今回山口に行くにあたって、森鴎外についての本は何冊か読んだんですよ。そのくらい読めば親しみが生じるかと思ったが、そんなんでもなかった。
頼むよ、鴎外。
そもそも鴎外の著作も前に何作か読んで、どーも馴染めなくてねー。わたしは漱石が好きで、つまらない方の作品も楽しく読むのだが、鴎外はあまりにも冷静でとっかかりがない。そして結局後期の作品はさらにとっかかりがない。とにかく地味で地味で――わたしは歴史小説を読もうとしているんだが、その歴史小説がほぼ無名の人についての地味な話なので(←「澁江抽斎」)、頼むよ、鴎外。と思いながら這うようにして読み終えた。
10年くらい前に、鴎外の子供たちに興味を持って合わせて十数冊読んでみたことがある。鴎外の子供たちは早世した次男以外みんなに著作があって、それぞれの視点から自分たちの父を書いている。――この子供たちの、鴎外への愛がものすごいの。
例えていえば、新興宗教の教祖に対する信者の熱愛。
子どもたちみんな「パッパ」が大好きで、わたしは森茉莉→小堀杏奴→森於菟→森類という順番でたしか読んだけれども、この中で於菟がまあまあ客観的に鴎外を描いている以外は、他の3人は「パッパはすばらしいわ!」「私はこんなに可愛がられたのよ!」「パッパ大好き!」……いや、もう引きますわ。あんまり盲愛過ぎて。
たしかに鴎外はほんとに子供を可愛がった人だったとは思うのよ。人間的にもかなり立派な人だったと思う。少なくとも身内に対しては。頼れる家長。しっかりした跡取り息子。
……しかし今回読んだ関連書で、お母さんがかなりスパルタで支配的だったと読んだ。これは意外にも思ったし、よく考えてみれば頷けることがある。彼がいつも寂しそうな顔をしているのは、母からの圧によって育てられた側面があったのかもしれない。期待に応える能力を持った神童。
だがむしろ応えすぎた側面はあるのかもねえ。社会的な成功を求めすぎなければ、この人は研究者として生きるのが一番だったかもしれない。そうすれば文学者との二足のわらじも履きやすかっただろうし。でも宮仕えの道を歩いたことで苦労は増えた気がする。そして宮仕えの道を選んだことは、親の意向というのも大きいのではないかと感じる。
鴎外旧居。
そんな鴎外の旧居がこちらです。

なんの変哲もない一軒家。ここは鴎外が(左遷の意味のある)小倉勤務時代に住んだ家。お手伝いさんがいたっていったかな?暮らしやすそうな家でした。

この銅像はわたしの鴎外のイメージとは違うんだけど……どうですか?
旦過市場へ。
そこから旦過市場へ行ってお昼にします。

ここでわたしは「うにまん」を食べたかったのだが、見つかりませんでした。……あれっ?
うにまんは小倉じゃなかった?門司港?ええっ!

しまった……。すっかり旦過市場にあるものだと思い込んでいた。門司港のものなら旦過市場にはないやんかー。食べたかったのにー。
まあヨイ。揚子江の豚まんは食べたもの!これと味付玉子がこの日のお昼。だが座って食べるところが(少ししか)なかったので、落ち着かなかった。どっかの手すりに半分腰掛けて食べた気がする。そういう場所があるといいね。
モノレールに乗ってみる。
妙に執着しているモノレールにも乗ってみる。ほんの一駅だけ。

あっという間だったけどモノレールで駅の建物に入って行くのは面白かった。
14:00過ぎに小倉を離れ、門司港へ向かいます。電車で12分。340円。小倉と門司港、同じ宿にして2連泊にする手もあったけれど、今回は細かく刻みました。まあでもやっぱり1泊ずつの移動は疲れます。

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