘     芝不器男

(のがすみの こぼすこさめや よもぎつみ     しばふきお)

《我流訳》いろいろ考えたが、不明。

《感想》情景としては小雨のなかで蓬を摘んでいますということで疑問もないですが、その先がハテ?と思う。「……で?」といいたくなる。

霞はいいけれども野霞とは?と若干ひっかかるし、霞からこぼれる小雨とは?と若干疑問にも思う。多少の小雨が降っても蓬摘みというものは止められないものよね、という蓬摘みの中毒性を詠んだ俳句だろうか。

芝不器男は若くして亡くなった俳人だそうです。句は、わたしにはちょっと理解が難しいものが多い。

絵は地に這う蓬。蓬餅、食べたいなあ。

 

は行、はひふへほ。

【は】

春の海終日のたりのたりかな     与謝蕪村

(はるのうみ ひねもす のたりのたりかな     よさぶそん)

《我流訳》穏やかな春の海。波は寄せては返し、寄せては返し、という動きを続けている。一日中。ずっと。

《感想》俳句としてはよく人の口にのぼる一句ですね。多分「のたりのたり」の語感が面白いんだと思う。「ひねもす」と「のたりのたり」という言葉がくっついてまるで呪文のようですが、のったりとしている表現ということがわかると難解な句えはありません。わたし自身はあまり春の海ののどかさを実感したことはないのですが、この句のために春の海、といえばこのイメージ。

絵は水平線を背景にした何か黄色い花。わたしの記憶ではタンポポなのですが、タンポポが砂浜に咲くのはあまり見ない気がする。

 

【ひ】

雛の灯を今宵の客に灯しけり     高浜年尾

(ひなのひを こよいのきゃくに ともしけり     たかはまとしお)
《我流訳》どこか心弾む雛祭り。今夜訪れた客に灯をともして見せたことよ。

《感想》この「客」は普通に考えれば雛祭りに招いた客だと思うのですが、わたしは昔から「たまたま訪れた客に」と考えていました。それは子どもの頃、よく見た光景だったから。

祖母はわたしが生まれた時に買った雛人形を気に入っており「とてもいい顔をしている」とよく言っていました。たまたま雛飾りの時期に人が来ると、うれしそうに見せていた記憶があります。そういう時にぼんぼりに灯りを入れる。コンセントを挿すだけですが。まさにその時を読んだ句のように思えるのです。

絵は桃の花とぼんぼり。桃の花には桜にも梅にもない、あでやかさがありますね。

 

【ふ】

降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男

(ふるゆきや めいじは とおくなりにけり     なかむらくさたお)

《我流訳》降りしきる雪を見つめていると、来し方がしみじみと思われる。自分が生まれた明治の時代は本当に遠くなっている。

《感想》年寄りくさい俳句だ、と子どもの頃は思っていました。実際は草田男30歳の作。この人は明治34年に生まれ、昭和58年に亡くなっているんですよね。つまり明治は12歳?までしか生きていない。それでも30歳の頃、しみじみと「明治は遠くなりにけり」と感慨を催すものなんですね。

現在は「昭和は遠くなりにけり」。

絵は、一歩進んでガス灯に降りしきる雪。地味な絵ながら詩情があって好きでした。

 

【へ】

へなへなにこしのぬけたる団扇かな     久保田万太郎

(へなへなに こしのぬけたる うちわかな     くぼたまんたろう)

《我流訳》ずっと使っていた団扇をふと見ると、すっかりこしがぬけてへなへなになっている。いつの間にか季節が移り、夏も終わりなのだ。夏中働いてくれた団扇には愛着を感じる。

《感想》これは絵が渋すぎたのでキライな札でした。しかもへなへな。子どもにはへなへなの良さはわからない。もっといえば「こしのぬけたる」ですからね。へなへなでこしのぬけたる団扇に何の価値があるのかわからなかった。

今ではちょっと愛着を感じる。

絵は、それなりに古い畳の上に置かれた団扇。団扇に何かきれいな絵でも描かれているかというと、描かれていない。別の話ですが、団扇も実用品ながら美術品になりうる「用の美」ですよね。

 

【ほ】

ほろほろと山吹散るか滝の音     松尾芭蕉

(ほろほろと やまぶきちるか たきのおと     まつおばしょう)

《我流訳》山吹が散る。激しい滝の音に押されるように。黄色い花びらが山の斜面をほろほろと飛んでいく。

《感想》これねえ……。わたしは「山吹散るや」と覚えていたんですよね。一字間違えて覚えるということは山のようにあるので、絶対を主張するのも気が引けるのですが、「散るか」というのを読んで全くピンとこなかったんだから、俳句いろはかるたでは誤植として「散るや」と書かれていた可能性もゼロではないと思う。まあわかりませんが。

で、「や」と「か」でどう違いが出るかというと、……すみません、わかりません。

絵は水の流れを背景にして花びらを落とす山吹の枝。黄色が鮮やか。

 

ラインナップ、【な】~【ほ】まで。

今回の新知識は、最後に出た「山吹散るか」です。記憶の上書きが出来るか、はなはだ心元ないのですが、今後は「山吹散るか」であることを忘れないように心がけましょう。のちに改作したなどもなさそうですしね。未練がましいが。

今回の十句のうちの一番好きな句は、

菜の花や月は東に日は西に     与謝蕪村

でした。

 

 

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