【prose】

いつか朝靄のなかの教会へ

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谷間の真珠。
そんな呼び名を持つオビドスは、慎ましやかで愛らしい町だった。
町へ入る門はポルトガル独特の青い装飾タイルで飾られている。城壁は敵を防ぐために作られたはずだが、おそらくこの門はその役割を果たしたことがないに違いない。この寂しげで静かな青の下を、殺伐たる敵兵が通る姿は想像出来ない。ただ人を穏やかに迎えるために作られた門。汚れや傷も見える。今まで長い時を過ごして来た物の記憶。
町は小さく、一周するのにもほんのわずかしかかからない。道も狭い。石畳の道。観光客のために、小さなお土産屋さんがささやかな細工物を並べる。白い建物の壁に鮮やかな色の花々が蔓を這わせる。ブーゲンビリア。ホクシア。窓にも鉢物が並べられる。壁の白に、花の咲く場所だけが所々紅い。訪れた人々はゆっくりとした足取りでそぞろ歩く。早足で歩くことに意味がないくらい、ここは小さな町だから。

この町で一番大きなサンタマリア教会も、リスボンで聖ジェロニモス修道院を見てきた目にはとても可愛らしく映る。家々と同じく、教会の壁も白。ファザードがどこかアンバランスなのは、白い壁に対して入口がベージュの石の色のままであるせいだろう。入口の真上に据えられたマリア像のたどたどしい造型が信者と観光客を迎える。
中に入れば壁は青の装飾タイル、アズレージョで埋められている。町の門と同じ寂しげで静かな青。全面をタイルで飾るのはイスラム風だろうか。バロックの祭壇と合わせると少し違和感がある。小さな町はその中に、過去から生きながらえた異国を抱える。

城壁の上に登ってみる。高く低く、カーブを描いて町を取り囲む壁。城壁を持たない国から来た者には、壁は町を明確に周囲と分けるための縁飾りと見える。縷々続く赤褐色の屋根と白い壁。一つ一つに住んでいるのは、人間ではなくドールハウスの人形たちかもしれない。
町を囲む城壁から外へ目をやると、遠くに大きな建物が見えた。教会だろうか。畑の真ん中、四角ばってぽこりと立ち上がった姿は、その大きさにもかかわらずユーモラスだ。
この町で朝を迎える贅沢をいつか味わってみたい。家々の白い壁はまぶしく光り、朝の空気は町をさらに魅力的に見せるだろう。起きだした町の人々は、見知らぬ顔であるわたしにも朝の挨拶を投げかけてくれるに違いない。少し引っ込み思案な笑顔で、おはよう、と。

再び遠くの教会を見る。いつかあそこへ行ってみたい。畑に植えられているのは葡萄だろうか。葡萄畑の間を抜けて近づいて行くあの場所は、どんな風に見えるのか。かすむような朝の光。教会の鐘の音。葡萄の葉の朝露。道のはるか先、遠くをゆっくり歩く人の影――。

ほんのわずかな滞在。名残惜しい目で町を眺めると、オビドスはやはり慎ましやかな佇まいで見送ってくれる。また来る時まで変わらないでいて欲しいと、去って行く身の勝手な願いを抱きつつ、わたしはまた次の場所へ運ばれて行く。

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