いろいろ徒然

◎「俳句いろはかるた」の俳句たち。【ま】~【よ】編。

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水原秋櫻子監修「俳句いろはかるた」のラインナップを並べています。あいうえお、から始めました。

俳句には意味がわからないもの、意味はわかっても良さがわからないもの、そのまんまだけどなぜか心に残るもの、さまざまある。今回一句一句見てみて、ようやく意味がわかったものもありました。残り十八句です。

【な~ほ】編はこちら。

◎「俳句いろはかるた」の俳句たち。【な】~【ほ】編。

 

ま行、まみむめも。

【ま】

曼殊沙華抱くほどとれど母恋し     中村汀女

(まんじゅしゃげ だくほどとれど ははこいし     なかむらていじょ)

《我流訳》田のあぜ道に曼殊沙華がびっしりと咲いている。この花を見ると母を思い出す。たとえ腕一杯に摘んだとしても癒せない母恋いの思い。

《感想》曼殊沙華は別名彼岸花。どこか不吉な影を背負う曰くのある花です。

葉がまったく出ずに花を咲かす、墓のそばに咲く、毒があり手につくと腐る、食べると死ぬ、などなどの理由から嫌われることも多い。美しいんですけどね。わたしは好きな花です。

曼殊沙華というのは仏教由来の名前。それもあって、この句は亡母のことを思って詠まれたように感じます。実際に腕一杯摘んだわけではない気がする。わかりにくいところのない、心情もよくわかり、絵画的にも美しいという佳句。

曼殊沙華は別名がたくさんあり、一説には1000個以上という話も。また一名をきつね花。

あかあかとほほけてならぶきつね花死んでしまえばそれっきりだよ(山崎方代)

ぽやっとした顔で時々ぎょっとする歌を詠む山崎方代の歌です。

絵は、六、七輪、群れて咲く曼殊沙華。

 

【み】

水打って氷る戸口やけさの春     村上鬼城

(みずうって こおるとぐちや けさのはる     むらかみきじょう)

《我流訳》不明。

《感想》けさの春=元日、または立春の日だそうです。立春は2月4日前後なので、現行の暦では立春と元日であ1ヶ月くらいずれがあるのですが。……水を打つのは何のため?夏の水打ちは路面温度を下げるとか、乾燥している日は砂埃を抑えるとか、理由はわかりますが。冬の水打ちはあまりピンと来ない。清めのために行なうのでしょうか。

もし清めのため(他の理由にしても)行なうのであれば、「けさの春」を立春と取り、「春になってもそれは名ばかりで、水も凍るほどの寒さであることよ」という意味でしょうか。まあこれなら意味は取れます。清めの水なら元旦の方がふさわしいかなあ。そうすると意味が微妙になるが……

絵は、門の格子と手桶と柄杓。

 

【む】

麦刈て近江の海の碧さかな     石井露月

(むぎかりて おうみのうみの あおさかな     いしいろげつ)

《我流訳》六月。麦刈りにいそしんでいる。強い日差しのなか、汗が流れる。体を曲げて刈り取る作業はとても辛い。一息つこうと腰を伸ばしふと琵琶湖が目に入る。その青さが染みる。

《感想》最初、意味がわからなかった。麦を刈って琵琶湖ってなんやねん、と。しかし季語というものはありがたいものですね。「麦を刈る」という言葉の背後に、重労働、暑さ、夏の気配というものがあることを教えてくれる。麦は身近になかったので、それに伴う情緒は教えてもらって初めてわかる。

絵はクローズアップされた麦の穂とその背後に描かれた水平線。

 

【め】

目には青葉山ほととぎす初鰹     山口素堂

(めにはあおば やまほととぎす はつがつお     やまぐちそどう)

《我流訳》夏が近づく。目に喜ばしいのは青葉、耳の喜びはほととぎす。そして舌には初鰹。

《感想》この句は「季重なり」といって、季語が「青葉」「(山)ほととぎす」「初鰹」の三つ入っています。俳句は一句につき季語は一つだけと決まっているので、本来これは×。が、あまりにも出来が良かったので例外的に認められている数少ないうちの一つ。俳句というより「夏が来たよ!青葉、ほととぎす、初鰹だよね!」というキャッチコピーのようですね。

なお、ついうっかり「目に青葉」と覚えてしまいそうになりますが「目には青葉」なので注意。

絵は、鰹。脂がのった戻りガツオの方が好きだなあ。

 

【も】

百舌鳥なくや入日さし込む女松原     野沢凡兆

(もずなくや いりひさしこむ めまつばら     のざわぼんちょう)

《我流訳》夕日に照らされた松の原。赤松の赤い木の肌が鮮やかだ。百舌鳥がどこかで鳴いている。

《感想》これも今回注目して初めて「なるほど!」と思った一句。女松原がみそでした。わたしは女松原ってどこかの観光名所かと思っていた。女松(=赤松)が多く生えている松原なんですね!

この赤い幹が夕日の光でさらに赤く照り輝く、というのが肝の一句。百舌鳥の鳴き声は今一つよくわからない……。一応鳴き声を確認してみましたが、ほととぎすと比べて、感銘を受けるという鳴き声とも思えない。

絵は何かよくわからない松何本かでした。これは句の意味を画家も知らなかったのではないだろうか。赤松っていう感じでもなかったんですよね。

 

や行、やゆよ。

【や】

矢車に朝風強き幟かな   内藤鳴雪

(やぐるまに あさかぜつよき のぼりかな     ないとうめいせつ)

《我流訳》晴れた朝、元気に鯉のぼりが泳いでいる。爽やかで力強い風だ。

《感想》「朝風」がいいですね。うちの地方では、五月の朝の風はきっとわずかに冷たい。そういう風が鯉のぼりには似合うと思います。近頃では普通サイズの鯉のぼりを揚げる家も見かけなくなりました。

絵は、風に元気よく泳ぐ鯉のぼり。そのまんま。

 

【ゆ】

雪の朝二の字二の字の下駄の跡     田捨女

(ゆきのあさ にのじにのじの げたのあと     でん・すてじょ)

《我流訳》早起きして外に出ると、うっすらと積もった雪の上に、下駄のあとがついている。二の字に見えて可愛い。

《感想》わかりやすくて素直で、こういった俳句はありがたいですね。絵がないと二の字で下駄の跡と言われてピンと来ないかな。もう下駄を履くことなんてないですもんね。下駄なんて履くことがないから、履くと鼻緒のところが下駄ずれするんですよね。

絵は、手前に南天の赤い実、背景が下駄の跡。南天を持って来たのが手柄ですね。

 

【よ】

よろこべばしきりに落つる木の実かな     富安風生

(よろこべば しきりにおつる このみかな     とみやすふうせい)

《我流訳》木の実が落ちる音があちこちで聞こえる。木が何を喜んでいるのだろうか。

《感想》これも意味がよくわからない句です。喜んでいるのは作者か木か。どちらの読みもあるらしい。わたしは木が喜んでいる方を採るかなあ。この木の実が具体的に描かれていればもっとイメージが広がったかもしれないけど。

作者の富安風生は説明する俳句を嫌ったのではないかという意見があるようです。わたしは説明してくれた方がありがたいが。

絵は、どんぐりだった気がします。どんぐりは昔、遊び場だったお寺の木の下で拾ったなあ。木の実拾いなんてしたことがない人も多いでしょうね。

 

ラインナップ、【ま】~【よ】まで。

今回の新知識は「麦刈」のイメージを知ったこと。身近に田んぼはあったけれども、麦は全然なかったので、それにまつわる言葉が全然知識にありませんでした。

「女松原」も。特定の観光地じゃなかったんですね。わたしはてっきり「虹の松原」「三保の松原」と同じ類かと思っていました。赤い松をイメージ出来れば句の意味がわかるようになりました。

一番好きな句は、

曼殊沙華抱くほどとれど母恋し(中村汀女)

でした。

 

 

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