那智駅近くの補陀落山寺へ行きたいわたしは、那智駅へ行きたいんですが、と
運転手さんに言ってからバスに乗り込む。結果的にこれがわたしを救う。
10分くらい経ってから、運転手さんが唐突に「那智駅ですよ」と停まってくれた時、
わたしは駅の気配も感じずに、ボーッとしていたから。
だって、「え、ここ駅ですか?」って感じの何もないところなんだもの。
このバスは駅の真ん前に停まるのではなく、駅を通り過ぎてから、少し外れで停まるらしい。
降り際に慌てて、補陀落山寺はどこですか、と訊いたら、
そっちのすぐそこです、と教えてくれた。民家に隠れて全然見えない。
駅も見えないし補陀落山寺も見えない。地図で見る限り、この辺は絶対迷わないだろうと
思えるところなんだけどなあ。やはり旅行は行ってみないとわからない。
たしかに、補陀落山寺は民家の角を曲がったところにありました。

思ったよりも小さい……。相当小さい。ここも昔は大伽藍だったそうだが。
だが内部の雰囲気は良かった気がする。もう詳細は記憶の彼方なんだけれども。
やっぱり写真とか撮ってこないと記憶はすぐ風化する。
そして写真を撮るとそこだけしか覚えていないようになってしまう。多少のジレンマ。

補陀落山寺は何が有名かというと、こういうことで有名。
たしか数年前に、井上靖の小説は読んだ。……井上靖だったろうか。谷崎潤一郎のような気がしてたが。
まあとにかく、自分では補陀落渡海を敢行する気になれない住職さんの話ですよ。
素直に読んで、普通にコワイ話ですよね。自殺を強制されるんですよ。オソロシイ。
でも住職になった時点でそういうものだってわかってるはずだから、
それが嫌ならそもそもこの寺の住職になるなって話ですが。
……こんなことを言っていたらミもフタもないな。

こういう船も残っているんだよ。いや、これは復元か。
この小さいところに入れられて、釘づけにされて……生きながらの水葬。
たとえ自ら死んでいくとしても、こういう方法はヤだよー。まだ溺死の方がなんぼかマシ。
心頭滅却して往生した人はいったいどれくらいいたんだろう。それを知る術さえないというのも恐い。
隣には浜王子神社。


ここはさくっと。
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バスを降りた時から気付いていたのだが、……雨が降ってきました。
だが……傘を持ってくるのを忘れた。コインロッカーの荷物の中に入れっぱなし。
たまたま、バスに乗る前は一時的に晴れてたからねー。
30分の間に弁当を食べたり足湯に浸かったり欲張るからだよねー。
効率の良さを自画自賛したのだが、こういううっかりがあってプラスマイナスゼロ。
普段極力、傘を持たない派なわたしでも、ちょっと無理な降りになってきた。
コンビニも見当たらないしなあ。どうしようか……。
実は、那智駅の近くにある建物が道の駅らしいのね。
……でもわたしが知っている道の駅とはどうも雰囲気が違う。
わたしのイメージする道の駅って完全に商業施設で、まあ場所にもよるけど、大きい駐車場に、
車はもちろん、大型観光バスがガンガン駐まって、地場産品のオンパレード。という場所なのよ。
でもここは……下手すると駐車場に一台も車がいないかもしれない。人の出入りは全くない。
そもそも入口が……向こう側なのか?どっから入るかわからないよー。
まあ他に傘を売ってるようなところも見当たらないので、仕方がなくそこに行ってみる。
中に入ると……ロビーと言えばロビーなんだけど、広いとも狭いとも言いにくい、
なんだか妙にがらんとした空間に、自由に休めるような大テーブルがぽつんと。
奥の方に、もしかしたらコーヒー(有料)くらい出しそうな喫茶コーナー。
右側手前に、相談窓口みたいなカウンター。一般の利用客はわたし以外いない。地味なことこの上ない。
2階は……公衆浴場があるらしい。
その部分だけは道の駅っぽいかな。でもこの場合欲しいのは傘なのよ。
どう見ても傘は売ってないだろうという相談窓口みたいなところに座っているオジサマに
「傘なんて……ありませんよね?」と訊いてみる。貸出傘なんてあればラッキーだが……
だって売ってるものが何一つないところで、傘だけを売ってるわけが。
「傘、ありますよ」
ええーっ!と、こっちから訊いたくせに驚倒し。「ありますか?」とだいぶ疑り深い再度の問い。
でもほんとにあったんです。いやぁ、訊いてみるもんだねえ。アリガタイアリガタイ。300円。
これで恐いものなし。大テーブルでめはり寿司の残りを食べ、
しばらく待って那智大社へのバスへ乗る。