萩市の中心は明倫学舎とその南側の萩市役所のようです。バスの始点終点がそのそばの萩バスセンターに集中しているんですね。
この夕方に大照院へ向かう……
16:00。この時間に中心部から離れるバスに乗るのはちょっと不安だったが、まあ萩駅から1キロくらいだし、そんなに心配することもないでしょう。……と思ったのは甘かった。バスエンター近辺が栄えている場合、JR駅の周りが人通り少ないのはあるあるです。萩は典型的な町はずれの駅という感じで、住宅地ですね。
そしてそこからちょっとだけ離れた場所にある大照院はさらに郊外感がある。大きな病院と薬局がある以外は主に畑。薄暗くなった夕方の道を、大照院まで歩きます。

だがしかし!
ここへ行ったのは、東光寺(=奇数代藩主墓)だけ行って、偶数代藩主墓をスルーするのは申し訳なくないか……というリチギな考え方からだったが、なんと!墓所は工事中で入れませんでした!

写真で見るとまあ普通に撮れているだろうけど、これは立ち入り禁止の柵の間からかなりズームして撮ったもので、実際に見るとかなり遠いところにあります。見えない。せっかくここまで来たのに。当然他には誰も来ていません。少しバスの時間まではあり、ちょっと寒いと思いながらバス停で待つ。あまり車も通らず、日は落ち、人っ子一人歩かない。
そして最後に、野山獄。
バスは17:00に来ました。
ここから野山獄へ行こうかどうしようか迷ったのよねー。あ、ちなみに日はとっぷり暮れております。こんな暗いなか、行くのか?よりによって牢獄跡。ちょっとコワくない?
と、迷ったことは迷ったが、このままバスに乗っていればまあまあ最寄りのバス停で降りられることを発見する。そして野山獄からホテルまでは1キロ弱。途中でコンビニにも寄れる。まあ行きますか。行かないと心が残りそうだし。
そして行きました、野山獄!

ここは藩政時代の牢獄跡ですね。吉田松陰も高杉晋作も入れられていたところ。写真の方がなんぼか明るく映っており、肉眼で見ると暗くて何がなんだかわからない。
だがイメージしていたよりずっと開けていて、住宅密集地でした。まあ当時はこんなにおうちがあったのではないだろうが、それでも町はずれにしても町だったんだろうなあ。「蒼天の夢」というドラマで、野っ原のただなかに1人1つの牢屋が独立して建てられていたから、そのイメージで荒涼とした地を想像していた。多分あれはドラマとしてのロケ地の問題で、実は当時もそこまで野原じゃなかったんだろう。
……おお。改めて史跡由来を今さら読んだところ、酒を飲んだ岩倉という藩士が、隣家の野山という家を襲撃し、死傷者を出したことで両方ともおとりつぶし。その2つの家の敷地がそのまま牢獄として建て替えられ、野山獄は上士、岩倉獄は庶民の牢獄になったと。
もとはもう少し広かっただろうが、今は狭い敷地に慰霊碑が建てられている。吉田松陰が獄中ながら論語の講義をしたのがここです。刑場も併設されていたらしいし、やはり当時は殺伐とした場所でしょう。
仕事帰りの人が時折通る。もう少し日が残っていたら、多少は不気味さも薄れただろうが、暗い中で暗い慰霊碑を撮っている観光客はやはりご近所の方にとっては怪しい人だっただろうと思います。
萩最後の夕食。
そして本日もホテル内のダイニングまめださんで夕食。この2泊で都合3回こちらのお店でいただきました。結局、最初のランチで「海鮮丼・ステーキ定食・豚角煮定食」が気になって、この3食を食べるために通ったのよね。ランチじゃないので、価格は結局それより少し高めになりましたが。

角煮が好きなんだけれど、出してくれるところが少ないので見つけた時は逃したくない。タマゴもついてるのがうれしーよねー。その他に呉豆腐グラタンというものも頼みました。
東萩駅は、萩駅よりも多少は飲食店が多い気がするが、しかしたくさんあるというほどではなく。ホテルから出なくても済む、このお店があってくれて良かった。こんなに同じ店に通うことは珍しいんだけどね。
今日、萩を歩き回ってずーっと疑問に思っていたのが、町のあちこちにある柑橘類は一体なんなのかということ。11月の末に十分大きくて黄色くなっていたんだけど、……夏みかん?今、冬ですよね?夏が旬なんじゃないの?

思い余ってホテルのフロントの若い女性に訊いたんですが、どうもわたしの質問の仕方が悪かったようで、わたしの疑問がいまひとつ伝わらなかったようだ。でもたしかによく見かけるのは夏みかんで、この時期から4月5月までずーっと木に生らせたまま「熟成」(原文ママ)させるらしいよ。へー。もう立派な夏みかんに見えるけどねえ。あと半年放っとくんだねえ。
明日は萩を出て、仙崎へ向かいます。

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