考古博物館を出て、同じ敷地内にある本来の目的地である「信長の館」。
ここにはセヴィリア万博に出品した安土城天主部分の復元模型が譲渡されている。
建物内部なので全体像は写真にはおさめられない。
周りから見るだけで上がりこむことは出来ない。この襖絵こそを近くで見たかったのだが。まあ傷むからね。
映りこみが激しいけど全体像模型。
ここの装飾が見事。気に入った。まあ自宅の室内装飾としては派手すぎるが。
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で、安土城跡へ行くわけですが。
安土城はねー。彦根城の高低差がコタエてて、登れなかったの。まあこの時点で14時過ぎてたという理由もある。
大手道の下まで行って、何段か階段を上って来ようかと思ったのだが、
……入場料を取るところが大手道の前にある。階段何段か上るだけで入場料を払うのはチョット……。
向かって左側の山すそ。右側の山の中腹に伝秀吉屋敷跡があるハズ。
かなりズームアップして撮った安土城大手道。これを見る限り、ここを登れる体力はそもそもわたしにはなかった。
しかし天下の安土城なんだから、入り口付近の小屋とか料金所とか、もう少し整理して配置した方がいい。
まあ中に入ったらフォトジェニックな風景が広がっているのかもしれないが、外から見ると
ごちゃごちゃした建物に遮られて、城の雄大さとか全く伝わらない。
やはり観光設備として町の財政に寄与させようというなら、もう少し整備が必要ではないか。
レンタサイクルで安土駅に戻り、安土発14:53。
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この時間なら石山寺へ着くのも余裕と思ったのだが、安土駅から石山駅まで30分強かかった上に、
駅からのったバスで石山寺を乗り過ごす(^^;)。さらに何十年に一度だかの御開帳の秘仏が
寺全体の営業時間よりだいぶ短く、16:00までだかで……15:50に着いて、けっこう広い境内(階段あり)を走る。
御開帳の仏像を見たはいいが、例によってゼーハーゼーハー言ってる状態で見ても、何の記憶にも残らない。
全く!何も!残ってない。
石山寺は紫式部が源氏物語の構想を練ったところ。
マネキンで再現している部屋があるのだが、古くて適当な作りなので趣がないことおびただしい。
むしろあれはない方がいいのではないか……。
石山寺で印象に残ったのはこの石の部分。
石山寺の名の起こりだそうで、まあこれだけの石があったらそうだよなあ。
しかし走ったおかげで何を見る気にもならないまま、寺内をぼーっと通り過ぎ。
30分程度で石山寺は終了してしまうのでした。やはり心と体の余裕は必要だと思われる。
石山寺からすぐのところに瀬田唐橋。
Oさんから色々聞いて予習はしていったのだが、……もう疲れててダメ。ムカデしか思い出せない。
というか、俵藤太の百足退治がここだったというのが意外。東国での話かと思っていたよ。
ここは夕景の名所だそうで、しかしこの日は曇り空。
どこかのボート部の皆さんが練習をしているのを、しばらく見てから帰りました。