東京/Tokyo:2013

5.武相荘へ。

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13:30に江戸東京たてもの園を出て武蔵小金井駅へ(幸福なことにバスで)戻り、
一旦新宿駅へ。新宿駅から小田急小田原線で鶴川駅下車。
目指すは武相荘。

武相荘とはこんなところ。

最近(というのはおよそここ7、8年くらい?)、白洲次郎が人気ですかね?
去年だか一昨年だか、NHKでしっかりしたドラマにもなっていたし。
だがわたしにとっては白洲次郎はむしろ、白洲正子の旦那なんですな。
わたしは正子の方と最初に出会っていた。

十数年前に図書館で。彼女の本を手に取った。
その時まで全く縁もゆかりもない、名前も聞いたことのない人だった。
そういう人の本を手に取るのは、わたしには珍しいこと。
たしか「雨滴抄」か……。彼女の随筆のベストエッセイを編んだものの、五巻か六巻組の一。

読んで、しかし遠近感が狂う。
本って、ある程度予備知識がないと立ち位置が混乱しませんか?
ミステリだと思っていたら青春小説だったり。エッセイかとおもいきや小説だったり。
書いているのは学者なのか、コラムニストなのか、小説家なのか。
味覚で例えれば、目かくしして何を食べてるか知らない状態で食べると、
味が全然わからなかったりするでしょう。
そういう状態。え、これ、なに?という相当な混乱。

そもそもこんなエラそうに物を書いているのはダレなのだ、というのが混乱の元。
こんなエラそうな人なら、文壇でもけっこうな位置を占めているだろう、しかしわたしは
この人の名前、耳にかすめたこともなかったぞ。という戸惑い。
それはその後何冊か、とりわけ「白洲正子自伝」を読むまで続きました。

なるほど。強烈に自意識を持って生きた人なんだ。
旅と古きものを愛し、美しいものと対峙する。
それはもしかすると、わたしが目指す方向と同じなのでは。
――という美しい?誤解のもと、彼女の著作はだいたい読んだ。
(そもそも今、白洲正子全集を4巻まで読んでいる。ので、これが20巻まで行けば全部ですな)

この人は、安全妥当なことを書かないんです。別にとんがったことを書くわけでもないけど。
本人が、ほんとに思ったことだけを書く。それは時に、幼かったり我儘だったりするけれども、
書き手の姿勢として、実は稀有なるものではないかと。

常識や知識で書きたくなるものでしょう、普通は。特に書いてることが骨董、仏像ならば余計。
知識で書いていれば、後ろ指をさされることもないのだし。
しかし彼女はそこで、考えたこと感じたことを書く。わたしが好きなのは、そういうところ。
潔い。書くことの精髄はここにある。

そんな思い入れがある白洲正子。
住んでいた場所が公開されているというのは、もうずっと前に知っていたのだけれど、
東京とはいえ端っこの方だし、そもそも東京にはあまり行かない。
いつかは行かずはなるまい……
そう思いつつ十数年。

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今回ようやく訪れることが出来て感慨深い。
小田急線鶴川駅に降り立った時にもう感慨深い。
正子が疎開して来た時、おそらくこのあたりはほぼ何もなく。多分畑が広がっていただろう。
東京の真ん中から、文字通りの田舎暮し。
まあ彼女らには英国貴族風カントリーライフの考えはあったと思いますが。

だが今は駅前にこじゃれたスーパーや学習塾がある、典型的なベッドタウン。
このスーパーで正子も買い物をしただろうか。
(彼女は15年前に亡くなっている。――もう15年も経ったか……!)
小さいバスプール。その一角に交番があり、人の良さそうなおまわりさんがこちらを見た。

地図を持っていたし、特にその必要はなかったんだけど、
持っていた地図を見せて、「武相荘はこっちでいいですか?」と聞いてみる。
待ちかねたように答えてくれたおまわりさんは、
「ほぼ同じものだと思いますけど、地図ありますよ」と渡してくれる。

わたしが持っていた地図は武相荘のホームページからダウンロードしたもので、
おまわりさんが渡してくれたのも同じ地図。
同じ地図を右手と左手に持って、微笑ましい気分になる。
あそこの交番のおまわりさんは何度も武相荘の場所を訊かれたんだろうな。
利用者の便宜を図って、駐在しているおまわりさんの誰かが「地図を用意していた方がいいな」って。
鶴川にとって、正子と次郎は地元の名士だろうからね。
おまわりさんの挙措にも、そこはかとない華やぎを感じる。

そして地図の通りに歩いて、武相荘到着。

駅から徒歩10分ほどだろうか。15:20着。
……到着まで前置きが長かったが、この後がまた長くなりそうなので、一旦ここで切ります。

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