全体的には特に好きというわけじゃないけど、この一枚(あるいは数枚)は好きだ、という画家がいます。まあだいたいの画家はそうかもしれない。作家もそうですけれども。
横山大観。
数十年前は「日本画といえば横山大観」という時代が(多分)ありました。
この人、多作で富士山の絵を描きまくったんですよね。一説によると2000枚以上らしい。89歳まで生きた長命の人だったので、画業70年として平均すると1年で30枚ほど。一体どれほど描いたんだ!
わたしは正直言って、同じテーマでたくさん描く画家は好きではありません。「誰それの〇〇」として有名になってしまうと、多少へなちょこな絵でもそれなりにもてはやされてしまう。たとえば「モネの睡蓮」のように。モネが睡蓮を描いたからといって全部が全部いい出来というわけじゃないのに、モネの睡蓮というだけで。
そういう意味では横山大観も「大観の富士山」という名前がついてしまっています。本人が好きで描くのだから(あるいは売れるから描くのだから)、それは本人の自由なのですが、ちょっと食傷してしまう。全体としてみればいろいろなタイプの絵を描いた、いい絵もたくさんある画家なのですがちょっと苦手です。
でもこの絵は好き。
横山大観「屈原」
Yokoyama Taikan - Catalogue, パブリック・ドメイン, リンクによる
中国の故事をテーマにした歴史画です。
屈原とは。
屈原は昔々の中国・楚の国の人。硬骨漢で、誠心誠意、王様に仕えた。国の危機にあたっていろいろ進言するんだけれども、人を見る目がない王様はそれを受け入れない。そのうちに敵対勢力にあることないこと言われて失脚し、僻地へ左遷されてしまう。
心破れて、何とかっていう川のほとりをさまよっていると、そこで魚をとっている漁師に遭った。漁師に「なぜあなたのような偉い人がこんな田舎を歩いているのか」と訊かれ「世の中がみんな濁っているのに、私一人だけが澄んでいる。世の人がみんな酔っているのに、私一人が醒めている。だから失脚したのだ」と答える。
漁師はわらって「みんなが濁っているのなら、あなたも濁ればいいではないか。みんなが酔っているのなら、あなたも酔えばいいではないか」といい、静かに船は離れていく。
屈原は国の将来に絶望し川に身を投げて死んでしまう。その絶望と怒りをこめた詩を後に遺して。
……この屈原がねー。哀れでねー。
愚かな王を導くのなら追従もしなければならないし、嫌いなヤツとも付き合い、根回しもしなければならない。――簡単にいえばうまく立ち回らなければならないのに、そういうことが出来ない、屈原は不器用な人だった。不器用で誠実――でもそれは決して美点ではない。生き馬の目を抜く政治の世界で生きているのならば。
詩人でもある屈原は、そういう器用なことは出来なかった。漁師がアドバイスしたようには、水が器に合わせて形を変えられるようには生きられなかった。正しいと信じて我が道を行き、結局自分の身も自分の国も救えなかった。まっすぐで脆い。
その不器用さが。哀れだ。
自分の影を屈原に映す。
横山大観の絵には、この屈原の姿が共感をこめて描かれていると思います。
川のほとりをさまよう姿。心の茫漠たる様子。質素な衣で足取りもおぼつかなく歩く屈原は、もう自分を手放しかけていたのでしょう。
この絵を描いた頃の大観も逆風の中にいたはずです。師匠である岡倉天心とともに画壇の主流派と袂を分かった時期でした。少数の同士と日本美術院を作り、東京から遠く離れた茨城県五浦海岸にあった岡倉天心の別荘で創作に打ち込みます。
五浦は風光明媚な地で、日本画の画題には困らない場所だとは思いますが、経緯からいえば都落ちの感は否めなかったでしょう。心が弱った時にはふと、屈原の境遇と自分を重ね合わせたこともあったはずです。
世の中みな濁れども、我一人清めり。
同一視もあり、正直かなり美化されていると思いますが、屈原の絵として日本にこれがあることは佳きことなり。中国の人にも見てもらいたいなあ。
多作家、大観。
大観はいったい絵を何枚描いたんでしょう……。ちょっと数はわからないけれども、相当に多作家だったと思います。富士山の絵だけで2000枚描いたとしたら、倍としても4000枚。
なお、大観の「多作家」のイメージは贋作者が多数いたからという理由もあるようです。昔、大観を名乗って田舎のお金持ちの家へ逗留し、作品を一枚二枚残して去るという画家が複数人いたそうです。そのため偽物も数多いらしい。
わたしが「食傷するほど」と感じた数の多さはそういうことも関係しているのかな。全世界民総発信の時代には大観本人の偽物は無理ですね。
今では日本庭園で有名になった島根県安来市の足立美術館も、元々は横山大観の絵を礎にして出来たそうです。ここだけで130点の大観があるということです。足立美術館に行った際は、庭だけではなくて日本画・陶器もお忘れなく。
ここはうっかりしていると庭を見るだけで相当な距離を歩くことになるので、日本画を見る体力を残しておいた方がいいと思います。最初に絵を見た方がいいかもしれませんねー。庭を見てからだと疲労困憊……
数にめげずに。
横山大観「秩父霊峰春暁」。
Yokoyama Taikan - self-scanned from museum brochure, パブリック・ドメイン, リンクによる
この絵は見ていて気持ちがいい。大観かー、という先入観を持たずに見るといい絵がたくさんあります。……という言い方もなんですけど。食傷するほど実際は見てないんですよね、きっと。
名前で差別をせずに(しがちだが……)見たいと思います!
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