おそらく日本人が一番人気の画家であろうモネ。テレビ番組も頻繁に作られるし、画集や関連本なども多数あります。しかしその中で、取り上げられてもいいと思うのにほとんど触れられない点とはなんでしょう。
それは、数ある「睡蓮」の中でどれが一番いい睡蓮か?ということ。
いや、一番いいという表現は不適当。絵に「一番好き」はあっても「一番いい」はない。しかし睡蓮には「いい睡蓮」と「そうでもない睡蓮」はあると思う。これは「ぶらぶら美術・博物館」でおぎやはぎがよく言う「これは良いモネだねー」「これは悪いモネだねー」というのに影響を受けているかもしれません。
「睡蓮」をどのようにとらえるか?
モネの睡蓮をどのように考えればいいのか、以前から迷っていました。モネの睡蓮は――たくさん描かれた睡蓮の多くは、デッサン、習作だと捉えればいいんですかね?
それならあの数の多さもまだ理解出来る。日課として家の庭のしかるべきところへキャンバスを立て、光と水を写生し、そこで自分の内面にいろいろなものを蓄える。ここぞというところでその材料を吐き出し、作品を一つ作り上げる。
そういうものならすっきり納得出来るのですが……でもモネの作品は習作と本作の区別がない気がする。モネ目線からいえば、日常的に描いた絵なら習作と本作という意識もないだろうし、あえて区別する意味もないけど。
……なぜわたしが区別したいかというと、余計なお世話ながら、「モネの睡蓮」だったらなんでもありがたがってしまう全世界的風潮に納得いかないからです。
そりゃまあ、たしかにモネの睡蓮があったら、どこの美術館でも「うちにはモネの睡蓮がありますよ」と言いたいでしょう。そう言いたいがためにちょっと無理して買うこともあるでしょう。そしてそのためにモネの睡蓮の価値が上がって、最終的に「モネの睡蓮でさえあれば」十把一絡げにどんなものでも評価されてしまう。そこが納得出来ない。
いやいや、モネの睡蓮にだって駄作から名作までいろいろあるはずですよ。睡蓮ってだけでありがたがってはいかん。
まあモネが睡蓮を描き続けること自体は状況的に不思議はないんですけど。たくさん描こうと思って睡蓮の庭をわざわざ作ったのだし。後年、外出がままならない体になってからは身近にある庭は良い画題でした。
数が多すぎて区別が出来ないことが問題。
ただしそれはそれとして、やはり数が多すぎる。
「モネの睡蓮」ということで有難がってしまうのは、数が多すぎてどれがどの睡蓮か、という区別がつきにくいことが根本原因だと思います。なにしろ200枚以上あるそうですからね……。考えてみれば、モネの睡蓮に「〇〇の睡蓮」という異名(?)はあまり聞いたことがないんですよ。
たとえばダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」は似たような絵が2枚あります。片方はルーブルにあり、もう片方はロンドン・ナショナル・ギャラリーにある。この2枚はよく比べられて優劣をあげつらわれるのですが、これは「ルーブルの」「ロンドンの」とちゃんと区別が出来るからこその話です。
もっと枚数が多い絵、たとえばゴッホの「ひまわり」は7枚。でも7枚程度なら個別認識も可能です。これもどの「ひまわり」が好きか、自分なりに考えてみることが出来ますよね。
が……200枚もあると、個別認識はなかなかに困難。異名をつけることも難しい。大きい美術館になると何枚もモネの睡蓮を持っているのですから。
これは美術評論家の方に、主な睡蓮作品にはぜひ個別認識が出来るくらいのあだ名をつけて欲しい。そうでないとわたしのような素人には一枚一枚の区別なんてつけようもなく。作品として個別認識が出来ないと話も深まらないんじゃないかなあ。
「睡蓮」の個別認識は難しい……
個別の「睡蓮」を覚えるのは難しい。200枚(300枚という意見もある)を覚えるのは専門家にもなかなかできないことなんじゃないでしょうか。ゆえにもうそこは諦めましょう!無理!出来ない!
仕方ないからおおまかなパターンに分けましょう。
1.花自体を描いたもの
2.水面を描いたもの
3.橋を描いたもの
たとえば、1.花自体を描いたものはこれですね。
ロサンゼルス・カウンティ美術館にある一枚。
2.水面を描いたもの。これが数的には一番多そう。
山形美術館の睡蓮。
3.橋を描いたもの。これは睡蓮というよりは日本の橋というジャンルじゃないだろうかと思いますが、どうやら睡蓮といった時には数えることになっているらしい。
ニューヨークのメトロポリタンにある睡蓮。
わたしは花自体を描いたタイプが好きかなー。シンプルで。でも睡蓮の真骨頂は水面を描いたものでしょうね。バリエーションも多いし、一番追求出来る画題。
「睡蓮」は美術館で覚えることにしますか。
おすすめの一枚を見いだせない代わりに、おすすめの「睡蓮」がある美術館ならなんとかなるかも。睡蓮は同じ美術館に複数枚あることも珍しくないから、一枚一枚を覚えることは無理なんだけれども。
オランジュリー美術館の「睡蓮」たち。
睡蓮といったら間違いなくパリのオランジュリー美術館。なにしろここには「睡蓮」の集大成ともいえる8枚がありますからね!
晩年には超大家になっていたモネは、その集大成を国に寄贈することを申し出ます。その大作を受け取るに当たって、国は専用の展示室を設計します。モネの意見も聞きながら。そうして出来上がったのがオランジュリーの睡蓮の間。
細長い楕円形の部屋が2部屋、8の字に連なる構造になっており、その壁に巨大な絵が全部で8枚飾られています。
絵は縦はすべて2メートル。横は最小のもので6メートル。最大のサイズでは17メートル。これは……気分的には絵というより壁画ですね。「大睡蓮」と呼ばれたりもします。巨大絵巻物。楕円形の部屋なので絵も曲面になっています。
基本的には各部屋の中心部に立って、周囲の絵を鑑賞する形。これは一枚ごとに名前がついていて、「日没」「雲」「緑の反映」「朝」「樹木の反映」「朝の柳」「2本の柳」「明るい朝の柳」の8枚。
ただしこの部屋、誤算といえば誤算があるんですよね。それは鑑賞人数。部屋の真ん中あたりから壁の絵を鑑賞することを想定していますから、昨今の見学者数では存分に鑑賞するのはなかなか難しいのではないでしょうか。
わたしが見たのは相当昔の話で、その時だって30人や40人くらいはいた筈。でもその程度ならかろうじて鑑賞者は中心部に集まれる範囲で、そこに置かれたソファに(あるいは床に)座って鑑賞が出来ました。おかげでかなりじっくり見ることが出来て、今となってはありがたい経験だったと思っています。
わたしはこの8枚の中で「朝」が一番好きかなー。それとも「緑の反映」かな。柳は幹が太すぎて、そこで絵画として切れてしまう気がしたんですよね。でもパソコン上の縮尺で見ると、「明るい朝の柳」も良い感じ。
睡蓮を見るならオランジュリーは外せないですね。
パリのマルモッタン・モネ美術館。
何しろ美術館の名前にモネがついているくらいですから、モネ作品が充実しています。「印象・日の出」もここにあるらしい。
ここの睡蓮自体はそこまで、だろうか……。マルモッタン美術館はモネ作品がたっぷりあるので、睡蓮を目当てにせずに見るのもありかも。……それって今回の趣旨とは真逆だなあ。そもそもいい睡蓮とそうでもない睡蓮を区別したいという話なのであって。マルモッタンの睡蓮はそうでもない睡蓮の可能性が高いかなあ……
京都・アサヒビール大山崎山荘美術館。
近年行った大山崎山荘美術館にはけっこういい睡蓮がありました。
5枚の睡蓮があったんですよね。その中のこの2枚が好きでした。これはいい睡蓮。
ここは元々は加賀正太郎という実業家が別荘として建てたところで、その頃に収集したコレクションをメインに展示している美術館です。邸宅型美術館。規模はそれほど大きくありませんが、なかなか趣味のいい工芸品が揃っています。
モネの5枚は山荘本館ではなく、新しく建てた地中館に展示されていました。これは安藤忠雄設計。長い階段を降りていって、地下の展示室で絵画を見るという形です。落ち着く。
倉敷・大原美術館。
大原美術館の睡蓮は、美術館の設立に重要な役割を果たした洋画家、児島虎次郎がモネ本人から買ったものだそうです。虎次郎はモネのジヴェルニーの自宅を訪ね、日本人のために是非あなたの作品を譲ってほしいと熱弁をふるったそう。モネも親日家ですから、快く引き受け、手元で保管していた何枚もの睡蓮の中から一枚を選んでくれたそうです。
徳島・大塚国際美術館。
正確にいえば、ここにあるのはモネの絵ではありません。オランジュリーにあるモネの大睡蓮を等倍で写真に撮り、それを陶板に焼き付けて原寸大で展示してある。
でもこの陶板画はかなり精度が高いですし、太陽の下で見られるモネというのも珍しいですし、陶板画の裏側は睡蓮をメインにしたちょっとした庭園で、なかなか面白いところです。色の再現としては実物よりもかなり明るめかもしれません。ちょっと変化球として見る価値があるかも。
ザ・睡蓮を探しましょう。
結局モネ業界の最大の難問、ザ・ベスト・オブ・睡蓮はなかなか手がかりがなく、目下のところは解けません。まずは個別認識が出来ないとなあ……。でも200枚ある睡蓮の区別はなかなか難しいです。区別が出来ないとこの一枚、ということも出来ない。200枚全部見られる人もめったにいるまい。
しかし今後睡蓮を見る際は、最初から数の中の一枚としてではなく、ベストな一枚と巡り合える期待を持って見ようと思います。それもまた絵の楽しむ方法の一つ。ともすると「ああ、睡蓮ね」と通り過ぎてしまいそうになりますが、ちゃんと見ると良い出会いがあるかもしれません。
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