本を読むこと

◎本を読むと、時間と空間を越えて人と繋がる。読書の方法。

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読書について考えると、

〇本を読むとこんなメリットがあるよ!
〇効能なんてどうだっていい!読書は単に楽しいから読むんだ!

どちらの立場に立つのかいつも迷います。

 

時間と空間。

どっちも真なんですね、これは。どちらも真だけれども、没頭できるのがいい読書。

わたしは読書の素晴らしいところって、時間と空間を越えられることだと思うんですよね。

これには2つの意味があります。

1.作品世界の中で時間と空間を越えられること。
2.読み手として時間と空間を越えられること。

 

1.作品世界の中で時間と空間を越えられること。

これは本の内容として、という意味ですね。ファンタジーや歴史物を考えてもらうとわかりやすいと思います。

ファンタジーは、現実では決して起こりえない世界を描いてくれます。月にだって行けます。魔法の世界にだって行けます。……まあ、わたしは魔法の世界は絶対ないものだとは思わないけど、実際に行くのは難しい。

そんなところへ本は連れていってくれるのです。

ディズニーランドが夢の国であるのと同じ意味で、本も「夢の国」です。しかもディズニーランドには交通費とか移動時間とかたどり着くまでいろいろかかるのに対して、本はページを開けばすぐに到着。ディズニーランドの入場料よりはるかに安い、本代しかかかりません。

歴史物も絶対行けない世界へ連れて行ってくれるのは同じ。今後タイムマシンが発明されるまで、過去の世界へ行ける方法は本だけです。

空間を越えるのは、たとえば旅行のエッセイなどですね。イギリスについてのエッセイを読んだら日本にいながらイギリスを楽しめる。何千キロも離れているのに、一瞬です。

月についての本を読んだら、地球と月の距離さえ一気に越えられます。ロケットに乗って何ヶ月もかかる距離なのに!

 

2.読み手として時間と空間を越えられること。

読み手として、とはどういうことでしょう。

「源氏物語」を例にとります。以前、源氏物語について書きました。

◎おでかけ出来ない今こそ!「源氏物語」はいかがですか?

「源氏物語」はおよそ1000年前に書かれた物語です。この1000年間、どれほどの人が源氏物語を読んで来たか想像してみてください。

もちろん書かれた当時は貴族階級が読むだけだったと思います。読んだとしても何十人、せいぜい何百人の規模でしょう。今のベストセラーとは大違い。しかし「源氏物語」は1000年読まれ続けました。

読んだのべ人数は一体何人になるのか……。その間、時期によっては不道徳な物語と貶されたこともありますし、読んで面白いと思わなかった人も山ほどいるでしょう。

でももし1000年の間読んだ人がみな一堂に会せるとしたら、お互い何かしら「源氏物語」について語ることが出来る。1000年続く共通の話題。これはすごいことだと思いませんか。

 

菅原孝標女の話。

菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)という人がいます。1008年に生まれたと言われている、約1000年前の人。紫式部よりは3、40歳年下。

この人は下級貴族の生まれで、少女だった頃は今の千葉県で暮らしていました。13歳になった頃、都へ戻ります。物語を読むのが大好きで「源氏物語」が読みたくて仕方なかった。続きが読みたいと仏様にお祈りをするくらいだったそう。

ある時、彼女のおばさんが思いがけない贈り物をくれました。それが「源氏物語」全巻揃い!(54巻ある。多分当時はかなり高価。)念願の物語を前にして孝標女は天にも昇る心地、

「后の位も何にかはせむ」(プリンセスにしてやろうっていわれてもいらないわ!)

昼夜問わず、夢中で読みふけったそうです。

……ちなみに、おばさんが「源氏物語」をくれる時の台詞がとてもいい。
「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ」
(何をあげましょうか。実用的なものはつまらないわね。欲しいと思っているものをあげましょう)

この箇所はいろいろなエッセイにも引用される部分なのでたまに見かけるのですが、(ここに挙げた口語訳は多分、昔わたしが読んで記憶に残っているもの。誰のものか忘れましたが、多分正確にいうと引用にあたります。田辺聖子さんだったか……)

ここを読むたび、わたしは泣いてしまう。

菅原孝標女がどれほどうれしかったかを想像して。自分も物語好きだったはずのおばさんの(そうでなかったら「源氏物語」をあげようなんて思わないよ!)優しいまなざしを想像して。

そして、本読みの心は1000年経っても変わってないんだなあと感動します。

ちなみに、なぜこういうやりとりがあったことがわかるのかというと、菅原孝標女は、かなり歳をとってから自伝に近いものを書いたんですね。これが「更級日記」。そこに、この場面があります。

 


更級日記 (岩波文庫)

わたしはたしか岩波文庫で読みました。更級日記は短いので古文でもなんとかいけた。

しかし岩波文庫は古今東西の名著を網羅してくれているのはアリガタイのですが、全体的にカタイんですよね……。ガチガチ。

 


更級日記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

なので現代語訳付きのこちらの方が読みやすいのではないかと思います。

 

「源氏物語」ほどではないけれど、「更級日記」も平安時代の作品として有名。教科書にも出て来るかな?この「更級日記」を読んで、1000年後のわれわれも物語好きの少女の心躍りを感じる。もし時を越えて菅原孝標女に会ったら「源氏物語」の話で相当盛り上がれると思いませんか。

 

海外でも翻訳されている「源氏物語」。

「源氏物語」は空間も越えています。

英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、オランダ語、フィンランド語、スウェーデン語、チェコ語、ロシア語、中国語、韓国語

12か国語以上で翻訳されている。そのなかには抄訳(短くはしょる)もありますが。

源氏物語を海外の人が読んで理解するのは、なかなか難しいと思うけれども(小道具や情景描写に日本独自のもの・感性が多いため)日本以外の世界のどこかで今も「源氏物語」を読む人がいて、もしかしたら、それを愛してくれているかもしれないと思うとときめきます。

 

他の人の感想を読むのも、また楽し。

ついつい「源氏物語」の話にシフトしてしまいましたが、空間の話をもう少しいえば、今はネットでどこにでも繋がっている時代ですよね。なので、1冊の本を読んで世界のあちことで呟かれている感想に出会うことが出来ます。

Amazonのレビューなんかそうですよね。わたしは読んで「面白かった本」と「すごくつまらなかった本」の場合、他の人がいったいどんな感想を持っているのだろうと検索してみることがあります。

で、「面白かった本」が意外にくさされていて驚いたり、「つまらなかった本」がやっぱりけなされていて、そうだろそうだろ、と我が意を得たり、と思うことを繰り返しています。1冊の本は自分と本という関係だけではなく、時間と空間を越えて人とつながる扉でもあるのですね。

 

楽しくて役に立つ。それが読書。

本は単に「字が書いてある紙の集合体」ではありません。

別な世界に連れて行ってくれる、
別な人生を垣間見せてくれる、
知らないことを教えてくれる、

魔法のツールです。

目の前に魔法のツールがあるのに、使ってみないのはもったいない。何か1冊、読んでみましょう。つまらなかったらすぐ止めて、別な本を読んでみましょう。

きっと面白い本に出会えるはずです!

 

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