フィレンツェは大好きな町です。その魅力はなんでしょうか。……これは実はよくわかっていないんですけれども。うーん、なんだろう。
フィレンツェの魅力・その1。
まず建物が美しいですね。赤い屋根。壁は白か肌色か黄土色の茶色系。これが白一色だと統一感がありすぎてしばらくすると飽きるかもしれないけど、色のバリエーションがちょうど良い。
フィレンツェに行ったらここには行っとけ!な、ミケランジェロ広場という展望台があります。そこから見た景色がこちら。
赤い大屋根を持つ美しいサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂が、島のようにふわりと浮かび上がります。建物の大きさが揃っているところと巨大な大聖堂の対比が素晴らしい。実際に見ると、大聖堂がもっと島っぽいです。わたしはそれまであまり「町を一望する」ということに興味がなかったのですが、フィレンツェに行った後は積極的に高いところへ登るようになりました。……階段がツライところはイヤなんですけどね。でもお城があると登っちゃうなあ。
そしてフィレンツェの魅力、その2。
それはウフィツィ美術館があることです。その所蔵するルネサンス絵画の質は世界一。大きさではルーブル美術館とか大英博物館の規模はありませんが、質の高さが、密度がすごい。
建物はこういうコの字型。昔は役所=オフィス――イタリア語でいうとウフィツィだった建物ですって。
ルネサンス絵画って、たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチですよ。あの時代の絵です。ダ・ヴィンチとミケランジェロとラファエロがルネサンス三大巨匠と言われています。そしてこの3人はみんな若い頃をこのフィレンツェで過ごしている。まさにルネサンスの才能を生み出した町ですね。ここへ来れば3人の絵を見ることが出来ますよ。
それらのルネサンス絵画が散逸せずにここにあるのは、ある一人の女性が偉かった。
アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ。
最後に「メディチ」と付くようにメディチ家の一員、その本家の最後の生き残りです。1677年に生まれ、1743年に亡くなった人。この人が遺言で「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」と条件を出した上で、その膨大な美術品をトスカーナ政府に寄贈した。ウフィツィ美術館はそれを基盤としています。
メディチ家は元々単なる銀行家でしたが14世紀頃から羽振りが良くなり、15世紀には最盛期を迎えます。身分は民間人のまま、実質的にはフィレンツェを支配していました。その頃のメディチ家当主の名はロレンツォ。
ロレンツォは後述するボッティチェリやミケランジェロなどの画家のパトロンとなり、ここにルネサンス文化が花開きます。金のあるところに文化という果実が実る。
メディチ家については塩野七生さんの著作を読んでいると山ほど出て来るので、すっかりお友達になっている気がしていたのだが……でも塩野七生はメディチ家についての本は書いてないのね。意外だ。あまりにもどこにでも出て来るので、改めて1冊がっつり書く気にはなれなかったか。
じゃあこれかこれ、ということになるかなあ……。
図説 メディチ家―古都フィレンツェと栄光の「王朝」 (ふくろうの本)
メディチ家通史がなかなかない気がする。たとえば「徳川家康」なら1冊でどかんと出せても「徳川家」というタイトルでは難しいように。しかもメディチ家と徳川家を比べたら、メディチ家の方が長いですもんね。
こんなカードゲームも見かけました。
どうもわたしはこんなんに惹かれるんだよなあ。ちょっと面白そうな気がする。
メディチ家は最終的にはフィレンツェの君主となります。トスカーナ大公。しかし名実ともに支配者になった時期よりも、その前のロレンツォの時代の方がメディチ家自体も、そしてフィレンツェも栄えていた。花の都フィレンツェ。
この辺りの栄華、そして翳りを書いているのがこの本。
わたしは辻邦生が大好きで。もう亡くなってしまいましたけど、真摯で誠実で、インテリにもかかわらず(とあえて言うが)「世界は美しい」と言い続けたかった人。晩年になっても青年期のロマンティシズムを失わなかった人。
これは画家ボッティチェリを描いた小説です。ボッティチェリの小説で日本語で書かれたものは珍しい。わたしには辻邦生とここに描かれたボッティチェリが少し重なります。
この中にはメディチ家がフィレンツェにとってどんな立場だったかが、肯定的な見方から書かれています。最後はバタバタと終わるのでちょっと残念なのですが。単行本だった時はおよそ1000ページあった大著です(汗)。文庫は全4巻。のんびり読んでください。
魅力的な歴史を持つ、魅力的な町。昔はここを、ダ・ヴィンチが物思いにふけりながら歩き、ミケランジェロがしかめっ面で歩き、ラファエロが華やいだ笑い声を上げながら通り過ぎた。
では、ウフィツィ美術館へ参りましょう。
予約をした方がいいそうです。
わたしは過去3回ウフィツイ美術館に行きました。3回とも冬。そうすると特に待ち時間はなくそのまま入れたんですよね。中も混んでいるというほどではなかった。
しかしそれは十数年前の話です。その後訪問者は増えたでしょう。どのサイトを見ても予約した方がいいと書いてある。面倒ですね……。でもしょうがないんだろうねー。
言語に日本語はありません。英語でがんばるしかない。日本人も相当行ってるだろうから、日本語ページも作ってくれるとありがたいんですけどね。
じっと見てるとわかってくると思いますが、この予約ページで他の美術館の予約もするようになっていますね。アカデミア美術館(ミケランジェロのダビデ像があるところ)も混むらしいなあ。なんでもかんでも予約が必要だと旅行の自由度が減る……
実際に行くことになったら、どこを予約してどこを予約なしでチャレンジするか、だいぶ悩むことになりそうです。なお、一番下の方にウフィツィ、ピッティ宮殿、ボーボリ公園の共通チケットがだいぶお得な金額で出ているようですね。3ヶ所とも行きたい方は要チェックです。2ヶ所でも多分お得になる。
こちらは予約方法画面を詳しく説明してくれているサイト。がんばりましょう。
なお、多少の手数料を払ってもいいから日本語のサイトで予約したい方。たとえばこんなサイトがありました。
〇アーモイタリア旅行ガイド
(こちらにウフィツィの館内図と作品の展示場所が載っていますが、作品の展示場所はもしかしたら変わっているかもしれません。調べたけど別なデータが出て来る。現地でご確認ください。全体的に数字のデータは古めな気がします)
サイト内の左上の検索窓で「ウフィツィ」と入れると関連チケットが出て来ます。
実際に使ってみたわけではないので、すみませんが内容には言及できません。調べてみてくださいね。日本語の予約サイトは他にもいくつかありました。
フィレンツェカードという存在も。
そして予約方法で頭がいっぱいになった頃に、今さらフィレンツェカードの情報が出現する……。
このカードは85ユーロ。レートによりますが1万円ちょっとでしょうか。72時間有効。76の対象施設の入場料が含まれ、カード所持者は優先入場が出来る。(ただしウフィツィ美術館とアカデミア美術館は除く。ドゥーモのクーポラはさらにめんどくさい利用条件がある。)
こちらのサイトが、複雑な内容をわかりやすくまとめて下さっています。
えーと、……実際フィレンツェに行くことになったら改めて詳しく調べます……。使えそうな気はしますね。76ヶ所のイタリア語を解読するのが面倒で詳しく見ていませんけれど。3日以上フィレンツェにいる場合は、たとえばウフィツィ美術館だけはきりはなすとか。その方がお得になるかもしれません。
それにしてもフィレンツェ、複雑になったなあ。
ウフィツィ美術館の必見10選。
わたしがおすすめしたいウフィツィ美術館の10作品をあげます。一応時代順にご案内しますが、間違っているかもしれないので、並べ方は参考程度にみておいてください。
ジオット「荘厳の聖母(マニスタ)」
By ジョット・ディ・ボンドーネ - c. 1306-1310, パブリック・ドメイン, Link
中世からルネサンスへの扉を開く一枚。
まだ硬いよ、顔色も悪いよ、というご感想はあるかと思いますがもうちょっと前の、全く人間味のない聖母マリア、イエス・キリストと比べると人間になってきている。これからルネサンスが始まるんだ!という期待を感じてください。
まあ赤ん坊が可愛くないというのはこれ以降も西洋宗教画がなかなか乗り越えられない部分だからゆるして。
マリアの恰幅の良さも特筆すべき部分かと思う。太っているのではなく、堂々とした恰幅の良さ。いかにも「荘厳の」聖母。「荘厳の聖母」はいくつもあるけど、一番これがそれらしい。
ちなみにですが、この絵の近くにあるであろうシモーネ・マルティーニの「受胎告知」。
どうもこの絵を見ると「え~、あんた誰~?怪しい~」というマリアの声が聞こえてくるようで笑ってしまう。「受胎告知」の場面はマリアの驚愕とか逃走まではたまにあるけど、ここまで嫌悪感むき出しというのはどうなんだ。不審者扱い。突然家の中に現れて「子どもが出来たよ」と告げる人はやはり不審者でしょうが。画家はどんな心情でこの表情に描いたか不思議。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公夫妻の肖像」
右側がウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ、左側が奥さんのバッティスタ・スフォルツァ。
がっつり真横からの肖像画はこの時代のイタリアではそれなりに見かける形式です。
フェデリコは右目がなかったらしい。槍試合の際失ったとか。鼻の形がおかしいのもその時に付け根の肉を持って行かれてしまったからだと。
この人は小国の主だけれども傭兵隊長で、武人だったんですね。傭兵隊長というのは他国に雇われて戦争に行く集団。戦争の時にはお互いが傭兵という場合もあり、損害が少ないようにそれなりにしか戦わないということもあったらしいです。
奥さんの顔色があまりに青白すぎるように見えるけれども、これはこの頃の美意識のようです。注目すべきはその服飾デザイン。髪型、髪飾り、首飾り、袖の意匠など細かく書いている。この肖像画の制作は1465年から1472年の可能性があり、1472年にバッティスタは亡くなっている。
こういう肖像画が多数あるので、イタリア服飾史は相当細かいところまで追えるようです。前にダ・ヴィンチ関連のテレビ番組で言っていたことですが、袖の形の流行が5年刻みくらいでわかるので、そういうところからも絵の制作年代がわかる場合があるそう。驚く。1500年代の話ですよ。
日本で考えれば……信長の妹お市の方のあたりですから、袖の形の流行まではちょっと無理だと思うなー。多分イタリアの肖像画の方が質量ともに豊富。特に女性は。
フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」
By フィリッポ・リッピ, パブリック・ドメイン, Link
優しくて儚い聖母。ようやく素直に美人が描かれる時代になって来ました。
この画家は元々修道士です。が、やんちゃな人だったそうで、50歳頃に20歳そこそこの若い修道女と駆け落ちしてしまいます。やんちゃってレベルじゃないですね。当然修道院からは咎められますが、フィリッポ・リッピの絵の才能を惜しんだ当時のメディチ家当主がとりなし、リッピは無事に還俗し画業に専念出来るようになりました。
この聖母はその駆け落ちした相手、還俗したあとには正式に結婚し妻になったルクレツィアをモデルにしていると言われています。ルクレツィアとの間に生まれた息子はフィリッピーノといい、やはり画家になり、お父さんほど有名ではないけれども歴史に名を遺す存在となりました。
幼子イエスの方か天使の方かわからないけど、息子もモデルなんだって。そう聞いてから見るとこの天使、笑顔がとても可愛くないですか。可愛くて仕方ない息子を見つめる画家の視線を感じませんか。
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
これです!ウフィツィ美術館随一の名画は。
ダ・ヴィンチ派の人もいるかもしれないし、ミケランジェロの「聖家族」を見に来るという人もいるかもしれないけど。わたしはボッティチェリ派です。
このたゆたうような甘美さ。まだ目覚めないまま、夢見るようなヴィーナスのまなざし。近代的な絵画の見方でいえば人物の関連性がぎこちないのだけれども、それが古拙な味わいとなっている。
実はこのヴィーナスは姿勢が不自然で、この重心では立っていられないはずだというのも何かで読んだことがありますけどね。あんまりデッサンは上手くない人な気がする。わたしが天下のボッティチェリに言うのもなんですが。
しかしそれをのりこえて、髪のうねりとか体のS字カーブとか右側の花の女神の衣装の豊かさとか、いいなあ。豊穣を感じる。これから花開く時代の高揚感がある。花のルネサンスの幕開けの一枚。これこそ名画です。
ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」
「ヴィーナスの誕生」と同じ画家の絵。わたしはこれは「春」と対になった絵だと思っていたのですが、違うという説もあるようですね?
登場人物はギリシャ神話からとられたもので、左から使者の神ヘルメス、三美神、中央が美の女神ヴィーナス、花の女神フローラ、ニンフのクロリス、西風の神ゼフィロス。……これはだいたい定説としていいようです。しかしなぜその顔ぶれなのかということは確定してない。なので全体で何を表すのかということに関してはあれこれ議論があるようです。
ヘルメスなんか全然違う方向いてるしね。一応みんなヴィーナスにつき従っていると言われたこともあるけれど(「ヴィーナスの王国」というタイトルで呼ばれた時代もあるらしい)、それにしては誰もヴィーナスのことを気にしてる様子もないからね。寓意を含んだ謎の多い絵です。決定的な説が出たら知りたいけれど、ボッティチェリが主題について書いた文書でも出てこない限り確定は出来ないんじゃないかなあ。
この絵の見どころは三美神の衣の透明感とヴィーナスの衣装のひだの優雅さ、そしてクロリスの口からこぼれた花がフローラの衣装の花柄に変わっているところ、でしょうか。クロリスがゼフィロスに愛されて花の女神に変容するそうです。それを表すために花が使われているのだとか。
アップで「ほらほら、ここ!」と言えないのが残念。現地で見てみてください。
トリブーナ
18室はトリブーナと呼ばれる八角形の小部屋です。今は入れないの?昔は入れた気がするんだがなー。赤い壁の豪華な部屋で、ここにはどちらかというと小品の類ではありますが、メディチ家の宝物として代々継承されてきた美術品が並んでいます。……他のも代々継承されてきた宝物だと思いますが、メディチ家支配時代からこんな風に飾られていたはず、という再現であることが価値。
youtubeから引っ張って来た動画です。一観覧者によるものでしょう。天井も、天井も見どころなので撮って!と思うが、天井は撮ってくれてない(笑)。床のモザイクも見どころ。
ヴェロッキオ「キリストの洗礼」
ヴェロッキオという人はそれはそれはすごい人で……というのは、わたしもたった今、wikipediaを見て知りましたが。
画家で彫刻家で建築家で鋳造家で金細工師ですって。画家で彫刻家だったのは知っていたが。そしてwikipedia内で師匠と弟子として挙げられる名前のなんときらびやかなこと。まあ都市であるフィレンツェ内での話だからみんながお知り合いでも当然といえば当然ですが、それは豊かな才能がいかにフィレンツェに集まっていたかの証拠でもある。
この人はダ・ヴィンチのお師匠さんです。この絵も見て欲しいのは左端の天使。これが弟子だった頃のダ・ヴィンチが描いた部分と言われています。そう言われてみればダ・ヴィンチは髪の描き方が優れた人でした。この金色の巻き毛の軽やかさがダ・ヴィンチらしい。ダ・ヴィンチは後年「自然を手本にせよ」として、髪の毛の流れもせせらぎの水の流れを手本にしたらしい。……と、たしかはるか昔のテレビ番組で言っていた。
でも実はヴェロッキオは画家としてよりも彫刻家として見て欲しい人です。フィレンツェの美術館を回っていると彼の作品に出会えると思いますので、その時は「お師匠さん!」と思い出してあげてくださいね。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」
ダ・ヴィンチが初めて一本立ちして描いた一枚。だと思っていたのだが、さだかではありません。20歳から23歳くらいの作品ということで、いくつも説があるらしい。
天使の羽は、後年しつこいくらいに写生をしたダ・ヴィンチにしては少々アマイ。背景の木も様式的な気がする。しかし遠景の山は、もう空気遠近法で描いてる?早すぎないだろうか。早熟の天才ではあったろうけれども。
有名な「モナリザ」を思い浮かべて比較するのも面白いですね。「モナリザ」では顔の輪郭線を描かない「ぼかし技法」を使っています。この絵では服のひだなどをたっぷりと見せていますが、「モナリザ」では黒一色の地味な服。近くに寄って見ればおそらく植物は相当細密に描かれているのでしょう。あんまり近づくと防犯ブザーが鳴りますからね(←まさにウフィツィで鳴らしたことがある)。ほどほどに。
それから、「やだ、何、この人~」のシモーネ・マルティーニの「受胎告知」と比べてみてください。主題は同じです。50年で絵画はここまで来ました。
ミケランジェロ「聖家族」(「トンド・ドーニ」)
By ミケランジェロ・ブオナローティ - Uffizi, パブリック・ドメイン, Link
そこそこ珍しい円形の絵です。別名の「トンド・ドーニ」は注文主であるドーニ家の円形板絵という意味。この絵に洗礼者ヨハネがいることを初めて知ったよ……!右側の、全然力を入れて描かれてない少年ですね。
わたしはミケランジェロの絵があんまり好きではなくてですね……。あまりにもマッチョすぎる。ミケランジェロは女性像を描くのにも男性モデルを使ったと言われる人だから仕方がないのかもしれませんが。
この絵の見どころはこのテカテカした色使いと筋肉、これでもかと描かれた服のひだです。この鮮やかさは500年前とは思えませんね。ミケランジェロの絵画作品といえばローマのシスティーナ礼拝堂の「天地創造」と「最後の審判」ですね。あれも鮮やかな色彩、筋肉です。とにかく筋肉。彫刻作品ではこの筋肉礼賛が吉と出るのですが、絵画にはアクが強すぎて……
背景の全裸の男たちがなぜここにいるかは不明です。なんですかね?シュミですかね?聖ヨハネが聖家族と隔てられているのも不思議だなあ。なぜいるのかわからない男たちよりも聖家族側にいるのが自然だと思うんですが。そもそもここに聖ヨハネが必要だったか?
ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
ティツィアーノはヴェネツィアを縄張りにした画家です。当時有名画家はイタリア国内(当時はイタリアとして統一されてはいません)のみならず、ヨーロッパ中から注文されて絵を描く時代でした。これもウルビーノ公、グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレによって注文され、ティツィアーノが描いたものです。
あれ?ウルビーノ公、どこかで聞きましたね?
上の方にある、横顔の鼻の欠けたフェデリコ・ダ・モンテフェルトロの肖像。あの人の曾孫がグイドバルド2世。曾孫の代になっても、ちゃんと領地と血筋を守っていられたんですね。良かった良かった。
この絵の見どころはずばりその官能性です。裸体の美しさと挑発的なまなざし。なぜここまで官能的に描く必要があったのか、それは注文主のシュミなのか、など謎がある絵です。こういう風に女性の裸体を描くためにはギリシャ神話という格好の隠れ蓑があったはずで、たしかにタイトルはヴィーナスなのですが、どこがヴィーナスかと言われると多分誰にも答えられないと思います。
後ろの侍女たちがあまりに現実的でありすぎる。おそらく当時の貴族生活の一場面そのままだと思います。ということはやはり単に注文主のシュミなのか。婚礼道具の箱箪笥を飾るための絵だという意見もあるようですが、はっきりしたことはわかりません。
わたしが初めてウフィツィ美術館に行った時、この絵も絶対に見たい一枚だったのですが見当たらず、係の人に訊いたところ「closed」と言われ……「closed⁉」と叫んで笑われた記憶があります。
以上、ウフィツィ美術館必見の10枚です。
……ああっ!ラファエロの絵が1枚もないではないか!ルネサンス三大巨匠の一人、現代日本でこそ知名度はダ・ヴィンチやミケランジェロに大きく水をあけられてるとはいえ、長らく西洋美術の最高峰とされてきた画家が!
大好きなのに。ダ・ヴィンチやミケランジェロよりもずっと好きです。でもラファエロの作品で本当に大好きなのは、ウフィツィじゃなくてピッティ宮殿にあるんだよなあ……。
とはいえウフィツィ美術館にも名作があります。
ラファエロ「ひわの聖母」
ラファエロは「聖母の画家」と呼ばれた人で、聖母子像をたくさん描いています。同時代では図抜けた人気があり、工房も巨大で工房作品も山ほどあるらしい。この絵はどうなのかな。工房作品にも本人の筆が1%しか入ってないもの、80%くらい入っているもの、どちらの可能性もありますもんね。
これはおそらくラファエロ作品としては平均的な出来です。(←お前が言うな。)でもこの柔らかさ、甘美さを見てください。ボッティチェリの夢見るような甘美さとはまた違う、あくまでも現実的、しかし究極の美しさ。人間が聖母に求めてきた理想の母の姿がラファエロの絵にはあります。
そしてラファエロを頂点として、以後西洋美術は理想を追い求めることを止め、それぞれ違うものを目指すようになります。まるでバベルの塔のように。
以上、ウフィツィ美術館必見の11枚でした。
もっと他にもありますけれども。涙をのんで11枚。
ボッティチェリの「ザクロの聖母」
ダ・ヴィンチ「聖ヒエロニムス」
ティツィアーノ「フローラ」
ブロンズィーノ「エレオノーラ・ディ・トレドの肖像」
とかとかとか。
新しい作品の収集もだいぶしているんですね。ヴィジェ=ルブランの「自画像」がここにあるとは思わなかった。というか、わたしがウフィツィに行った当時はヴィジェ=ルブランのことを知らない。
ところで今回この記事を書いている間にこちらのサイトに行きあたったのですけれどね。
写真の数がものすごいです……!写真としては一観覧者の写真かと思いますが、ここまでの枚数を載せて下さっているサイトは多分どこにもないのではないでしょうか。イタリアの相当マイナーなミュージアムまで網羅なさっています……!
アップロードしてタイトルと作者名を入力するだけでも相当に面倒ですよ。しかもありがたいのは、制作年代、それがわかっていない場合は画家の生没年を書いて下さっていること。これがあるのとないのとでは鑑賞する際に相当違いますからね!
大変な労作だと思います。頭が下がります。
なお、今まで読んだ本の中からフィレンツェ関連本でおすすめを。
これはどちらもいい本です。とんぼの本は常にクオリティを保ってますが、1991年発行のこの本、いまだに現役です。すごい。薄くて軽めなのでフィレンツェ旅行の際もガイドブックとしても役立ちます。
若桑みどりさんはもう亡くなってしまいましたが、ルネサンス前後を専門にする学者さんでした。晩年はジェンダー研究などもなさっていたようです。亡くなってから12年も経ちますか。信じられない。この本にはフィレンツェについての知識が詰まっています。フィレンツェ旅行の前にぜひご一読を。
以上、力いっぱいウフィツイ美術館でした。
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