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宗達、光琳、抱一。琳派の「風神雷神図」を並べてみました。見分けるポイントは?

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「風神雷神図」。なんとなく聞いたことがありますね。
日本画のなかでも有名な絵で、見れば「ああ、あの……」と思うでしょう。

しかし「風神雷神図」、別な作家によるほとんど同じ構図のものが
何枚もあることはご存じでしたか?
これを知らないと、見るたび「前に見たのと違う」と首をかしげてしまいます。

わたしはかなり大人になってからはっきり知りました……。

 

風の神・雷の神の絵や彫刻は昔からありました。

千手観音の従者として描かれること多かったようです。
絵としても、彫刻としても作られ、
彫刻だと三十三間堂にある風神・雷神が有名だそう。

Sanjusangendo Fujin old.jpg
K. Ogawa (photographer), Shimbi Shoin (publisher) - Selected Relics of Japanese Art, 20 Volume Set, パブリック・ドメイン, リンクによる

Sanjusangendo Raijin old.jpg
K. Ogawa (photographer), Shimbi Shoin (publisher) - Selected Relics of Japanese Art, 20 Volume Set, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

3枚の絵を並べて見る。

「風神雷神図」、代表的な3枚といえば。

俵屋宗達
尾形光琳
酒井抱一

による屏風絵です。この3枚はとてもよく似ています。

まずは並べてみましょう!

俵屋宗達「風神雷神図」

Fujinraijin-tawaraya.jpg
俵屋宗達 (Tawaraya Sotatsu, ? - ?) - Brother Sun , Sister Moon, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

尾形光琳「風神雷神図」

Korin Fujin Raijin.jpg
尾形光琳 (Ogata Korin, 1658 - 1716) - [1] at [2], パブリック・ドメイン, リンクによる

 

酒井抱一「風神雷神図」。

Wind God and Thunder God by Sakai H?itsu.png
Sakai H?itsu - Idemitsu Museum of Arts, Tokyo, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

似てる……!これは知らなければ「あれ?こんな絵だったっけ?」としか思わないよ。

 

俵屋宗達。

俵屋宗達は、活躍したのが関ヶ原前後の人。
本人の資料があまりないらしく、正確な生年は不明です。
没年は1640年といわれているそうです。

お城やお寺の障壁画のような大きな作品をどーんと描くのではなく、
大きくても屏風くらいまで、あとは扇や色紙のデザイン、絵巻などを得意とした
工芸家のような存在の画家だったと思われます。

宗達の風神は右側から走ってきたように見えるし、
左の雷神は左上から斜め下に滑り込んできたように見えますね。
動きのある絵。この「動き」は当時珍しかったんじゃないかなあ。
それまでの日本画にはなかった表現。

太鼓と風袋で丸みを持たせているのが統一感につながる。
リボンみたいにひらひらしている天衣の曲線もリズムを生んでいる気がしますね。

左の雷神の太鼓(?)は画面からはみ出していますし、
右側の風神の風袋は画面ギリギリです。
これが空間の広がりを生んでいるという解説をテレビで見たことがあります。

 

尾形光琳。

1658年生まれ、1716年没。
活動時期としては俵屋宗達とは最低30年くらいはずれがあることになります。
そんなに間が空いていることに驚いた。

なぜここまで俵屋宗達のものと似ているかというと、
光琳が宗達のものを模写したからです。

よく似てますが、大きな相違点としては、
風神と雷神の位置がちょっと下に下がってますよね。画面からはみ出してない。
そのせいかどうか、宗達のものほど動きを感じない。
ここは本人が選んだ構図だと思いますが。

わたしはこの人、日本初のグラフィックデザイナーだったと思っています。
ほんとの初めは俵屋宗達だったかもしれないけど、
完成させた人は尾形光琳。

そのせいか、こういうスタイルの絵画を総称して、尾形光琳からとって
「琳派」と呼ぶことに落ち着きました。
元々は宗達の影響も大きいとして「宗達光琳派」、
あるいは宗達とコラボすることの多かった本阿弥光悦からとって「光悦派」と
呼んだ時代もあったそうです。

では、その「琳派」とは何か?

私見ですが、琳派の特徴は、

〇デザイン性(時々型紙の使用あり)
〇ラインの強調
〇金箔(銀箔)の多用

かなと思います。

琳派についてはまた別の機会に。

 

酒井抱一。

1761年から1829年に生きた人。光琳と抱一もかなり時間が空いてますね。
光琳が死んでから45年後に抱一が生まれています。

抱一の「風神雷神図」は光琳の模写。
屏風に対して風神雷神が大きめに描かれてますね。余白が少ない。

この人は絵師としては異色な身分。なんと姫路藩主・酒井忠以の弟。
お殿さまがたしなみとして絵を習う、描くというのはよくあったようですが、
藩主の兄弟が専門の絵師として名を遺すというのは
大変に珍しいことだったと思います。

とはいえ、藩主の兄弟は不遇なのも事実。
養子に行くか、一生部屋住みか、という選択肢しかなかったようです。

37歳の時に出家しているそうですが、それ以降も絵を描き、風雅の友と
交流する生活はほとんど変わらなかったようなので、
形の上で僧侶になることで、身分上の自由を得るという側面が
大きかったのではないかと言われています。

 

3枚の「風神雷神図」。見分けるためのわかりやすいポイント3つ。

1.屏風全体に対する風神雷神の位置。

雷神の太鼓の上部が画面からはみ出しているほど上寄りの配置なのが宗達。

風神の位置が、他の2人は上寄りだが抱一はほぼ真ん中。

2.色合い。

インターネット上で見る限り、やはり年代が新しい方が色が鮮やか。
宗達は退色なのかな?実際に見るともう少し明るいのかな?

3枚のうち、色合いがシブイのが宗達。他の2人は「赤」が鮮やか。
口が鮮やかな赤じゃないのは宗達。
雷神のはいているステテコ(?)の部分のリボンの色がくっきりしているのが抱一。

3.描き方。

緑の風神の筋肉の描き方が白い雷神と同じように濃いのが光琳。
他の2人は風神の方の筋肉はあっさりめに描いてます。

宗達の雷神だけが目線が右下へ向かっている。他の2人は風神の方向を見ている。

光琳の髪の毛の描き方がはっきりくっきりしている。
宗達は……雷神は大黒様が被っている帽子みたいに見えるぞ。

雲の描き方がけっこう適当なのが抱一。雲というよりとりあえず塗った感。
まあ、これは比較の問題ですね。

宗達は太鼓の「見切れ」があるかどうかと目線が下へ行ってるかどうかで、
光琳は筋肉のでこぼこさで、
抱一は風神の位置が(縦に)真ん中かどうかで判断しましょう!

 

チェックポイントを覚えればOK!

まるで間違い探しをしているようでした。面白かった。

宗達の作品は京都国立博物館、
光琳の作品は東京国立博物館、
抱一の作品は出光美術館にあります。

これ、一同に会す特別展とかやったことあるのかなー。
もしやったら、これは来ますよ!キュレーターの方、ご検討下さい。

 

なお、通常比較されるのはこの3人による「風神雷神図」ですが、もう1人。

近年注目されている画家に鈴木其一(すずき・きいつ)という人がいます。

この人も風神と雷神を描いている。

Wind God and Thunder God (left screen).jpg
Suzuki Kiitsu - Tokyo Fuji Art Museum, パブリック・ドメイン, リンクによる

Wind God and Thunder God (right screen).jpg
Suzuki Kiitsu - Tokyo Fuji Art Museum, パブリック・ドメイン, リンクによる

鈴木其一「風神雷神図襖」

フスマなので見た目の配置がだいぶ違うし、
風神雷神そのものも模写というほどそっくりではありませんが、
先行作品にインスパイアされているのは間違いないところ。

鈴木其一も面白い画家でね。これも後で書きたいな。

以上、「風神雷神図」を見分けるポイントでした!

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