沖縄の旅の話/1993

◎神が降りた島。沖縄の旅の話・その4。

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沖縄3日目は少しのんびりして10:00にホテルを出ます。前日は朝早くからずいぶん動きましたからね。

この日は斎場御嶽と久高島へ行きます。沖縄の宗教にとってはどちらもすごく重要な聖地。

沖縄の宗教は複雑で、わたしごときが説明出来るはずもありません。日本の宗教も西欧から見ると相当に混沌としているようですが、沖縄はいろいろな要素が絡まり、さらに複雑なものらしい。軸は先祖崇拝と精霊主義を中心とした琉球神道で、そこに火の神、日の神、ニライカナイという楽園信仰、「妹の力」であるオナリ神、仏教、道教が複合混然となった状態。

まあわたしは唯一絶対神よりも八百万の神様のおおらかさが好きですけどね。しかし八百万というだけに一言では説明出来なくて。

斎場御嶽(せいふぁーうたき)へ。

那覇からバスで約1時間。那覇のほぼ真東にあたる知念半島にある、沖縄随一の霊場が斎場御嶽です。

琉球の信仰のなかで最重要とされたのが「聞得大君」という神職だったらしい。この職位は女性と決まっており、王族の女性が任命されました。神と地上を繋ぐ女性、国王と王国を守る巫女という立場。

琉球では、当初は地域によって様々な巫女や神職がいて統一されてはいませんでしたが、政治的に統一王国が出来上がると神職の統一も必要となり「聞得大君」が最上位の地位に定められました。彼女は全土の神職・巫女を統括者でした。

その聞得大君が就任儀式を行なったのが斎場御嶽です。さらにここは聖なる島、久高島をはるかに望む遥拝所でした。

聖なる場所。

聖なる場所に、現代では観光として行ける。でも過去の人々が敬虔な気持ちで歩いた場所は同じ気持ちで歩きたい。だから足音を立てないようにそっと歩く。

斎場御嶽への道には2つの大岩がお互いにもたれかかるようにして、天然の三角形の通路が形作られている。ここを潜って聖所へ行ける、異世界への回廊。過去には男子禁制だった。岩の通路を抜けると、言われなければ宗教的な場所だとは気づかないような森の中の小さな広場。大仰な設えもなく、地面に敷かれた石がかろうじて何かの場所だったことを表す程度。

ああ。でも久高島が見える。

青い海に浮かぶ小さな島。それが茂った木々の間から見える。神の島・久高島を望むこの場所は、だからこそ聖地だった。必要以上に人の手が入らない海と森の信仰。

美しい紅型をまとった聞得大君が大勢の神女を従えて、ここに参ったことだろう。小さな王国の難事について神に祈り、神から答えを聴こうとして一心不乱に祈ったことだろう。その場所にいたとしたら、きっと腹の底が震えるような荘厳な儀式。

今は観光客が気楽な顔で歩き回る。屈託のない笑顔で。

久高島。

久高島は琉球の島を作った女神、アマミキヨが最初に降り立った神の島。

現在ではフェリーが1日に6便本島との間に出ているようだが、当時は観光地ではあったけれどもそれほど開かれてはいなかった。うろ覚えの記憶だと、船賃は往復5000円。わたしが久高島へ渡ったのは小型のボート――漁船兼用か――だったかと思う。知念海洋レジャーセンターからの出航だった。

船から手を伸ばして海に触った気がする。船頭さんというか船長さんと話もした。「9月は沖縄が一番暑い時だよ。わざわざ一番暑い時に来たね」と笑われた。気を付けないと、髪の分け目が日焼けで火傷みたいになって大変だよと。

沖縄の青い海の写真はこの船から撮った。青というより緑に近いエメラルドグリーン。穏やかな天候に比較して波は若干高めで、船はトビウオのようにして波の上を飛んでいく。水平線に合わせてカメラを構えても、波に揺られて水平線が傾く。その写真を見て船の揺れを思い出す。

海の中に突然白いきれいな砂浜が出現した。信じられないほど小さな島。その島をそばを船は通過する。十数人の人がビーチを楽しんでいるのが見える。その島はコナカ島という無人島で、海水浴やシュノーケリングを楽しむために観光客が来るらしい。ジブリの「紅の豚」を思い出す。ポルコ・ロッソの隠れ家の島。わたしはあの場所が大好きだった。

久高島への上陸。

30分ほどで久高島に着くと、予想通り船着き場にはほとんど何もない。昔、店があったんだろうと思われる古い家屋と古い看板。比較的新しいのは、何年か前に建てたのだろうと思われる東屋。帰りの船を待っているらしき観光客が3、4人。想像よりも小さい港。港からの一本道を登って行ってもぽつぽつと家があるだけ。島の中心部だと感じるところはない。

昼はだいぶ前に過ぎていた。島の食事処は、今だったらインターネットで情報は取れるけれども、当時はまだコンピューターは限られた趣味を持つ人のもので誰もが利用できるほど簡単ではなかった。情報は紙の本に限られ、紙の本に久高島の説明は二十行ほどしかない。何でも現地に行ってみないとわからなかった。

店がなければそれでもいい。朝は食べて来たし、昼食を1度くらい抜いたところで大ごとではない。港から一本道を登って来たところでかなり大きな校舎に出会う。生徒が100人か200人かいそうな大きさ。小学校だろうか、中学校だろうか。島にこんな大きな学校があるのか。

島の人とのおしゃべり。

その近くに見逃してしまいそうな小さな――あれは、店?近づくとどうやら食べものやさんらしい。ここら辺で食べるとしたらおそらくここが唯一の店。

この頃はまだ知らない店に入る時はどきどきしていた。おっかなびっくり入店すると、お店のおばぁもとまどっている。おそらくはわたしの不審な挙動に。

わたしはここで、おそばとかき氷を食べ、そしてお喋りをした。店のおばぁと何人かいたお客さんと。……しかし言葉がなかなかわからない。沖縄の人と東北の産の間には思った以上の言語の壁があった。1人の人がまるで通訳みたいに間に立って話してくれた。

久高島の過疎について。昭和35年に600人いた人口が、その33年後の平成5年には200人ちょっとまで減っているそうだ。(令和2年4月の段階では238人。)
あの立派な建物は?と訊いたところ、あれはやはり学校で、小学校と中学校が一緒になったものらしい。が、その時点での児童数は12、3人だとか。そうなると先生の人数と生徒の人数が変わらないのではないか。

「お嫁さんの来手がなくてねー」という話も出る。やっぱりそうかー。そうだなあ、わたしがこの島で暮らすとしたら……。暮らす姿が想像出来ない。海に囲まれて、おそらく島の人口のかなりの数が漁業で身を立てていて。島のみんなが親戚のような感じで、そして数々の聖域を持つ信仰の島。まるで物語のようで、自分の生活とは違いすぎる。

そして、海へ。

あれこれと1時間以上も話しこんで店を出る。店を出ると夏の真昼の強烈な日差し。暑い。高い建物もない真っ平な島では日陰もない。太陽にあぶられるようにひたすら道を歩く。

観光マップがもらえるような案内所はなかった。信仰の島は観光客を野放図に受け入れるつもりはないらしい。帰りの船の時間までそれほど時間も残ってない。ここに来たのは信仰の島としての久高島を感じるためだったけれども、お店で地元の人としっかり話したことでもう満足だった。島を感じたと思った。

そうだ。浜へ行ってみよう。港からあまり離れていない浜辺に出るための道を探す。小さな島だからどこへ出ても海のはず。

陽ざしを反射して光る真っ白な細い道の。深い緑の木の向こうの。その先が海。

ガジュマルの木立の間から現れた海は紺碧とターコイズブルーの2色。色を白い波頭が一直線に分ける。海辺まで出てみると人はおらず、水平線はどこまでも広がる。昔、海の果てにはニライカナイがあると信じた人たちがいた。同じ目をして海の向こうを見てみる。こんなに美しい海と空ならば、果てまで行けばもっと美しい世界が広がる。そう思えたかもしれない。

 

ゴーヤーチャンプルーと足ティビチ。

久高島からまた船に乗って本島まで帰りました。そこから那覇までバスでまた1時間。17時ホテルへ。今日の夕飯は琉球料理です。

一人旅で若干難しいところは夕ご飯ですかね。特に、食べたいと思っている土地の名物が酒の肴系だと、お酒が飲めないamairoには厳しいです。お店が混んでいる時は断られたりしますしね。でもお酒がメインの店でも開店直後を狙えばそんなに気兼ねなく利用できます。おすすめの地味技。

沖縄では、とにかくゴーヤーと足ティビチを食べてみたかった!

今でこそ地元のスーパーでもゴーヤーが通年おいてありますが、この頃はゴーヤーは全国区じゃなかったんじゃないかなあ。沖縄に来なければ食べられない沖縄の味。漢字は苦瓜だし、苦い食材ってどんなんだろう、と想像が膨らんだ。

足ティビチは豚足の醤油味の煮物。豚足もあまり馴染みのない食材です。

ホテルの近くで琉球料理の店を見つけました。食べログで検索しても見つからないから、きっと今はもうないお店なのでしょう。「古琉球」という店名でした。ゴーヤーチャンプルーと足ティビチとグァバジュースを注文しました。……この料理にグァバジュースって!いくらお酒が飲めないからって。でも1つでも多く名産品を味わいたかったんだもの。

注文したゴーヤーチャンプルーが出てきました。初めてのゴーヤー。苦いとは聞いているけどどんなものなんだろう。ぱく。

……うわあぁぁぁっ!

これがほんまに苦かった。思わず関西弁になってしまうほど苦かったですからね!舌が痺れるような衝撃の苦さ。舌に残る。こんなに苦いのに沖縄では子どもも食べているの?ポピュラーな野菜だということにさらに衝撃。

衝撃的なゴーヤーの後、出て来た足ティビチは見た目がけっこう衝撃的でした。でも味は普通だった。――しかし何しろ量が多かった。まあ基本的にこういう店の料理は何人かで来て、シェアして食べる大皿料理ですよね。豚足も5つか6つあったかもしれません。全部食べるのは無理。

たしかゴーヤーチャンプルーもだいぶがんばったけど全部は食べられなかった。でもそれ以来なつかしく思い出す料理になりました。

何年も経ってようやく地元のスーパーでゴーヤーを見つけた時は「あっ!ゴーヤだ!」と叫んでさっそく買って帰った。以来、年に何度かは作って食べています。泡盛じゃなくて日本酒を使いますけれども。時々すごく食べたくなるんだあ。

全国区になった後のゴーヤーは苦みがだいぶ緩和されましたね。苦みを抑えるように改良もされたのでしょう。最初は夏だけ見かける旬のある野菜でしたが、近年は通年で売っています。しかし小さいのが198円とか、お高いのが不満。夏だけしか出ない頃は大きいゴーヤーが98円だったりしたのに。そういう食べがいのあるゴーヤーでたっぷりの量を作るのがそれらしくて好きなのに。

 

沖縄の聖所をめぐった日。

この日は那覇からちょっと離れた、斎場御嶽と久高島を廻りました。こここそ沖縄にしかない、沖縄に行かなければ味わえない、古い時代から人々の心を集めて来た場所。この辺り、もっと沖縄の宗教について知っていたら面白かったのかもしれない。

でもそんなに知らない状態で行っても久高島は特別な場所でした。照り付ける陽ざし。白い道。神様が降り立った島。

この日、たっぷり海を見られたのも良かったなー。天気が良かったので海が青かった。リゾートに興味がないわたしがいうのもなんだけど、やっぱり沖縄では青い海を見ないとね!

 

 

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