日本では一般的に西洋絵画の方が有名ですね。「モナリザ」やレオナルド・ダ・ヴィンチを知らない人はいないでしょう。画家の名前を訊けばモネ、ルノワール、ゴッホなどの名前は誰でもすぐに出そうです。
それに対して日本画家の名前はあまり出ないんじゃないでしょうか。1人も思い出せないという場合もあるかもしれない。北斎の「神奈川沖浪裏」は日本人誰もが知っていると思いますが、浮世絵が日本画なのかというと……
日本画家で有名なのは。
日本画家で近年人気がうなぎ上りなのは若冲。目下人気の点では別格の感もありますね。
それから琳派も人気のある流派――というか、グループです。俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一など。琳派は「派」がついているのでいかにも師匠―弟子の関係のように思えますが、実は琳派の代表的な画家たちは生きていた時期が重なりません。各々の関係は「私淑」の域にとどまります。
有名といえば、横山大観が続くかもしれません。その次が東山魁夷あたりかな。その次となると誰でも知っているというレベルではなくなってくるような気がします。日本画もきれいな作品がたくさんあるので、これからもっともっと展覧会が増えて欲しい。
目下、気になる田中一村。
といいつつ、以前よりも日本画に人気が出てきているらしいですね。先に挙げた4人(琳派は複数人いましたが)以外にも、今までそんなに聞かなかった人の展覧会が増えて来たのではないかと思います。
そんな中、ぶらぶら美術・博物館という番組で田中一村展に行っていました。千葉市美術館の展覧会。
これが良かったですねえ。いろいろないい絵が並んでいて、田中一村のことをもっと知りたくなった。
わたしはこの人のことをほとんど知らないのですが、前に行った島川美術館で見たのを覚えていました。
この記事では言及はしていませんが「黄昏」という絵が気に入った――気になった。その絵でゴーギャンを連想した。南国の匂いが濃厚に漂う絵でした。
田中一村。山あり谷ありの人生。
ぶらぶら美術・博物館のサイトで田中一村の人生をマンガ風に概観してくれています。
幼い頃から神童。番組では年代ごとの絵を見せてくれたのですが、たしかに小さい頃から上手いです。この上手さはピカソを思い出す。12歳の時に描いた「つゆ草とコオロギ」はすでに老成しているような静けさが。
18歳で今の東京芸大に入学しますが、学校への不満や父の病気などのために2ヶ月で退学。その後、絵を描いて一家の生計を立てます。しかし上手いとはいえまだ若い一村の絵は高く売れるはずもなく。色紙や小さな絵をたくさん描くことでしのぎます。
20歳過ぎると新しい絵画の方向を模索し始めます。新しい画風を試してみますが、それに後援者がついてきてくれなかった。今まで絵を買ってくれた人々が去り、それまでよりさらに絵をせっせと描かなければならなくなります。
そのため、小さい絵はけっこう数があるみたい。これがなかなか多岐にわたっていて面白いんです。雰囲気や画題が何種類もがらっと変わる。絵をどーんと並べられる方法がないのが残念ですが、
このサイト辺りで仕事の幅広さの一端を見ることが出来るかと思います。
とりどり、面白い。
「椿図屏風」では日本画の伝統的な画題を料ることも見せてくれるし(左隻がまったくの無地なところが特異)、「筑波山」のとろんとした味も好きだ。とろん絵ばっかりじゃ飽きると思うけど、他にいろいろ描いた上でとろん絵が出て来ると、これはこれでほっとする。
いろいろな画風で描ける器用な画家といっていいのではないのでしょうか。
日本画家・田中一村の展覧会が美術館「えき」KYOTOで - 奄美へとつづく画業をたどる
亜熱帯を描いた日本画家・田中一村を見るならいま。国内外4つの展覧会をチェック
このジャングルの絵がすごくルソーに見えて。似てません?
アンリ・ルソー「夢」
田中一村がバーンと出せないのに、ルソーを出す不思議……。田中一村に人気が出ればwikiにももっと絵を載せてくれる人が増えるだろうが。
一村は30歳で東京から千葉に移り住み、絵を現金替わりにするような生活を送ります。また、今まで周りになかったモチーフ(筑波山とか)も増える。
39歳の時に「白い花」で展覧会で初入選。この絵が清冽でねえ。すっかり気に入りました。WEB上できれいな「白い花」が見つからなくて残念です。こういう、見ると気持ちがすっきりするような清冽さがわたしが日本画に求めるもの。好きな日本画って、とにかく見ていると気持ちがいいんですよね。
が、入選したのはこの一回だけ。あとは落選が続きます。2点の絵を出展したうち、片方は入選したがもう片方が落選したことに不満を抱き、入選していた方の絵も取り下げたりといったこともあったようです。片意地な、こだわりの強い人柄を感じさせる。
入選後、千葉の地で絵を描き続けること10年余り。その彼が50歳で奄美大島へ移住。奄美大島では農業をしながら数年間紬工場で働き資金を貯め、その後数年は絵を描くことに専念するというサイクルの人生を送ります。
しかし元々体は弱かったとのこと、病に倒れたりもしたそうです。およそ20年、奄美に住んで奄美の風物を描き続け、69歳で亡くなりました。生きているうちは光の当たらない画家人生でした。
絵に器用、生きるのに不器用。
激しい人。南の島の人。熱帯を描いた人。孤独に生き、孤独に死んだ人。近年は「日本のゴーギャン」と言われることも多いようです。わたしはそこにルソー風味も感じる。画家としてはルソーの素人っぽさは欠片もない、達者な人だったようですが。
なお、「ぶらぶら美術・博物館」では田中一村を「昭和の若冲」呼ばわりしていますが、一体どこが若冲!といいたい。鶏を描いたからって若冲ってわけではないぞ!しっかりしてくださいよ、山田五郎さん。
千葉市美術館の特別展、一応動画もあります。
だが残念ながらあんまり色が良くない。そして動画なだけに単に流して撮っているので、絵の良さはほとんど伝わらない。テレビ画面で伝わる絵の魅力というのもあると思いますが、それはちゃんと静止して映さないと。参考程度にご覧ください。
田中一村についての本で読みやすいのはこのあたり。
もっと知りたい田中一村 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
伝記としてこれでしょうか。
あまりゴーギャンとあおりすぎるのもアレかもしれませんが。これは読みたい。
これから来そうな画家、田中一村のちょっとしたご紹介でした。
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