
八重垣神社は神魂神社よりもはるかにメジャーな観光地。
ここは縁結びで有名な神社なんです。夕方でも若干観光客がいた。ほぼカップルね(^_^メ)。


この池に、紙の上にお賽銭を載せてそっと浮かべ、
沈むまで時間がかかれば婚期が遅く、すぐに沈めば婚期は早い。
遠くに流れていって沈めば遠くで結婚する。近くなら地元で結婚する。
という占いをするところ。
そのための紙は神社でお頒けしております。早い話有料。
まあわたしは昔来た時にやったから、今回はいい(^_^メ)。
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神社自体は普通にお参りしただけなんだけど、わたしはここに思い出があるんです。
――昔来た時。それも大変暑い季節だった。
たしか全行程(風土記の丘周辺にある神社六ケ所)歩いたから、相当にばてていた。
八重垣神社まで来て死にそう。お土産屋さんの中にちょっとした飲食スペースがあるので、
ここでかき氷でも食べて生き返りましょう。
かき氷を食べていたところ、話好きそうなおじさんが話しかけてくる。
だいぶワタクシ疲れておりましてね。見ず知らずの人の話を愛想よく聞く気分じゃないんですよね。
……しかし当時はわたしも若いもんだから、今のようにダメな時はダメッ!という態度も取れず、
おじさんのお話を傾聴する羽目になるわけです。
どんな話かというと、地元の歴史に関わる“新説”。
おじさん曰く、
この辺りの字名に大草という地名がある。これは実は大麻の古名で、
この辺りが栄えたのは、大麻を育てて他の邑と物々交換をし、豊かになっていったからだ。
うーん、まあ。あり得ない話じゃないけど。
たしかに大麻は古代において珍重されても不思議ではない。
巫女の神降ろしの忘我状態へ持っていくための導入剤でもあっただろうし、
鎮痛剤としても使われただろう。不思議な薬草ではあったろう。
しかしそれにしては、古代史の本を読んでも大麻の話なんてちょっとも出てこない。
南方系の植物だから、日本列島の中の暖かい地方には限られると思うけど、
そんなに栽培が難しいとも思えないし、他の地域でもどんどん栽培しててもおかしくない。
出雲だけに地名に大草とついて、そのために全日本の中でも特筆すべき繁栄をしたというのは、
地名くらいしか例証がないのであればそれはだいぶ無理がないか。
と、当時話半分に聞いていたのだが、……なんか今となってはそんなトンデモな話も懐かしくてね。
おじさんは、わたしの薄れかけてる記憶によると学校の先生を定年退職したという人だったかと思う。
暇を持て余していたんだろうなあ。相当に長話をして、わたしがじゃあそろそろ行きます、と
立ち上がってかき氷の支払いをしようと思ったら「あ、いいよ、お金は」。
実はおじさん、お店の人でした。カウンターにいたのは記憶では若女将みたいな人だったが、
苦笑していたイメージがある。
長話に付き合わされたわたしが気の毒なのと、かき氷代が入って来ないこと、どちらに対しても。
二十数年、ずっと記憶にあったんだから、インパクトのある説ではあったんだろう。
あるいはかき氷の恩がココロに沁みついていたとか。
出雲といえば風土記の丘が浮かび、風土記の丘といえば大麻のおじさんが浮かぶ。
年齢的には鬼籍に入っている可能性は高いが。
今回八重垣神社まで行って、やっぱりおじさんを思い出すわけです。
でも神社まで行っても、記憶に残っている佇まいの店はない。
敷地の手前に広めの駐車場があって、右奥にお店だった気がするのだが……
まあ二十数年経っているんです。建て替えられてても当然。
可能性としては隣のお土産屋さんの方があり得るか。とりあえず、中に入ってみる。
だいぶ新しい店で、色々カワイイ小物がありましたよ。
店オリジナルのお守りなんかもかなりの種類あったので、手広く商売をしてるんだろう。
ここなんだろうか。昔、わたしがかき氷をごちそうになった店は。
本当は、年配の人が誰かいたら訊いてみたかったんだよ。
二十数年前にこのお店には歴史好きのおじさんがいませんでしたかと。
その時に色々お話を伺ったんですと。
かき氷をごちそうになったんですと。
――でも実際には、バイトである可能性が高そうな若いおにーちゃんとおねーちゃんしかおらず、
(おじさんの孫……ひ孫?の可能性はゼロではないとはいえ)
わたしがそんなことを喋っても、そうなんですか、としか言えないだろう。
なので、しばらくお店の中で何か買うものがないかうろうろした後、黙って帰ってきました。
ほろ苦い……ビタースウィートな時間でした。過ぎ去った過去。あ、二重表現だ。
17:30過ぎの八重垣神社は、本殿正面の板戸が閉められて営業終了の気配。
中でお神楽をやっていました。覗いてみたかったけど、一応神聖なものだと思い遠慮した。
その後、バス停でバスを待っていたら、巫女さんや宮司だと思われる若い男女が、
「お疲れ様でした」と言い合いながらそれぞれ車に乗って帰っていった。
当然のことながら装束は着ていないので、普通の恰好で、普通の会社の退勤風景。
だよなあ、と思いながら見送る。
バスで松江駅まで帰りました。