イタリアの旅の話/1995

◎聖ピエトロ大聖堂の衝撃。イタリアの旅の話・その2。

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ローマの夜明け。

前日2時に寝て、それなのに翌日は朝6時に起きる(泣)。せっかく来たんだからとにかく見たいものは全て見たい!という意思のもと。当時は若かったですからねえ。正直言って自分一人ならそこまで無理はしなかったろうが、同行者もいることで、スケジュールを合わせなければならないという理由もあった。

でもその後も、家から40数時間かけてクレタ島へ行ったりしているんだよなあ……。今はもうやりません。やれません。

ホテルの朝食部屋は屋根裏みたいな可愛い食堂。緯度が高いローマはまだ夜が明けきらず、窓から見える空は澄んだ紫色。美しい空でした。旅先での夜明けというと、いつもこの時の空を思い出します。

 

劇的空間、聖ピエトロ広場。

地下鉄オッタヴィアーノ駅から歩いて、聖ピエトロ広場に横からするりと入りこむ。本当は正面のコンチリアツィオーネ通りからまっすぐ近づけたら最高のロケーションなんだけど、公共交通機関活用の身には贅沢は言えない。

聖ピエトロ広場は楕円形の大きな広場。周りは四重の列柱に囲まれ、中央にはエジプトから運ばれたオベリスクが、その脇には2つの噴水がある。1月半ばのこの時期は観光客の数も少なく、広場の中央部分を我々だけで独り占め。

周囲をぐるりと見回すと、その佇まいに心がわくわくする。列柱に取り囲まれ、正面にはバロックの華やかな大聖堂。大理石の大きな天使が屋根から見下ろす。その上の空は雲一つない真っ青。

腕を広げて360度回転してみる。顔が自然に笑っているのがわかる。これほど贅沢な空間と時間。劇場の舞台の上にいるような高揚感は、多分ここがイタリアだからなのだ。

この広場では、通常であれば法王の水曜日の一般謁見と日曜日の正午の祈りが行なわれる。世界中の(カソリックの)善男善女がこの広場で父なる法王との対面を果たす。この広場はその感動を盛り上げるように作られている。

宗教はいろいろな方法で人々の心を揺さぶり、感動を生み出そうとする。それは歌だったり、絵だったり、建造物だったりする。感動させ、その感動を宗教的感動として誘導しようとする。それはキリスト教も仏教も、おそらくイスラム教や他の宗教も同じ。

この時期まで、オベリスクの足元にはクリスマスのオーナメントがまだ残っている。オーナメントというにはかなり大きなもの。

これはイタリア語でプレゼぺという、キリスト生誕の場面を表した模型。家庭では小さなミニチュアを、教会などでは等身大の人形で形作る。天下の聖ピエトロ広場では、模型といっても実物大よりも大きいくらいで、キリストが生まれた馬小屋は普通の家一軒よりも大きい。侘しい馬小屋でうまれたはずのキリストの、その侘しさは感じられない。

大きな広場にはその大きさに見合ったサイズが求められるのだ。それと原典(この場合は聖書)とに整合性がとれないとしても。

 

聖ピエトロ大聖堂、その絢爛たる内部。

現代社会において、聖ピエトロ大聖堂なんてテレビで山ほど見る機会がある。もうどんなところかは知っている。画面で見るのと実際に見るのと、たしかに違いはあるだろうけど、驚くようなことはないと思っていた。

最初は驚かなかった。内部に入ったところ、広がっているのはテレビで見たあの空間で、そうそう、聖ピエトロ大聖堂だなあという感じ。日本の伝統建築ではあり得ない派手な装飾。全てが大理石、天井の金箔。豪華。華麗。

しかし、しばらくその光景を見つめていて、ふと思う。

もしかしてこの大きさはとんでもないことではないのか。天井のアーチまで人間の何倍の高さがあるだろう。10人積み重ねたどころではない。何十メートルかの高さ。その巨大な空間を作る意味。

日本で大きな建造物は、と考える。雲太、和二、京三という言葉がある。出雲大社が長男格の大きな建物。大和の東大寺大仏殿が次男格。京都の大極殿が三男格。

出雲大社が中世の言い伝えのように32丈(48メートル)、あるいは64丈(96メートル)の高さがあったとして、それは柱が高かったはずだから、空間としての広さはこの大聖堂とは比べ物にはならない。大極殿は現存していないので不明。京都にある知恩院は実際に見た時、驚くほど大きな建物だったけれども、この空間には及ばない。

東大寺大仏殿はすごく大きい。大聖堂ほどではないにしても。
しかしあの空間は巨大な大仏を安置するために作られている。いわば中身を入れる必然性がある。でも聖ピエトロ大聖堂にあるのは巨大な虚なる空間。入れるべき中身が存在しない。

もちろん材料の違いは大きい。日本の伝統的な建物は木材で作られ、木材はその大きさに限りがある。頑丈さも石とは大きく違う。日本はわずかな例外を除いて巨大さを追求しなかった。西洋のこの巨大さへの志向はなんだろう。

一度に入れる人数は、一説には6万人とか。現代のコロッセオ、野球のスタジアムと並ぶくらいの巨大さ。それを500年以上も前に、柱と壁で作る。

入れる人数だけを考えるなら、これほどの高さを必要とはしなかっただろう。なんのためにこんなに高い建物を作ったのか考える。威信を誇るため。財力を誇示するため。高い場所にいる神への純粋な思慕。人目を驚かせて宗教的感動へ誘導するあの手法。

それにしてもこの空間の巨大さはえらいことだ。日本では絶対にない発想。日本は華麗を、豪華さを発想しなかった。あるいは日本の華麗さや豪華さは貧弱なものだった。こういう建物を作る美意識と、結局は簡素を良しとする美意識の方向は絶対的に違う。

天井近くにある天使の像は、改めて考えてみればきっと4、5メートルはあるだろう。4、5メートルの彫像を何十体も彫りだす労力。それを上に運び上げる労力。金で飾り立てる財力。我々が追わない道を西洋の宗教はたどる。

この方向性の違いを体感したのは、やはりカルチャーショックというものだろう。この違いは何から生まれるのか。材料ということはあるだろうけれども……。以来数十年、答えは出ていないがこの問題提起はずっと心に残っている。この問いを得られたのは聖ピエトロ大聖堂を最初に訪れた功徳。

 

ミケランジェロ作、ピエタの神々しさ。

……というようなことを考える前、大聖堂の内部に入って最初に駆けつけたのはミケランジェロの「ピエタ像」なんですよね。

これはわたしが世界で一番美しいと思っている彫刻。これを目の前で見られた時はやはり感動しました。

が、残念ながら現地で見ても、見る人と彫刻の間には厚いガラスがある。これは防弾ガラス。1972年に一人の男が、当時は素通しだったピエタ像に襲い掛かったという事件があり、それを受けて対策が講じられたもの。この時にピエタ像は鉄槌で鼻、目、左腕を壊されたそうです。そのニュースを聞いた全ローマは悲しみに暮れ、聖ピエトロ大聖堂の床は人々が持ち寄った、悼みを表す白いバラの花で埋まったとか。

その後修復されたピエタはガラスの向こうに置かれて、わたしたちからは隔てられてしまいました。そういう経緯があるのなら仕方がないけれども、出来ればもっと近くで見たいですね。距離も遠くて、しかも正面側からの一方向からしか見られないので、もどかしい思いになる。防弾ガラスの中でもいいから、出来れば360度で見られるととても嬉しい。

女性に関しては、描くのも彫るのもたいてい下手くそだったミケランジェロが、このピエタ像では女性のなよやかさを表現しています。成人男性であるはずのキリストより体が大きいのはおかしいともいわれるこのマリアですが、十字架で死んでしまった息子を大きな愛で抱きとめるには、このくらいの大きさが必要だった。リアリティを追求して、小さなお母さんが大きな息子を危なっかしく抱いていたらこの感情は表現出来ません。

大理石がなんと柔らかく波打つことか。服のひだが多すぎて彫刻の技を誇示する気配がないではないけど、服と体との、種類の違う柔らかさの対比が素晴らしい。ああ。すぐそばで見たいものよ。出来れば(絶対に実現はしないけれども)触れたい。

 

クーポラから見下ろす広場。

下から上を散々見上げた後、大クーポラに登りました。何しろあんなに高い天井の、さらにその上まで登るのだからとても大変……。登る階段は相当に狭いです。自分のペースでゆっくり登ることが出来にくいので、体力がない派には少々つらい。エレベーターをおすすめします。エレベーターを使っても、その後にもけっこう長い階段が続きますし。

途中のテラスに出てみました。クーポラよりはだいぶ低いけど、あまり人がいないのでおすすめです。クーポラの形も近くでじっくり見られる。

クーポラまで登ると周囲の景色が楽しめます。究極は聖ピエトロ広場を上から見下ろすアングル。その場所にいても劇的だった空間は上から見下ろしても劇的で、まっすぐ先へ伸びるコンチリアツィオーネ通りも含めて、ヨーロッパ的な空間だと感じる。

クーポラの華やかな天井は下から見ると万華鏡みたい。窓から入ってくる光がきれいに帯を作る。これもしっかり計算された設計なんだろうな。

 

カルチャーショックの場所。

海外に行ってカルチャーショックを受ける、というのはよく聞く話ですが、わたしの「カルチャーショック」はこの時の聖ピエトロ大聖堂だったかもしれません。

巨大な虚なる空間。この場所を作る精神の方向性は、日本的なものとは全く違うものだと痛感しました。そこから思考はまったく進んでないわけですが。今後も「西洋と日本の違い」というのは、わたしの中でずっと考えていくんだろうなあ。

何しろ聖ピエトロ大聖堂は、西欧文明の柱であるカソリックキリスト教の中心地ですしね!日本文化を考える時に神道と仏教は避けて通れないように、西欧を考える時にキリスト教は避けて通れない。比較して考えれば、キリスト教の方がよりダイレクトに世俗に関わっていったというイメージがあります。キリスト教と経済との関わりはあんまり読んだことがないんだけれども、この辺も深掘りすれば相当面白いテーマなんだろうなあ。

聖ピエトロ大聖堂は印象深い場所でした。

 

 

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