沖縄の旅の話/1993

◎紅い首里城。沖縄の旅の話・その3。

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はるか昔に沖縄へ行った時の話です。2日目になりました。

 

沖縄南部へ。

2日目は万座毛のそばの民宿「万座荘」を8:20に発ちます。その前に万座毛へ徒歩で行っているわけですから、前日遅くまで起きてたわりにはけっこう早起きしてますね。

宿から、近場の沖縄工芸村へ。琉球ガラスの製造所。一通り見て回って、琉球ガラスの水差しというか、徳利を買いました。青いのと、オレンジ色の。沖縄の海と夕焼けの色。

そのあと、ちょっとだけビーチに寄りました。泳いだわけではなく、波打ち際で裸足になってぽちゃぽちゃやっただけ。早い時間なので人はほとんどおらず、海は暗い雲がかかって少し不穏。砂浜でサンゴを拾う。白くて小さな乾いた骨のようなもの。袋に入れると欠片がぶつかってからからと鳴る。

沖縄本島のほぼ南端まで移動して、玉泉洞へ。日本最大級の鍾乳洞。鍾乳洞というと狭くて暗いものと思ってましたが、ここは通路も整備されてて空間としても広い。観光客はたくさんいて。中は涼しい。寒いくらい。

地底湖の中に魚が泳いでいる。この魚たちは太陽の下に出ることなく一生を終えるんだろう。人間が観光地化して照明を引かなければ、本来一度も光を目にすることもない人生――魚生だった。黒い魚と、その黒い影が連れだって動く。トゲトゲした鍾乳石と、つるんころんとした鍾乳石が他人のような顔をして並んでいる。池の波紋が浅い水底に織物のような影を落とす。

それから平和祈念公園、琉球ガラス村に行き、那覇に戻ってレンタカーを24時間ぎりぎりで返しました。時間は昼過ぎ。朝から昼過ぎで移動を含めて5ヶ所を廻ったのだから、かなり充実しています。体感よりも移動時間が短く感じる。

那覇に戻って最初に行くのは、いよいよ首里城。

 

紅い首里城。

始めに守礼の門に出会う。ああ、と思う。憧れていた王朝琉球がここから始まる。前日に訪れた座喜味城に色はなかったけれど、この門は赤い。

王城の門。一般的な日本の城郭の門は堅固な作りで、どれだけ堅固に作るか、それを競っていました。門は守りの要。正門となれば多くは上階に櫓を備え、敵が攻めてくればそこに兵が待機し、息を殺して弓矢を構えた場所。

それに比べてこの門はなんと軽やかなことだろう。

鳥居にちょっと屋根をつけて、瓦を乗せたような。締め出すための扉さえない。大勢の敵がよってたかって押し倒せば倒れてしまうような細い足。防御のための建築物ではない。

掲げられた扁額には「守礼之邦」。――この門は外的の力を防ぐためのものではなくて、ここで襟を正させるためのもの。人口も資源も少ない琉球が、大国である中国と日本の間で知恵を絞らなければならなかった。礼という身を守るための知恵。その結界としての門。

門の近くには観光客が多く、それを目当てにした出店もまた多い。鮮やかなパラソルの下の一軒は観光写真屋さんでした。衣装を貸して写真を撮ってくれる。黄色い華やかな紅型を選びました。真っ赤な琉球花笠をブーケのように持ち、頭には紫の帽子を乗せられて。いかにもご満悦、という顔の自分の写真が可笑しい。

少し行くと、ちらちら赤い首里城正殿が見え始めます。でもそこまでの道はまだ曲がりくねって遠い。座喜味城より長い曲面を描く石垣が続く。龍がうねるように連なる石垣。その上に散らばった建物の赤。赤と石の灰色のコントラスト。

いくつも門をくぐって階段を登り、宮殿の中庭広場である「御庭」に着く。琉球言葉では「うなー」。向かって左側の建物は北殿、中国の使節を迎えるための中国式の建物。それに正対する南殿は白木の日本式の建物。日本の使節をここで歓待しました。ここにも中国と日本に挟まれた琉球の歴史がある。

そして正面が真っ赤な正殿。沖縄の強い陽ざし、その光を跳ね返して強い。この光にはこの紅が合う。濃い、強い、発光する紅。

ここは儀式のために作られた建築だという。そう思って見れば京都御所の遠い響きを感じないではない。日本の城のように天守閣を戴く防御のための建築ではなく、間口の広い、開口部の多い、開放的な作り。

御庭の地面はレンガのようなもので覆われている。紅白のボーダー状に敷き詰められている。あまりにモダンで復元時の現代デザインかと思ったが、当時も赤と白のレンガで同じように作られていたそうだ。

その理由を聞いて面白いと思った。居並ぶ百官がきれいに横に整列出来るように――ボーダーに合わせて並べばいつでもきれいに並べるから――作られたらしい。合理的。感心し、その知恵に愛すべきものを感じる。

しかしもしかしたら、そこまで周到に考え抜く必要があったのかもしれない。荘厳な儀式を演出し、礼を尽くす必要が。

礼は極めれば極めるほど力になる。でもそれは弓矢や剣の荒々しさには全く対抗しえない、かそけき力。暴力がない時だけ通用するはかないもの。しかし琉球が杖とするものはそれしかなかった。出来るだけ荘厳な儀式を、万が一にも落ち度がないように。それを求めて作った御庭のボーダーなのかもしれない。

だとすれば、この国はあらゆることにどれほど細かく心を使っていたのだろうか。大国のはざまで生き残ろうとして。

正殿の破風のてっぺんで、緑色の顏の龍がこちらを見ている。大口を開いて威嚇している。しかしそれもシーサーと同じようにどことなくユーモラスで、感じるのは畏怖よりも親しみ。

その他の場所。

正殿内部に入ると塗料のにおいがしました。再建されてまだ1年経っていない首里城には人がいっぱい。開口部が多い建物の作りのわりに、それがほとんど閉められていて内部は暗かった。玉座とは別に、破風のところに国王が座る場所があり、御庭で儀式を行なっている時には国王はそこで参加していた、という話だったはず。

正殿の後は、王家の墓所である玉陵(たまうどぅん)に寄りました。知らなければどこか他の国の遺跡だと思うようながっしりとした石造りの建物。どことはいえないけど、中南米あたりの遺跡に似ているような気がする。

首里城正殿へ行く前には円覚寺跡に立ち寄っていました。神社仏閣好きのわたしは、沖縄には珍しいお寺――だと思って行ったら、案に相違してお寺ではなくお寺の跡。沖縄戦の際に破壊され、その後に総門と池だけが復元されたらしい。

過去には壮麗な伽藍を誇ったといいます。でも沖縄には独自の信仰が根付いているし、昔だったらもっとそうでしょう。立派なお寺の建立は、おそらく中国や日本に対しての外交戦略だったのだろうなと思います。

 

2日目の食べ物。

当時はあまり食べ物に興味はなかった。なのでそんなに旅の食は充実してないんですよねえ。今だったら朝食・昼食・夕食と綿密に計算してがつがつ名物を食べあさるのですが……

でもこの日は沖縄名物「ソーキそば」を食べました!首里城のそばのレストラン「首里杜(すいむい)」で。麺もスープも、そばのようなラーメンのような、ちょうど中間のような不思議な感じ。でも全然違和感のある味ではなく、あぶらっこくもなく物足りなくもない、ちょうどいいボリュームの美味しいおそばでした。

このソーキそばを食べたのが14:00過ぎ……。食事をすると時間を食うので、移動の効率を重視して食の時間がずれがち。ちなみにこの日、朝ごはんは食べてません。

でも朝に万座荘でジュースをご馳走になったし、玉泉洞でダブルのアイスを食べ「沖縄でダブルのアイスを注文してはいけない……」と書いているくらいですから、アイスが相当大きかったのでしょう。このアイスはさとうきびとラムレーズン。さとうきびアイスの味は覚えていないので、機会があったらまだ食べたい。

この日の夕飯はケンタッキーで済ませたようです。今から思うともったいない。でも毎日毎日ちゃんとしたものをがっつり食べるのも大変なんですよね。

 

2日目終了。

首里城からホテルへ行き、その後夕食がてら辺りの散歩をして帰りました。国際通りにあるホテルで、周辺は記憶では歓楽街だった感じ。今だったらそうは思わないのかもしれませんが、ちょっとアヤシイ雰囲気だった。飲み屋さんなどが多いのかもしれませんね。

次の日は斎場御嶽(せいふぁーうたき)、久高島へ行きます。

 

 

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