【prose】

薄紅色の鳥の魂

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ある年の春、山形県の赤湯温泉に行った。
日帰りのドライブ、他の場所にも行った帰り路だったので、赤湯に着いた頃は夕方だった。目当ての共同浴場で一風呂浴び、外に出たところで幟に気づく。
〝赤湯 桜まつり〟
自分が住む街の桜はとうに散っていた。山を一つ越えて、まだここには花が残っている。この土地の、冬の長さと厳しさが心をかすめた。
行ってみようか。誰かの一言で話は決まった。桜まつりの会場は辺りを見回せばすぐわかる。おそらく赤湯の町ならどこからでも見える小高い丘、その名もゆかしい烏帽子山。昔からの国見の山なのだろう。今は八幡宮が鎮座している。丘に提灯の灯が連なっているのが見える。
ゆっくりゆっくり歩いて行く。春の夕闇は湯上りのそぞろ歩きにふさわしかった。

祭りに感じる懐かしさは幼い頃の思い出のせいだろうか。それともそんな記憶を持たない都会育ちの人間も、同じように懐かしく感じるのだろうか。
近づく一歩ごとに嬉しかった。山をほの紅く染める祭り提灯。広告が無造作に書かれ、それそのものには美しさなどないというのに、見ると心が和むのはどうしてだろう。わたあめや焼きそばの屋台、あの雑然とした佇まいも、優しく見られるのはどうしてだろう。この場所にいる人々を皆愛しく思う。与謝野晶子は昔歌った。清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵あふ人みなうつくしき。
桜はもう過ぎ加減だった。座り込んで宴会をしている人は少なく、終わりの寂しさがうっすらと漂い始めている。丘を巻くように頂上へと続く道。丘にそれほどの高さはないので、道も少し歩くと終わってしまう。左右の桜を見上げながら名残の春を楽しむ。

その時、風が吹いた。桜を散らす。
風に散った花びらは真っ暗な夜に溶けて行く。ひらひらと命あるもののように躍って、そしてふと見えなくなる。華やかで切ない告別の舞は、桜だけが持つ特権。咲いて散る、その短さゆえに。
花びらはこの世で死んだ、まだ幼い鳥の魂だ。
薄紅色の、まだ悲しみに染まらない魂の。
ふと手を伸ばす。闇に溶ける前に拾い上げれば幼い鳥は息を吹き返す。――でもそれは鳥の幸せなのか。

そろそろ帰るよ。背後からのんびりとかかる声。祭り提灯の下の仲間たち。わたしは踵を返す。元いた場所へ戻るために。
風は吹き、花びらは散り続ける。
指先をかすめて、遊ぶように散っていく花びら。追ってはいけない。鳥の魂は夜の向こうの異界へ向かって、自由に飛んでいくままに。そしていつか世界を内包する卵として、また戻ってくればいい。
伸ばした手を、伸ばしたままで見送る。薄紅色の鳥の魂。

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