いよいよ混迷の度を深めるバロック以後の美術です。誰が混迷の色を深めているかというと、それはわたしだ。さっぱりわからない。
ロマン主義がつかめないんです……!
ロマン主義だと言われる画家たち。だが、しかし……
ロマン主義に分類される有名な画家は以下の通り。
ゴヤ
ジェリコー
ドラクロワ
ウィリアム・ブレイク
ウィリアム・ターナー
ギュスターヴ・ドレ
カスパール・ダーヴィト・フリードリヒ
……が、この人たちにいったいどんな共通点があるというのか!みんな全然作風が違うじゃないか!
ゴヤは単独でもワケワカラン画家だからひとまずおくとして、ジェリコーとドラクロワは「事件」を描いた共通項はあるとして、ブレイクとドレは挿絵画家というイメージが強く、ターナーは印象派の前駆としてのイメージが強い。
フリードリヒは、わたしのなかではロマン派!という気がする画家ですが、今一つ有名じゃない。
……ないんかい!
混乱したところで、こんなページを見つけました。
この説明の前半は小難しくてよくわかりませんが、後半に実にわかりやすく書いてありました!
ロマン主義とはいわゆる造形活動上の様式概念ではなく、作家の制作態度にかかわるものであるので、特定の形式や統一的様式はもたず、またロマン主義に含まれる作家に様式上の共通点は見られない。
――共通点、ないんかい!
もう、そんならそうと早く言ってよ!ないものを一所懸命探しちゃったよ!長年、混乱していた部分がようやく晴れました。共通項、ないんだ。ないものを探しても、ないものはないんだ。
平易な言葉で一応の定義づけをするならば、ロマン主義は「個人の感情のほとばしり」でしょうかねー。全てにあてはまるものではないけど。画家の濃厚な「気分」。
それまで画家自身の意見表明としての絵というものは存在しなかったように思います。しかしロマン主義で画家は自分の意見を絵で表すようになった。それに伴って描かれるテーマも変わりました。
実際の事件
エキゾチシズム
自らの感情
中世以降の物語
同時代の創作物
などは、それまで描かれなかったテーマだと思う。
ギリシャ・ローマ時代には神様・偉い人・理想的な人体というテーマを追求し、中世はキリスト教ばっかり、ルネサンスになって宗教に加えて、ギリシア神話も人気あるテーマになり、エライ人はこぞって肖像画を描かせるようになる。
バロックでそれに加えて装飾的な要素が加わってきて、風俗画も出てきた。ロココでさらに装飾的になり、それに対して新古典のきっちり感。そこからさらに枝分かれしてテーマが細分化していき……ロマン主義まで来ました。
理想をめざしてきた絵画というものが、個性を目指すようになる過渡期です。
ロマン主義の代表はどの画家?
共通項がないと言われる分野で代表的な画家というのも若干の矛盾を感じますが、個人の気分を濃厚に醸し出す画家ってことですよね。
うーん。やはり、
ドラクロワ。でしょうか。
それに加えて、カスパール・ダーヴィト・フリードリヒ。を挙げたい。
そして、謎のゴヤ。
この3人かなあ。
ドラマチックな、ドラクロワ。
ウジェーヌ・ドラクロワ、フランスのロマン主義の画家です。名前の「ウジェーヌ」はどうも女性名のイメージがある……。マドレーヌやシモーヌが女性名なのになぜウジェーヌが男性名なのか。ちなみに女性名になると「ウージェニー」になります。ナポレオン3世の皇后がウージェニーでしたね。
ドラクロワは新古典主義のアングルとバチバチやりあったことで有名。伝統を重んじる新古典主義と、個人の主観を重んじるロマン主義の対立と言われています。
ただ、アングル自身にも大いにロマン主義的傾向はあったのではないかという声も。ですよねー、アングルの代表作「オダリスク」はエキチシズムのテーマですもんね。
ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AF" class="extiw" title="w:ja:ウジェーヌ・ドラクロワ">ウジェーヌ・ドラクロワ</a> - <a rel="nofollow" class="external text" href="http://www.1st-art-gallery.com/Eugene-Delacroix/Liberty-Leading-The-People-28th-July-1830.html">This page</a> from <a rel="nofollow" class="external text" href="http://www.1st-art-gallery.com/Eugene-Delacroix/Eugene-Delacroix-oil-paintings.html">1st-art-gallery.com</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
「女神」とついているので神話がテーマか?と一瞬思いますが、これはフランス革命を描いた……と書こうとして、重大な勘違いに気づきました。
わたしは今の今まで、「フランス革命」だと思っていた!マリー・アントワネットが処刑された時。でもこの絵は「フランス7月革命」を描いた絵だそうです。フランス革命は1789年、フランス7月革命は1830年。だいぶ時代が違います。
ああ、じゃあ「レ・ミゼラブル」の時かと思うとそれもハズレで「レ・ミゼラブル」の舞台は1832年の「6月暴動」らしい。この辺の歴史の流れはさっぱりわからないなー。
ともあれ、1798年生まれのドロクロワにとって、7月革命はまさに同時代の出来事。同時代の出来事を絵画の主題として取り上げる。これもまたロマン主義になってからの話だと思います。絵によるジャーナリズム、風刺画の萌芽といえるでしょう。
ドラクロワ「サルダナパールの死」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AF" class="extiw" title="w:ja:ウジェーヌ・ドラクロワ">ウジェーヌ・ドラクロワ</a> - <a rel="nofollow" class="external free" href="http://cgfa.sunsite.dk/delacroi/p-delacroix22.htm">http://cgfa.sunsite.dk/delacroi/p-delacroix22.htm</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
これは歴史画。というよりバイロンの戯曲を基に描かれた絵だそうなので、同時代の創作物に刺激を受けた作品といった方がいいでしょう。
その元の戯曲も、サルダナパールもちょっとよく知らない人ですが、絵の場面としては紀元前5世紀頃のアッシリア(中東にあった国)の王であるサルダナパールが、敵方に攻め込まれる寸前、敗北を覚悟して愛妾たちを殺し財宝に火を放った場面を描いたものだそうです。
左上で冷然と寝そべっているのがサルダナパール王。左下では王の愛馬も殺されています。物語性のある、激しい絵ですね。
どこかはっとさせる、カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ。
日本ではそこまで有名ではないと思うのですが、ドイツの画家では4本の指に入る画家かと思われます。……わたしがドイツの画家を4人しか知らないので。ヒトラーを含めるとしたら5人ですが。
フリードリヒはわたしはここ十数年で知りました。意外に好きなんですよね。テレビで特集を組んでくれないかなー。
フリードリヒ「氷の海」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92" class="extiw" title="w:ja:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ">カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ</a> - The Yorck Project (<span style="white-space:nowrap">2002年</span>) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Commons:10,000_paintings_from_Directmedia" title="Commons:10,000 paintings from Directmedia">DIRECTMEDIA</a> Publishing GmbH. <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ISBN" class="extiw" title="ja:ISBN">ISBN</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Special:BookSources/3936122202" title="Special:BookSources/3936122202">3936122202</a>., パブリック・ドメイン, リンクによる
10年ほど前でしょうか、この絵をテレビで見た時は衝撃的だったんですよねー。それまで見たことがない絵な気がした。
寒色系とはいえ、色彩的にはかなり明るい絵です。空は曇っていますが十分に青く、光が当たった氷が輝くよう。――しかしよく見てみれば、画面の右、氷の山の脇に埋もれているのは船の残骸です。氷に閉じ込められた廃船。乗組員の暗い運命を想像させます。
水が氷になって、船の周りをふさいでいくのを見ている時の気持ちはどんなだろう。陸から何百キロも離れたところで。水であるならどこまででも進んで行けるのに、凍ってしまったらそこは牢獄。逃れられず、じわじわと命の終わりが迫る。
フリードリヒ「教会のある冬景色」
Von <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/de:Caspar_David_Friedrich" class="extiw" title="w:de:Caspar David Friedrich">Caspar David Friedrich</a> - Ursprung unbekannt, Gemeinfrei, Link
フリードリヒの風景画は全体的にはもっと暗いものが多いようです。画家の人生は家族を次々に失うという不幸なものであったそうですし、人生の後半にはうつ病を患い、自殺未遂を起こします。
そう思ってみるとこの絵も、単に静かな雪景色というわけではなく。が、手前のもみの木に当たる光の明るさが救ってくれると思うんですよね。暗い絵が多いわりには光は明るく、自分の苦悩に沈み込んだだけではない、救いもあるような気がします。
フリードリヒ「グライフスヴァルド近郊の草地(Wiesen bei Greifswald)」
Von <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/de:Caspar_David_Friedrich" class="extiw" title="w:de:Caspar David Friedrich">Caspar David Friedrich</a> - 1. The Yorck Project (<span style="white-space:nowrap">2002</span>) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Commons:10,000_paintings_from_Directmedia" title="Commons:10,000 paintings from Directmedia">DIRECTMEDIA</a> Publishing GmbH. <a href="https://de.wikipedia.org/wiki/Internationale_Standardbuchnummer" class="extiw" title="de:Internationale Standardbuchnummer">ISBN</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Special:BookSources/3936122202" title="Special:BookSources/3936122202">3936122202</a>. 2. Ursprung unbekannt, Gemeinfrei, Link
こんなに平和な絵も描いています。数は少ないですが。イギリスの牧草地を思い出すなー。好きだなー。
このグライフスヴァルドというのはフリードリヒの故郷。こんな平和なところでなら幸せに暮らせたのではないかと思わせるような場所。
――というように、絵の背後を想像させるのがロマン主義の代表としてフリードリヒを推したい由縁。
そして、不思議のゴヤ。
ロマン主義の画家としてドラクロワと双璧をなすと思われるゴヤですが、わたしはこの人、すごく不思議な人だと感じます。
だって、あまりにもいろいろな絵を描きすぎていませんか?
ゴヤ「カルロス4世の家族」
By <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ca:Francisco_de_Goya_y_Lucientes" class="extiw" title="w:ca:Francisco de Goya y Lucientes">Francisco de Goya y Lucientes</a> - <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/la-familia-de-carlos-iv/f47898fc-aa1c-48f6-a779-71759e417e74?searchid=eae9bb90-e0c4-d37c-1c4d-bde461d00ae7">Museo del Prado</a>, Domini public, Link
この絵は見ての通り、王とその家族の肖像。宮廷画家として王道のお仕事ですね。
しかし素直にいえば、王としてはあまりにも威厳が感じられない。後世、この絵を見た人は「パン屋とその妻」と言っています。……うん。そう言われてみればそんな気がする。少なくともこの王妃が慈愛と威厳を持って国民の尊敬を集めていたような気はしない。そのへんのおばちゃんですがな。
そんなところから、ゴヤはこの絵に「権力への諧謔」をこめたと言われたこともあったそうです。
でもそれは無理だと思うんですよねー。民間の画家がこっそり勝手に描いたならば万に一つそういう可能性があったとしても、宮廷画家が王の家族をあえて滑稽に描いたとは思えない。あまりにも博打でしょう。生活の糧を失うどころか罰まであり得る。
絵が残っているということは、その絵を見た王が受け入れたということです。ということは実際より著しく劣って描かれてはいなかったのではないでしょうか。
でも、王よりも王妃を中心にして描いたのはたしかでしょう。この絵を見る限り、かかあ天下で間違いない。王さまの影の薄いことよ。子どもたちはみんな可愛いですけどね。
ゴヤ「アルバ女公爵」
By <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ca:Francisco_de_Goya_y_Lucientes" class="extiw" title="w:ca:Francisco de Goya y Lucientes">Francisco de Goya y Lucientes</a> - Desconegut, Domini public, Link
この絵の生硬さというか、硬さが……
ぎこちない感じがしませんか?たとえていえば、ずっと後の画家だけれどもアンリ・ルソーの生硬さと似通うような。今までの絵画が目指して来たもの――今にも動き出しそうな、動きを写すことを目的とした絵とは全く方向が違う。ある意味で紙人形のような絵。
が、細部を見ると意外なほどに描きこんでいます。むしろ細部をこんなに描いて、全体があれほど硬くなるのが不思議です。髪型とか、ドレスのデザインとか、プロポーションとか、紙人形っぽくなる要素は数々あれども、もっと普通の描き方もあったと思う。
しかしゴヤはこんな風に描いている。不思議。
「アルバ公爵夫人」と言われることが多いですが、この人は自分自身が公爵位を受け継ぐ立場だったから、女公爵の方が正確かもしれない。公爵夫人だと公爵の配偶者という意味で、他所から来た人だと勘違いをする。
ちなみに本名はマリーア・デル・ピラール・テレサ・カイエターナ・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド。スペインの人はみんな名前が長いんですかね。 ピカソも長いしね。
アルバ女公爵はゴヤと肉体関係があったとかなかったとか。アルバ公爵邸にもゴヤのアトリエがあったそうですから、関係性は近かったでしょうね、間違いなく。
ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」もこの人がモデルだと言われています。放縦な女性だったらしい。「パン屋の妻」:王妃マリア・ルイサと仲が悪く、社交界ではお互いに張りあっていたそうです。王妃といえども外国から来た人であり、地元スペインの由緒ある貴族であるアルバ家としては、負けるわけにはいかなかったのかもしれません。
ゴヤ「マドリード、1808年」
<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg" title="File:El Tres de Mayo, by Francisco de Goya, from Prado in Google Earth.jpg">El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg</a>: Francisco de Goya
derivative work: <a href="//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Papa_Lima_Whiskey_2&action=edit&redlink=1" class="new" title="User:Papa Lima Whiskey 2 (page does not exist)">Papa Lima Whiskey 2</a> - このファイルの派生元: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg" title="File:El Tres de Mayo, by Francisco de Goya, from Prado in Google Earth.jpg">El Tres de Mayo, by Francisco de Goya, from Prado in Google Earth.jpg</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:El_Tres_de_Mayo,_by_Francisco_de_Goya,_from_Prado_in_Google_Earth.jpg" class="image"></a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
そしてこんな絵も描く。前二者とは雰囲気もテーマもまったく違う。
これはゴヤと「同時代」の事件です。家の前で起こった事件を絵にしたと言われるほど(真偽不明)。絵が描かれたのは1814年でした。
マドリード市民の蜂起に対して、鎮圧するフランス軍の図。この時は400人以上のスペイン人が処刑されたそうです。この絵の中央の人物の右手には聖痕があります。聖痕とはキリストが磔にされた時の傷。処刑された人々を殉教者として描いているわけですね。
……この人物のプロポーションが昔から変だなあ、と思っていましたが、この人は膝をついているんだそうです。もし立ち上がったら相当の巨人になります。手前のフランス兵と比べると遠近感が崩れるほど。聖痕もプロポーションも、マドリード市民の英雄性を表すためのシンボルだそうです。
スペイン人であるゴヤが、フランス軍に射殺される市民を描く――そこにある怒りは非常にわかりやすい気がしますが、実際のところはそんなに単純なものではないらしい。
この時の暴動は、スペイン民衆VSスペイン王党派+王党派と組んだフランス軍という図式だったそうです。そしてゴヤは宮廷付き画家だった人。この人は、事件当時にどっち側の立場にいたのか。王党派か民衆派か。
わたしの知識でははっきり言いきれませんが、事件が起こった時点では民衆側には立てなかったと思う。何しろ民衆が勝利したら生活のたつきを失うわけですから。ゴヤの生活基盤は王党派、貴族社会にあります。
王党派が必ずしもスペインのことを考えていなかったわけではありません。彼らは彼らで世の中の秩序を守ろうと思っていたはず。当時であれば、民衆派は単に秩序を乱す暴徒にしか見えなかったでしょう。後世にならないとわからない。
宮廷画家だった人がこういう時事的なテーマで描くのは相当な転換という気がします。あるいは心情的には民衆を応援していたけれども、行動としては表せなかったか。そういう可能性もあります。ただ、事件と絵の完成の間にある6年という期間は、熱情に任せて描いた絵ではない気がする。
ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%A4" class="extiw" title="w:ja:フランシスコ・デ・ゴヤ">フランシスコ・デ・ゴヤ</a> - <a rel="nofollow" class="external autonumber" href="http://www.museodelprado.es/coleccion/galeria-on-line/galeria-on-line/obra/saturno-devorando-a-un-hijo/">[1]</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
正直、怖い絵。現代アートより前の時代の絵では怖い絵ベスト3に入る絵ではないでしょうか。(と思ったが、むしろルーベンスの同じ主題の絵の方が怖いかも)でも怖いけど惹かれる。
サトゥルヌスはローマの神で、我が子に殺されるという予言をされ、それを恐れて生まれて来る子を次々飲み込んでしまいます。サトゥルヌスの妻・レアは6番目に生まれたユピテルの代わりに、石を飲みこませ誤魔化し、ユピテルを隠して育てます。成長したユピテルはサトゥルヌスを殺し、飲み込まれていた兄や姉を吐き出させる、という話。
この神話にはいろいろつっこみどころはある。石でごまかせないだろう。とか、吐き出させてももう生きてないだろう。とか。生まれてすぐの赤ん坊のプロポーションじゃないよなあ、とか。でもまあ神話ですから。
この絵は「黒い絵」というシリーズの中の1枚で、ゴヤの晩年に描かれたもの。ゴヤが自宅の壁に描いた壁画で、全部で14枚あります。徳島県の大塚国際美術館には、その自宅を再現した間取りで黒い絵の陶板画が展示されています。
こんな絵に囲まれて暮らすのは嫌だ。と思うほど暗い絵たち。この人が宮廷画家なんて思えない。この画風の変遷は画家の人生の変遷なのでしょうか。
王家の肖像。愛人の肖像。祖国の大事件。心象風景。
ゴヤのテーマと画風は転々と変わって行きます。したたかに生きた人、というイメージですが、1824年、78歳の時にフランスへと亡命し、その地で82歳で死にました。
ゴヤはターナーと並んで、近代以降に繋がる「画家の自我」を感じる画家だと思います。以降の画家は心情を吐露することに傾注していき……それがまた枷になっていくのですね。
ロマン主義とは。
ロマン主義には様式上の共通項はない。
今回、これを知ったことが収穫でした。ありがとう、徳島県立美術館さん!
とはいえ、様式上の共通項が見られないと、分類がどうなっているかわからなくて、絵を見て「これはロマン主義だ」とは言えないんですよね。
ロマン主義はそういうものだと思って乗り越えることにします!
ドラクロワ。
カスパール・ダーヴィト・フリードリヒ。
ゴヤ。
この3人だけ並べると、なんとか「ロマン主義」という空気はつかめる気がするかなー。難しいことは難しいけれども。
山あり谷ありのバロック以降の美術。ロマン主義の後は……目下、考え中です。
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