近年よく言われ始めた言い方に「奇想の画家」というものがあります。
きっかけはおそらく、この本から。
この中では、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳などの名前が挙げられています。1970年出版。
関連本として、
こちらは画家を挙げるのではなく、日本美術を「かざり」「あそび」「アニミズム」というキーワードで読み解くという試みの本らしいです。
「奇想の画家」として、近頃は鈴木其一(すずき・きいつ)なども含まれるようです。彼らの作品全部が全部奇想というわけではありませんが(普通の絵もある)、見てるとなかなか面白い。
今回は「奇想の画家」と言われる画家たちのなかでも、とりわけ奇怪な絵を描いた3人の画家の絵を取り上げます。
線がおどろな、曾我蕭白。
曾我蕭白「雪山童子の図」。
By Soga Sh?haku - 継松寺, Public Domain, Link
この鮮やかな青と赤はナニゴトでしょう!
モノトーンの中のフルカラー。こういう色使いをするんだもんなあ。
ぱっと見てどんな場面を描いた絵か、事前知識なしだったらなかなかわからないと思います。このシーンは――
雪山童子(せっせんどうじ。お釈迦様の前世の姿の一つ)が雪山で仏教修行をしていると、世の真理を表す偈(仏の教えを説く詩)をくちずさむ声が聞こえてきました。雪山童子はどうしてもその先の文言が知りたいと思い、声のする方へ探しに行くと、そこには羅刹(≒鬼)がいました。
羅刹は飢えており、その先を言うためには何か食べる必要があると答えます。羅刹の食べ物とは人の生肉。そう聞いた雪山童子は、教えてくれれば自分の体を食物として与えようと約束します。
羅刹が最後まで偈を唱え終わると、真理を知って満足した雪山童子はその文言を傍らの木に彫りつけ後世に残し、羅刹に喰われるために木から飛び降ります。喰われるか、と思いきや、羅刹は帝釈天へと変じ、雪山童子の仏教の真理を求める心の篤さをほめたたえたということです。
――という話なのですが、この絵を見る限り、
そんな有難味はどこにもない!
どう見ても雪山童子は「ここまでおいで」と言っているようにしか見えないじゃありませんか!羅刹の方も、そんな深遠な真理を語りそうな顔はまったくしておらず、ユーモラスにもほどがある!という顔です。
ちなみに童子は一見、女性にも見える体型ですが少年です。
羅刹の体のシワシワが面白い表現ですね。足なんか、なんでしょう、このでこぼこ感……。こんな風に爪が生えてたらそもそも歩けないんじゃなかろうか。羅刹が立ち上がれば童子にすぐ手が届いて食っちまえる、というのもありますね。
……というようなツッコミを入れながら絵を見るのも絵の楽しみの一つ。
曾我蕭白「蝦蟇・鉄拐上人図」
曾我蕭白 - 『在外日本の至宝』<第6巻文人画・諸派> 毎日新聞社 昭和55年, パブリック・ドメイン, リンクによる
色を使わなくてもこの不気味さ。墨の濃淡で色を表してますね。
曾我蕭白「Chrysanthemums by a Stream(和名不明)」
Von Soga Sh?haku - http://collection.imamuseum.org/artwork/50280/, Gemeinfrei, Link
描こうと思えばこんなに普通の絵も描けるのにねえ。
アイディアあふるる、歌川国芳。
歌川国芳「相馬の古内裏」
パブリック・ドメイン, リンク
歌川国芳は弟子もいっぱいいて、それはそれはいろんなものをいっぱい描いた江戸時代末期の浮世絵師。
この絵は平将門の娘・滝夜叉姫を主人公にした当時の小説からアイディアを取ったもの。滝夜叉姫が妖術であやつる巨大骸骨。なんだか巨神兵的。
当時3枚1組の浮世絵がはやったそうです。よく見ると3つに分かれますね。1枚だけでも成立するように描かれるのが普通だったそうですが、この絵はそういう約束事を超えて、どーんと大胆な構図で描かれています。
でも一番右の肋骨だけの部分を飾ってても、それはそれで小ジャレてる気がする。ロックだぜ。
歌川国芳「見かけはこわいがとんだいい人だ」
パブリック・ドメイン, リンク
こんなのも描いてます。こういうのを寄せ絵というそうです。ずーっと昔の「探偵ナイトスクープ」で、実際にこんな風に作って人の顏に見えるのか?という検証をやってました。やってみた時の完成度はあまり高くなかった。もう少し予算と時間があればもうちょっといけそうな気はしますが。
こういうの見ると、アレを思い出しますね。
ジュゼッペ・アルチンボルド - Giuseppe Arcimboldo, パブリック・ドメイン, リンクによる
アルチンボルド「秋」。
秋の実り。洋の東西を問わず、人間の考えることは似てる。
歌川国芳「其のまま地口 猫飼好五十三疋」
歌川国芳 (Utagawa Kuniyoshi, 1798 - 1861) - http://visipix.com/search/search.php?userid=1616934267&q=%272aAuthors/K/Kuniyoshi%201797-1861%2C%20Utagawa%2C%20Japan%27&s=22&l=en&u=2&ub=1&k=1, パブリック・ドメイン, リンクによる
国芳は大の猫好きだったそうです。猫を抱きながら絵を描いていたんだとか。猫に駄目にされた絵も相当あったことでしょうね……。
この絵は東海道五十三次の宿場の名前を地口ギャグにしているそうで、
東海道五十三次の宿場町名を、地口(語呂合わせ)で猫の仕草として描いたもの。順に日本橋は「二本だし(2本の鰹節=出汁)」、品川は「白顔」、川崎は「蒲焼」、神奈川は「嗅ぐ皮」、程ヶ谷は「喉かい」、戸塚は「はつか(二十日鼠)」、藤沢は「ぶちさば(鯖を咥えたぶち猫)」、平塚は子猫が「育つか」、大磯は「(獲物が)重いぞ」、小田原は「むだどら(鼠に逃げられて無駄走りのどら猫)」、箱根は「へこね(鼠に餌を取られてへこ寝する)」、三島は「三毛ま(三毛猫は魔物、化け猫)」、沼津は「鯰」、原は「どら(猫)」、吉原は「ぶち腹(腹もぶちだ)」、蒲原は「てんぷら」、由比は「鯛」、興津は「起きず」、江尻は「かぢり」、府中は「夢中」、鞠子は「張り子」、岡部は「赤毛」、藤枝は「ぶち下手(ぶち猫は鼠取が下手だ)」、島田は「(魚が)生だ」、金谷は「(猫の名前が)タマや」、日坂は「食ったか」、掛川は「化け顔」、袋井は「袋い(り)」、見付は「ねつき(寝つき)」、浜松は「鼻熱」、舞坂は「抱いたか」、新居は「洗い」、白須賀は「じゃらすか」、二川は「当てがう」、吉田は「起きた」、御油は「恋」か「来い」、赤坂は「(目指しの)頭か」、藤川は「ぶち籠」、岡崎は「尾が裂け」、池鯉鮒は「器量」、鳴海は「軽身」、宮は「親」、桑名は「食うな」、四日市は「寄ったぶち」、石薬師は「いちゃつき」、庄野は「飼うの」、亀山は「化け尼」、関は「牡蠣」、坂下は「アカの舌」、土山は「ぶち邪魔」、水口は「皆ぶち」、石部は「みじめ」、草津は「炬燵」、大津は「上手」、京は「ぎやう(捕まった鼠の悲鳴)」。
wikipediaより。
いや、いろいろ無理がないか、国芳よ……
一番無理があると思うのは「小田原=むだどら=ねずみに逃げられて無駄走りのどら猫」。小田原=むだどらというのはキビシイし、無駄走りのどら猫なんて単語にしないでしょ!
細い線も太い線もあやつる、河鍋暁斎。
これずっと「かわなべ・ぎょうさい」だと思っていたけど(ぎょうさいでも変換できるんですよね)、「かわなべ・きょうさい」だそうです。元々は狂斎と名乗っていたんだって。
河鍋暁斎「髑髏と蜥蜴」
もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
……の画像が見当たらなかったので、この表紙絵でがまん。
特に不気味さを強調しているわけでもなく、むしろ冷静な写生図に見えるんだけど、そこがより一層不気味さを際立たせる。
暁斎には「三味線を弾く洋装の骸骨と、踊る妖怪」という水彩スケッチがあって、それがそのまんま、ワンピースのブルック!骸骨が好きな人だったんですね。
「幽霊図」というのもなかなか不気味で良くってね……。こちらのページで暁斎の作品をたっぷり見られます。絵の上にカーソルを持っていくとちょっと拡大してくれて楽しいよ。
ゴールドマン コレクション「これが暁斎だ! 世界が認めたその画力」
「幽霊図」も5章に出てきます。マンガっぽいねー。マンガといえば「暁斎漫画」というカット集もあるそうです。「鳥獣戯画」に似ている蛙とかね。
河鍋暁斎「達磨図」
Von Daderot - Selbst fotografiert, Gemeinfrei, Link
そして、暁斎はこんなどっしりした絵も描けます。「幽霊図」の細い線と、この「達磨図」の太い線の安定感の違いよ……
奇怪でありつつユーモラス。
画像を引っ張って来られる範囲の奇怪(キッカイ)な絵を集めてみました!
……奇怪な絵がすごく好きなわけではないですが、たまにこういう日本画を見ても面白いですね。日本画家はほんとにジャンルが幅広い。また一人の画家が幅広くなんでも描くもんなあ……。
曾我蕭白の絵なんかは、もっと奇怪な絵があって面白いですよ!線が細かいので、これはぜひ直接見て欲しい。より不気味でオモシロコワイです!「なんでこう描く……」とツッコミたくなること必至!ツッコミつつご鑑賞ください!
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