デルフォイの基本情報。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4
無理やり日本で例えれば、伊勢神宮とか出雲大社のような存在になるのではないかと思う。
入場券を買おうとしてびっくり。
遺跡付属の博物館が、なんと14:45で閉館なんだって。
「は?」ですよ。遺跡自体は19:30までやっているというのに、その付属博物館が
14:45閉館ってなんでだ。人件費を考えたって、せめて17時だろう。
……わたしが遺跡に着いた時点で14:30。つまり博物館は見られませんでした。
おかしいぞ、ギリシャ。
チケット売り場のそばにいた猫。この猫はちょっと触らせてくれた。
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デルフォイ遺跡へ入ってすぐの所。これは“直前”の写真です。
何の直前かというと……雨。大豪雨。
写真じゃ見えないかなあ。まるでスコールのような雨が突然襲来。
慌てて木の下に避難する。しかし風向きが悪くあまり雨を防げない(^_^;)。
しばらく木の下にいた後見切りをつけ、今度は遺跡の壁に避難する。
壁は単に壁で、屋根とかはないんだけど、風が強かったので壁にぴったりと身を寄せていれば
木の下よりも雨はしのげた。でもホント、木の下から壁へ向かって走ってる時なんか
「溺れる!」と思ったほどの雨でしたよ。息を吸うと雨が鼻に入ってくるので呼吸も出来ない。
命の危険を感じた。
わたしを救ってくれた壁。写真を撮ったのは帰りですが、雨の痕跡もないですね。
雨は15分か20分続いたと思う。わたしは遺跡の入口にいたんだけど、
遺跡の奥から戻ってくる人々は、みんなぐしょ濡れ。パンツまで濡れてそうでした。
遺跡内は雨宿りする所もないしねー。山沿いで天気が変わりやすいのか……
雨が止んで「ふえ~……」へとへと。何しろ命の危険を乗り越えたわけですから。
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デルフォイ遺跡は……思ったより狭い。思ったより観光客がいない。思ったより急斜面。
なんかもっとひらけた所にある、ばーん!とした遺跡を想像していた。
古代、ものすごく栄えた神殿のはずだ。数多の都市国家が、神殿への奉納物を保管するため
それぞれ宝物庫を建て、それがずらりと立ち並んでいたくらい。
急斜面を登る道はつづら折りの坂道。しかしその道幅はせいぜい3メートルといったところ、
大勢の人が集まる場所にしては狭い。古代ギリシャ世界第一の神域にしては、
意外にこじんまりとした場所だ。
手前の半円形の部分は古代劇場跡、その向こうの何となく四角っぽい石組が、
デルフォイの中心であったアポロン神殿。
右側に小さく見える壁のある建物は、都市国家アテネの宝物庫の復元。
これより上には古代競技場跡がある。
静か。観光客は数えるほどしかいない。
アポロン神殿。昔はパルテノン神殿と同じような姿だったはず。
ここに仕える巫女が神託を伝えた……のだが、実際はトランス状態に陥った巫女の
うわ言のような言葉を、正気の神官が何とか通じる文章に変換して、人々に伝えたらしい。
しかも、その文章もどうとでもとれるような曖昧至極なものだったとか……
ま、予言なんてそんなものでしょうねー。
古代劇場。
ここで行われたのは、神への奉納としての演劇の上演なんだろうな。
神域のど真ん中にあるからには、単に一般人の楽しみのための娯楽施設だとも思い難いし。
日本の神社にも、神社によっては舞楽殿とか舞台があったりするが。
しかし規模は相当違いますな。
ちょっと全体像がわかりにくいけど古代競技場。
オリンピックだって、元はと言えば神事ですから、
デルフォイに古代競技場があるのはよくわかる。オリンピックより規模は小さかったが、
ピュティア大祭という同じような競技会が行われたそうだ。
この遺跡は好きだったなあ。
何しろ静かだし。昔の姿も想像出来る。バスに3時間乗っても来る価値はある。
……博物館も見たかった。
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ここから徒歩10分くらい離れて別の神域がある。こちらの祭神はアポロンではなくアテナ女神。
けっこう疲れていたので行こうかどうしようか迷った。
結局、行って写真を撮っただけ。ほんのちょっとしかいなかった。
中央部分は円形神殿。柱が3本だけ復元されている。
遺跡を17時頃出て、デルフォイの街へ戻りました。バスは18時発だけど遅れると大変だし。
……街へ戻る途中、また雨。あまり時間がなかったが、疲れていたし、店に入って一服。
18:10、バスにてデルフォイを離れる。また3時間かけてアテネへ。
そうそう、ここで買った本が、今回の買い物の中でわたしの一番のお気に入り。
文庫本ほどの大きさの、デルフォイのガイドブックの一種で
「デルフォイの昔と今」というようなタイトル。
面白いのは、今の遺跡の写真の上に、イラストが描かれた透明シートを重ねると昔の姿が見られる、
という仕掛けになっていること。なかなか良く出来ている。
今は真白な大理石のイメージしかないギリシャ神殿だが、当時は部分的に、鮮やかな赤や青などの
彩色がなされていたらしい。うーん、白一色だからこそ究極を感じるのだが……
まあ、侘び寂び的イメージが強い日本の神社仏閣も、奈良・平安時代の創建当時は
真赤な柱と緑色の瓦、という派手な色の組み合わせだったらしいしね。
でも、ついつい残っているもののイメージで固定しちゃうよなあ。








