イタリアの旅の話/1995

◎アカデミア美術館を見る。少しゆっくり。イタリアの旅の話・その11。

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観光としてはイタリア最後の日。前日の夜にスケジュールを詰めました。

2日前にヴェネツィアに来て、その日はゆるっと聖マルコ広場の散歩・ショッピング。次の日は島めぐり。本格的にヴェネツィアを観光するのは最終日。最後にメインディッシュをとっておいたともいえる。ではヴェネツィアの観光に行ってみましょう!

 

海洋史博物館。ナニソレ?

意気込んだわれわれが最初に行くのは、なぜか海洋史博物館なのであった。

ここはねー。地味。とても地味。普通の観光ならまず行かないし、おすすめとはとてもいえない。正直今となっては一体なんでこの日程のなかでこんなところまで行ったのか、サッパリわからないところです。でもけっこう面白かったんですよね。

ヴェネツィアは海の国でしたから、海洋史博物館はある意味ではヴェネツィアの心臓部かもしれない。――などと思っていくと、その期待は裏切られます。地味地味地味。展示品のメインは船の模型。船の模型ばっかり。船じゃなければ、昔ヴェネツィアが置いていた各地の城塞の模型。

説明もいろいろ書いてあるんですが、イタリア語だし読めない。英語でもめんどくさくて多分読めない。ただただ模型を眺めて歩く。でも落ち着いて見ると、物が模型だけに見てわかる部分がとても多くて面白い。日本の屋形船までありました。

他にお客さんがいないような、小さな博物館でした。でもここ、行って良かった。なんだか妙にたくさん写真も撮りました。歴史的ヴェネツィアにおける船の重要性というか、思い入れがよくわかる。船好きにもおすすめ。

海洋史博物館まで行ったのなら、200メートル先にあるアルセナーレの入口も見てくることをおすすめします。なかなかピクチャレスクな建物だから。中には入れません。アルセナーレは昔の造船所で、多分英語でいうとアーセナル(武器庫)じゃないかな?多分。

 

旅の親切。

海洋史博物館の次の目的地はアカデミア美術館。ヴェネツィアのメイン美術館です。船で向かいます。車がないヴェネツィアでは船をバスのように使います。

乗り換えがわからなかったので船で地元の人らしき年配の女の人に訊くと、聖マルコ広場で乗り換えなさいと言っているらしい。だが当然イタリア語で教えてくれるのではっきりはわからない。あやふやな顔をしているわれわれを見かねたのか、彼女も一緒に降りてアカデミア美術館への船まで連れて行ってくれました。みんな優しい。

悪い人もいるからみんな優しいと思いすぎることもマイナスだけど、旅をしていて出会うのは優しい人。邪険にされた記憶は……1度しか思い出せない。それに対して親切にされたことは数えきれないほど。

昔読んだ井上ひさしのエッセイに、近在の俗謡(?)として、

旅の方ならお茶などあがれ、私も旅することがある

と書いてありました。たしか井上ひさしだったはずです……。記憶の精度に問題がある。真偽不明。
読んだのは中学生の時ですから字句も間違っているかもしれないけど。深く納得するところがあって心に残っている。その頃のわたしは、まだ旅はしていないんですけど。

旅人をもてなす心がある人も素敵だし、それが自分が旅人になった時の経験に裏打ちされているのも素敵だなあ。この一行に何人もの旅人を迎えて来た歴史と、この人が旅をした時の経験がいくつも透けて見える気がする。

旅での親切は本当に身に染みるものです。――それがあるから、日本に来た旅行者には親切にしたくなる。これは旅行好きあるあるじゃないでしょうか。でもいいことだと思うので、行き過ぎない程度に維持していきたい。

アカデミア美術館。

聖マルコ広場からアカデミア美術館への大運河は、距離は短いですが船から見る左右の景色が印象的なところ。

特にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が素敵です。端正なバロック建築。聖マルコ広場のすぐ前にあるわりには大運河をはさむので足が伸びない場所なのですが、内部にある絵画もいいものです。ちょっと変わった多角形の建物なんですよねー。訪れて吉。といいつつ、この時は行けませんでした。

アカデミア美術館のすぐ前の、大運河にかかるアカデミア橋は素朴で美しい木製の橋。この大きさで木製というのはちょっと珍しいかもしれません。橋の上から見下ろす大運河の風景が美しく、リアルト橋と並んで、観光客に人気の場所。

橋の上から東側を見ると、さっさ運河から見上げたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が運河の伸びる先のちょうど正面にドームを覗かせます。遠近法のお手本のような景色。左手の黄色い華麗な建物はカヴァッリ=フランケッティ宮殿。近年(といっても100年以上前)改装され、運河沿いに並ぶ建物の中でもきれいな建物です。中は美術館になっているそう。内装や庭も見事だそうですよ。

 

アカデミア美術館は他の美術館と比べると建物自体はあまりぱっとしません。正面ファサードは端正なのですが、土地が狭いので全体の形を見られる場所がなく、壁のイメージしか残らない。

展示作品も――ヴァチカンやウフィッツィよりは若干小粒な感じ。ここもルネサンス絵画がメインの美術館ですが、多くはヴェネツィアゆかりの画家の作品。ヴェネツィアも力を持ち、たくさんの人気画家が集まっていたところですが、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの作品がどっさりあるフィレンツェとローマに比べると華やかさでは及ばない。

大物もあるんですけどね。縦5.55メートル×横12.8メートルのヴェロネーゼ「レヴィ家の饗宴」とか、文字通りの大物が。修道院が注文したもので、それなりの大空間のために制作されたもののようですが「なにもこんなに大きく描かなくても……」と思うサイズ。「レヴィ家の饗宴」というタイトルですが、実際は最後の晩餐をテーマに描いたもので、中央にいるのはキリストです。

ベリーニ「聖会話(聖母子と二聖人)」。

わたしがこの美術館で覚えているのはベリーニの「聖会話」。3人の女性と幼児キリストがいて、右側のマグダラのマリアが印象的。左側の人は誰だろう?と思って調べたら聖カタリナだそうです。

……だが、左がマグダラのマリアで右が聖カタリナだというネット上の記事を見た。いやー、それはないと思うけど?マグダラのマリアは多くは金髪で、長く垂らしているのが標準仕様。若く、美人に描かれるのがお約束。左側の人はだいぶ年配に見えるし……。前身が娼婦だった(といわれる)マグダラのマリアは服飾品が華麗に描かれるもの。左の人も真珠の髪飾りをたっぷり巻きつけていたりして華麗といえば華麗。どちらともいえない。

確認したところ、右がマグダラのマリア、左が聖カタリナということでいいようです。が、モデルがヴェネツィア貴族の女性という可能性があり、肖像画に寄った宗教画だったのではないかとのこと。

そう聞くと、この絵に漂う違和感もちょっと納得出来る気がする。「聖会話」とタイトルがついているわりには、人物の交流がまったく感じられないんですよね。マリアとキリストでさえ全く別なところを見ており、親子の温かい交流は皆無。左の人は幼児キリストを礼拝していて、そこには唯一つながりはあるけど、右の人はキリストを見ずに虚空を見つめている。

別々にデッサンをして、それを組み合わせたならわからないこともない。が、それでもなぜこういう表情で描いたのか疑問は残りますけどね。もう少し素直に敬神の表情でも良かったのではないか。

プラド美術館に、同じ画家が描いた同じテーマの絵があるようですね。こっちもちぐはぐだけれどアカデミア美術館のものよりは違和感が少ない。が、2枚の絵を見てみると、とても同じ画家が描いたとは思えない。ベリーニは大きな工房を抱えた画家だったはずだから、プラドの方はより多くの部分を弟子が描いたのではないかと思います。

ティツィアーノ「ピエタ」。

アカデミア美術館のもう一枚の絵は、ティツィアーノの「ピエタ」。

ティツィアーノは好きな画家で、――この人の工房もとてもでかく、それに伴って作品もやたらとあるのですが、本拠地であるヴェネツィアで見るのは感慨深い。

売れる絵をいっぱい描いた画家です。でもこの人の最晩年の作品「ピエタ」は画家の人生の集大成という感じがしてエモーショナル。切ない。

ヴェネツィア派の画家の売りは色彩の鮮やかさでした。ティツィアーノも色彩豊かな絵を描きます。特に赤を利かせた。黒も上手かったけど。「チチアン(=ティツィアーノ)の赤」をうたった与謝野晶子の歌があります。

が、このピエタは灰色の絵です。きれいに描いていた若い頃とは違い、ざらざらした絵を描いている。これが歳を取って目が衰えたゆえなのかどうか……。色みも黄色、ピンク、青がうっすらと塗られるくらいで、穴倉のような暗さにキリストの死への嘆きがこだまする。十字架から降ろされたキリストの死を嘆く時にこの舞台背景か、とつっこみたくはなるのですが、絵に考証を求めてはいかん。

この絵を完成させる前にティツィアーノは死んでしまい、完成させたのは別の人だそうです。どのくらいまで描いていたかはわからないけれど、死を迎えようとするティツィアーノの、どうしようもない苦悩と焦りが込められている気がする。全体として見ればティツィアーノは大成功者といっていい人生だったと思えるのに、その人が最後に遺すのがなんでこんなに暗い絵なのか。心にひっかかる謎。

この他にジョルジオ―ネ「嵐」、ジェンティーレ・ベリーニ(さっきのベリーニのお兄さん)「聖マルコ広場での聖十字架の行列」などが見るべき一枚。一枚というか数枚。

画家でいえばカナレットやヴェロネーゼはここで見るべき。カナレットはひたすらヴェネツィアの(運河の)風景を描いた画家で、彼の描いた絵は、その気になればその実際の風景を美術館を出た後に見られます。ヴェロネーゼも地元の画家。画家をその本拠地で見るのは味わい深い。絵そのものはどこで見ても変わらないはずなんですが。

このイタリア旅行を通じて、初めて時間を気にせず見られた美術館がアカデミア美術館。この幸福をヴァチカンやウフィッツィでも享受したかったことよ……。

 

 

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