残念ながら最高地点で撮った写真ではないんですけど。
いや、実はもっと目の前にばーんと海が広がるアングルはあった。それを見て「それはまあ、ここなら水軍を作りたくなるよ……」といたく納得した。島や入り江ばっかり、船もつなぎ放題、隠し放題だっただろうし。
かなり急な斜面で要害性も高い。
本丸跡は思ったよりも広い。
が、ここまで毎日登って来るのはかなり大儀だったと思われます。まあヒヨワな現代人のわたしより戦国時代の武士はちゃんと鍛えていただろうが。安土城のように広大な山一つを縄張りにしていたお城とは規模感は違うでしょうが、周りを見下ろす立地、海の防御性など、立派なお城(跡)だと思いました。しかし復元建物などはありません。
九鬼氏の城だったとのこと。ゲーム「信長の野望」で厄介な相手だったよなあ。水軍と根来の鉄砲で強かった気がする。
先ほど城跡まで案内してくださった地元民の方は、この城が「昔は二色城と呼ばれていた」と教えてくれました。海側は魚を驚かさないように黒で塗り、城下町側は白で塗り威厳を示す。かどやがあった南側が城下町だったんですね。
城跡を堪能して、城を北側へ降りる。
伊良子清白の旧宅へ。
江戸川乱歩の家を目指して歩き出す。ここ、「家」と「記念館」があるようで、なんか自分でもはっきりしないまま歩き始めたのよね。結局家は見つけられず、江戸川乱歩記念館の方は休館日で空振り。近くの賀多神社に立ち寄って、あとは海側に向かってぶらぶら歩く。
街並みを味わいながら移動する途中で猫さんにナンパされた。
にゃーという声が聞こえて足を止めると、白茶の猫が姿を現し。怖がる様子もなくちょこちょこ一直線に近づいて来て、足元に体をこすりつける。もしかして前世でお友達でしたか?と思うほどくっついてくる。旅先でたまに会う、懐っこい猫。
5分ほども撫でて、もう行くよ、ばいばい。と言って歩きだす。しばらく経ってふりかえると、まだ見送ってくれていた。遊んでくれてありがとうね。ばいばい。
次の目的地は伊良子清白の家。これは誰かというと、詩人です。詩人で医者だった人。
まあ正直言えば、わたしもよくは知らない。昔、本を読んだんですよね。平出隆という詩人が、詩人である伊良子清白の伝記を書き。当時、平出隆の本を何冊かまとめて読んでいたわたしは、その流れで「伊良子清白 日光抄 月光抄」の全2巻を読んだ。内容はほぼ忘れたが、そのセンスのいい、美しい装丁を覚えていた。
……はっきり言って、この装丁がゆえに伊良子清白を床しく思っているだけなんですよね。清白自身のことはほぼ何も覚えていない。でも伊良湖岬をわたって鳥羽に来るなら、伊良子清白の家を訪ねるべきだと思った。
とはいえ、ちまちました場所に侘しい旧宅が建っているんだろうと思ってました。多分知名度もないだろうしね。そしたら公園の端の、わりといい場所に建っていたので意外だった。
ここが清白の家です。
けっこう大きく見えますが、中に入ると思ったほどではない。とはいえ医院と自宅を兼ねているので、普通の住宅よりは広いのか?いや、1階に座敷6畳と台所、2階に8畳2間、それに医院部分がついているだけだから、広いとは言えない。
ここは移築されたもののようです。移築されて保存されているということは大事にされているということ。でも常駐しているスタッフなどはいないようで、誰もいない家を自由に見学するスタイル。
彼の詩業の史料と、使っていた医療器具などがいくらかある以外は、わりとがらんとした内部でした。――本人をほとんど知らないので、しのぶよすがさえなかったが。生涯で15ヶ所の土地に住んだらしい。生まれたのは鳥取県、最期を迎えたのが鳥羽。そこから「漂泊の詩人」と呼ばれている。
医者であり詩人であったことは幸せだったのか、不幸だったのか。
以上、伊良子清白の家で鳥羽で見たかった細かいところは納めました。
では真打、鳥羽水族館へと参りましょう。