マネ、モネは世界美術史上の1等星。ピサロ、シスレーは印象派における2等星。カイユボットとなると3等星くらいになるかもしれません。地味と言えば地味な画家。
わたしはちょっと好きなんですよねー。カイユボット、あんまりよく知らないんですが。印象派の画家のパトロン的存在で、彼らと親しく、自らも印象派の画家という位置づけです。……むしろ画家で友達で、裕福な家庭環境によって友人たちの芸術活動を経済的に支えたというべきかもしれない。
そう聞くと、画家としてよりはパトロン活動の方に意識が向きがちですが、絵を見ると地味ながら独特な魅力があるように思います。
カイユボットの人生、ざっと見。
軍隊用寝具を扱う会社の社長を父として1848年に生まれました。死ぬまでお金に苦労することはない、画家としては珍しい富裕階級でした。モネより8歳下、ルノワールより7歳下。後で書きますがスーラより11歳年上。
幼年時代、少年時代を何不自由なく過ごし、法学部へ通って弁護士資格を取ります。その後、徴兵されて軍隊へ。3年ほどの従軍し、帰って来た後はエコール・デ・ボザール(官立美術学校)へ行き始めます。弁護士資格はどうした?と思いますが、絵は少年時代から描いていたらしい。
学校にはあまり行かず、もっぱら個人授業の画塾に通って絵の技術を学んだよう。その過程で14歳上のドガと親交を持ちます。26歳頃に父が亡くなり、28歳頃「床削り」という作品をサロンに提出しますが落選。この頃から友人の印象派の画家たちの絵を買うようになります。
第3回印象派展は、カイユボットが資金を出して開催されました。彼自らも作品を出して、さらに顧客としてモネやルノワールの絵画を数枚買いあげました。
お金を出して展示会を開き、自分の絵も見せ、そして気に入った絵を買う。これって完全に富豪の道楽ですね……。友人たちを支援した心温まる友情物語のはずなのですが、わたしのヨゴレた心で見ると、金に飽かせて自由にやっている感がないでもない。いや、ゆがんだ見方は止めましょう。
その後、印象派内部でごたごたが続きます。サロンにも出したい派とサロンとは絶対に縁を切りたい派。ドガとカイユボットの争いだったようですね。昔は仲が良かったのでしょうが。
カイユボット自身は淡々と自分の絵を描き続けました。その絵のレベルに関わらず、お金持ちで絵を売る必要がなかったので世の中には流通しない=誰も注目しませんでした。もちろん仲間内では目にする人もあったでしょうが、経済的な世話役であるカイユボットの作品は、作品自体の価値ではなくパトロンの余技という扱いを受けたのではないでしょうか。
この後、何度か印象派展は開かれますが、方向性を巡っての論議は止まず、ドガとの争いは続きます。ドガは印象派展に不参加となり、また印象派展自体の勢いが衰えたこともあって1886年の第8回を持って最後となります。
カイユボットの作品発表は減り、セーヌ川の近くの地所に引っ込んで悠々自適の生活を送ります。ヨットとガーデニングの日々。印象派の画家たちとは月に一度食事会で定期的に会っていました。近所のモネとは付き合いが深かったらしい。
マネの「オランピア」を国に寄贈するために奔走するモネの援護射撃を行なったりもしているようです。国は「オランピア」を受け取りたくなかったらしい。それだけ、当時は「オランピア」の価値は定まっていなかったんですね。今では名画中の名画に数えられる絵ですけれど、ほぼ100年前には要らんもん扱いだったようです。
まあわたしが当時のルーブルの偉い人だったとしても、やはりお断りするとは思います……。センセーショナル。煽情的。見慣れたからこそ見方が落ち着きましたが、ああいう絵を突きつけられても困ってしまう。当時としては超前衛的な絵ですから。
カイユボットは園芸作業中に倒れ、亡くなりました。45歳。今から考えると若いですね。晩年にはあまり絵を描いていなかったようなので、長生きしても画家としての実りはなかったのかなと思いますけれども。
死後の出来事で特筆すべきことといえば、これも寄贈の件。カイユボットの遺言で、所有していたモネやルノワールを中心とする印象派の絵画67点を国に寄贈する条項があったんですけれども、これも揉めたそうです。
この時に反対したのは主にアカデミズム絵画の人々で、モネやルノワールをゴミ扱いした発言が残っている。まあ商売敵ですから仕方ないといえば仕方ないんですが。この21世紀での印象派の人気とアカデミズム絵画の影の薄さをもし当時の人が見たら、愕然とするでしょうね。
世論の反対により、カイユボットの寄贈は67点中40点にとどめることで手が打たれました。これも今から見れば「しまった!」と思うでしょうね、関係者は。しぶしぶ受け入れたモネやルノワールが、今はフランスのドル箱ですよ。世界の人が、たとえば「ムーラン・ド・ラ・ギャレットを見にパリに行きたい」と思って訪れる。残りの27点にもいいものがあったはずです。どうなったのでしょう。
カイユボットの絵。
その交友関係から印象派として位置づけられるカイユボットですが、彼の作風は基本的に写実主義と言われます。わたしは先ごろ写実主義を、クールベの「こんにちは、クールベさん」で覚えたばかりなので、カイユボットが写実主義と言われてもあまりピンとこない。写実は写実だろうけれども。別なもののような気がする。
何が違うと感じさせるのかというと、おそらくカイユボットの描く人物が富裕層だからでしょう。カイユボットはお金持ちだったから、モデルはタキシードを日常的に着ている人物たちが多かった。これだけで雰囲気はずいぶん変わりますよね。
「床削り」
かなり初期に位置する作品ですが、労働者がモデルというのはこの人の画業の中で珍しい部類になります。労働者を描くというムーブメントはあったんでしょうね。主流ではないにせよ。ミレーの「落穂ひろい」の18年後に描かれています。
きっちりしてますよね。床にびっしり描かれた縦じまの線――床を削った線がそう思わせる。遠近感が強調されています。
床削りというのは日本ではあまり聞いたことない職業ですね。職業なの?英語だとfloor scraperになるようだから職業なんですね。しゅーっという鉋の音が聞こえそう。
薄暗い光の中で職人の肉体が際立つ。小さめの窓から入る光は職人の体をうっすらと光らせるだけで、薄青い空間にしている。この光は、実際より均等に描かれていると思う。本当はもっと暗い場所があったり、床が光ったりしそうだから。
この絵の重要なポイントの一つはモデルの腕が実際よりも長いこと。縦長の線と並行に走り、多分腕の動きを強調している。動き出しそうに見えますよね。一番右側の人物が右側に顔を向けて、会話をしているのかもしれないけど、絵自体はあくまでも静謐。この静けさが魅力的。
「窓辺の若い男」
窓の外の風景画がかっちり描かれていますよね。手前の石造りの手すりもしっかり。これは伝統的なアカデミズムの手法でしょうねえ。
後姿を見せる男性はほぼ黒一色で描かれている。カイユボットは黒を印象深く使う気がします。人々の衣装は黒が多い。つややかな黒。女性を描いても黒が多いのは、現実もそうだったからでしょうか?もう少し色合いが――華やかとまで言わなくても、もう少し色味のある衣装を描きたくならなかったのかな。
この男性は背中しか見えませんが、おそらく無表情に窓の外を見つめていると思う。カイユボットの人物はほとんどがアンニュイである気がします。ここが特徴。だいたいの人がうつむきがち。笑顔の人物がいてもいいのに。
「ヨーロッパ橋」
カイユボットの絵で「床削り」の次に有名なのはこの絵かもしれません。
橋のデザインや女性の服装など、ディテイルが気になる部分はいくつもありますが、この絵で何よりも気になるのは右の男性。まるで今にも入水自殺でもしそうな風情じゃないですか。一体何があってそんなに沈み込んでいるのか。モデルを使っていたにしろ、それを描く画家の視線は。
珍しく青天の明るい屋外ですが、男性の周囲がどんよりと淀む。しかしそれにも気づかないで行き過ぎる人々。(と、犬。)都市の希薄な人間関係。……というとツキすぎですね。
「パリの通り、雨」
これは毛色の変わった絵に見える。前2枚はぱっきり明確に描いているのに対して、この絵は霧がかかっている。雨で実際に風景が靄っていた、その空気感をそのまま写したといわれればそうなのですが。
時が止まったような雰囲気は共通ですが、こういう風に靄がかかった色使いはスーラを思い出させる。
スーラ「アニエールの水浴」
スーラは点描で有名な画家なので、写実主義のカイユボットとはタッチは全く違いますが、この静けさ。人間が止まったような。そして漂うアンニュイ。わたしにはこれらが共通しているように見える。
制作時期は「パリの通り、雨」の方が5年ほど先行します。年齢はカイユボットが11歳上かな。パリが大都会だとはいえ、同じ画家でもあり、スーラとカイユボットの面識があった可能性は大いにあるとは思う。が、カイユボットの作品があまり流通しなかったことと、スーラは引っ込み思案であまり人付き合いが良くないらしいことで、直接の交流は確実とはいえない。
「ペリソワール」
この絵はカイユボットという気がしなかった。年代的には後半で、画題が印象派っぽくなっていますね。木や水面の描き方はモネやピサロ風。しかし漕いでる人間は動いているはずなのに停止しているし、何より爽やかな初夏の(←予想)風の中で楽しいボート遊びをしているはずなのに、やはり俯き加減。
構図に不安定さがあるでしょうか?建物はあんなにかっちり描いた人なのに、人間は若干デッサンがあやういような気がする。
気になる画家、カイユボット。
カイユボットの絵は、静かでアンニュイ。
正直、単体で取り上げるほど好きな画家ではないが、通り過ぎるのも気になる。そういう画家です。虚無がある気がする。窓の外を見る目に虚無が。
枚数が少ないのでそんなに名前を聞かないのも仕方がないかなと思いますが、もう少しちょこちょこ見たい画家ですね。でもわたしが見ていないだけでそれなりに世に通っているのでしょうか。日本ではブリジストン美術館に一枚あるようですが。近年評価が上向きだそうなので、いずれは巡回展で見ることがあるかもしれません。それを楽しみに。
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