本日はまず指月城を目指します。どこか床しいその名前。
ホテル真ん前のバス停にちょうど来たバスに乗り込む。
指月城。
ちなみに「しづきじょう」と読むとこのお城のことで、「しげつじょう」と読むと京都伏見指月にあった第一次伏見城のことらしい。日本語ムズカシイね。

美しい三角錐の指月山に築かれた城は、毛利氏13代にわたった本拠地。中国地方全域を領有していた大大名から、関ケ原の敗戦により長門・周防の2カ国に減封された。居城を選ぶにあたっては萩の他に山口、防府も候補ではあったが、幕府との相談の上、萩に決まったらしい。これが相談だったのか、徳川方による誘導だったのか、あるいは強制だったのか、意見は分かれる。
余所者から見ると、萩は位置的にはだいぶ交通の便が悪いとは思う。わたしはそれを徳川方による強制だと思っていたが、読んだ本によると「相談の上決まった」と書いてあり。その著者は長州側が主体的に選んだというニュアンスだった。でも「相談」が「顔色を窺う」という場合もあるしね。ちなみに山口市は位置はいいけど海がないこと、防府は港はあるけど要害の地がないこと、が難だったらしい。
そしてこのロケーションが今に残る城下町を作る。
指月山の麓にはなかなか広い敷地があり、昔はここに本丸・二の丸・天守が、今は庭園と志都岐山神社が残る。


まるで作り物のような白い椿。

海に面した部分は幅の広い石垣。こういうところは珍しい風景じゃないかなあ。指月城は海城と言えるんでしょうね。わたしは多分日本各地のお城・城跡を多分40カ所前後訪れたことがあると思うが、海城として思い出せるのは鳥羽城くらいだ。
山に囲まれた土地だなあ。河に挟まれた三角州でもある。地形的にはキュッと詰まった面白いところ。
だが江戸初期には海が防御力を高めたとしても、幕末の軍船と大砲の時代には、海に対しては丸裸だったと言わざるを得ないだろう。四国艦隊下関砲撃事件の時には苦労しただろうなあ……。大砲の射程距離も飛躍的に伸びたしね。

海の水を引き込んだ、美しい堀。

ここには1874年に解体されるまで、指月城の天守が建っていたらしい。写真がきれいに撮れてますね。写真術の初期でこれはかなりの完成度じゃないでしょうか。被写体が動かないという利点はありつつ。
指月山の頂上には砦的な部分もあったのだろうが、そこまで登るのに20分かかるらしいので止めておきました。一日のしょっぱなのここでそんなに疲れるわけにはいかないのよ。ただでさえ行きたいところ全部行けるかどうかというところなのに。
それでも、指月城には1時間強いました。やっぱりねー、見てて面白いお城だったんですよね。管理されている感が希薄で、遺跡の雰囲気も漂う。海も庭もある。石垣も掘もある。味わい深いお城でした。一日をここから初めて良かった。
ちなみにほとんど観光客はいませんでした。オフシーズンとはいえ、もったいないね。
萩八景遊覧船。
城を出た後、すぐそばの旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を見て(←長屋でした)、次に行くのは萩八景遊覧船。乗り場は長屋からすぐ。

ここは運河で、まずは南側の常盤大橋ー橋本川へと向かいます。そこから上流へ向かって、旧田中儀一別邸まで行って、折り返して乗り場まで戻って来る。そこで終わりかと思いきや、乗り場で降りずにそのまま先まで行って、指月城の横の海まで出てくれます。約40分のコース、1500円。
萩八景と言い条、この遊覧船で八景を回れるわけではありません。萩八景は何代目かのお殿様が、萩の景勝地を選んで絵師に描かせたというものだった気がしますが、萩の全体に散らばっていて、この船のルートには1つか2つしかなかったはず。

写真はどこがどこだか忘れたけど、多分最後の写真が田中儀一邸じゃないかと思います。

海から見た指月山もやっぱり美しい三角錐。この平らな島は「萩六島」というそう。
海に出てくれたのがうれしかった。河から海に出る経験は意外になかなかできるものじゃありません。

舟を降りたところでアオサギ。
アオサギに気を取られて、救命胴衣を着たまま帰りそうになりました。……いや、言い訳です。単にわたしがぼーっとしているだけ。
城を見て、船に乗って、なかなか充実した午前中でした。だが萩の観光エリアを考えると、11:30の段階でここまでの消化率で大丈夫だろうか。だからといっておざなりに見るのも違うしなあ。
自分の心のままに行動できる。ひとり旅の醍醐味です。

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