西洋美術の流れを大まかに見ると、その主流にどうしても乗らない国があります。それがイギリス。
まあ絵画はイタリア、その次にフランスで隆盛を誇りその他の国は若干地味ではあるのですが、国力を持った国のなかでイギリスでの画家の出なさ加減は尋常ではない。
いや、いるんですよ。イギリスにも画家は。
でもどうしても大物という気がしない……。スペインにはベラスケスとゴヤがいますし、フランドルもルーベンスがいたし、ドイツもデューラーが。
しかしフランドルもドイツも、当時は国としてまとまっていたわけではありませんからね。大国というわけではない。イギリスは、わたしの感覚ではけっこう大国だと思うのですが……。少なくともヘンリー8世時代以降は。それなのに画家は外国から来た人が多いですね。地元産の人がなかなか出て来ない。
まあイギリスはその代わりにシェイクスピアとコナン・ドイルを生んだからいいか。イギリスは文学でがんばっている。
イギリス美術のとっても簡単な概観。
それはともかく、このままイギリスの美術に触れないのもなんだかなあと思いました。たしかにホルバインはちらっと出て来たけど、そして印象派前にターナーには触れられるけれども、その他の画家たちを。
わたし自身もイギリス美術を、一度一つの流れで見てみたいなーと思って、こんな本を借りて来ました。
これは、さくっと読める新書的な本かと思っていたのですが、思ってたよりみっちり書いた本でしてね……。このしっかりした本をしっかり追っていくと大変なので、あっさり追って行こうと思います。正しく追えるかはまた別の問題ですが、わたしが理解した限りの範囲で。
読み始める。本文第1ページ目で驚く。
この本、本文1ページ目で目から鱗が落ちました。
全文引用するとちょっとした量になるので簡単にまとめますが、
英国国教会が成立した。
→英国国教会の性質から宗教絵画が忌避されるようになった。
→それまでの絵画も1548年の聖像破壊令によって影響を受けた。
→宗教絵画の流れが途絶え、世俗画、肖像画がほとんどを占めるようになった。
おおう。そんな流れだったのか……!
ヘンリー8世は1534年にカトリックから分離した英国国教会を設立し、自分がその首長に収まりました。王様が宗教権を掌握したというのは前代未聞。それまでは王様や皇帝よりも宗教権が上にあったのですから。破門されるのは大変な恐怖だったようです。
英国国教会は「宗教的映像に強い敵意を抱いていた」そうです。これがびっくり。わたしはウワサ(?)では英国国教会というのは「ほとんど中身はカトリックのプロテスタント」だと何度から読んでいました。
なので、あんなに宗教絵画を愛したカトリックなのに、イギリス発の宗教画を見ないのは一体どうしたことだろうと長年不思議に思っていた。教会は山ほどあるので、宗教要素が希薄というイメージはありませんでしたが。6世紀にブリテン島にキリスト教が渡って以来、絶対に描かれたはずの宗教画はどこへ行った?
そしたら「新教諸派の宗教改革者たちは、あらゆる種類の宗教的映像には強い敵意を抱いていた」と書いてあるじゃないですか!そして聖像破壊令……。初めて聞いた。中世に存在したイギリスの宗教画も、そこで破棄されたってことですかね。はー。わたしは英国は伝統的に宗教に淡泊な国民性なんだと思っていましたよ。
なるほど。聖像破壊令で失われた宗教絵画がだいぶあったのかもしれませんね。だからホルバインから始まるのか。
それにしてもホルバインの名前が本の1ページ目にすでに出て来るというのも驚き。その前の美術史は半ページに収まってしまった。
ホルバインはドイツ人。でもイギリスと大陸の関係はおそらく日本と大陸の関係よりも密だったと思うし、わたしのイメージよりも人の行き来は多かったことでしょう。
イギリス絵画の一番手、ホルバイン。
前にホルバインはこの記事の最後の方で取り上げています。
上の記事では代表作である「大使たち」と、わたしの好きな「トマス・モアの肖像」を挙げています。この人の絵はこの時代と思えないほど理知的な雰囲気があるんだよなー。
ホルバインは当時パトロンであったヘンリー8世、あるいはその妻たちの肖像も描いてます。こちらは意外なほど中世的な雰囲気。
ホルバイン「ヘンリー8世の肖像」
トマス・モアは現代的に、ヘンリー8世は伝統に忠実に威厳をこめたスタイルで、ということかもしれません。
ホルバインがイギリス絵画史上、最初に個人的に活躍した画家。
ミニチュア画を得意としたヒリアード。
西洋美術史全体ではそこまで有名な画家ではないですが、イギリスでその後活躍するのがニコラス・ヒリアード。初めに言ったようにイギリス絵画はどうしても肖像画なんですね。
この人の特筆すべきところはミニチュア画がとても得意だったこと。元々金細工師の家系で、本人も金細工師として修業したそうです。そういうところからミニチュア画を描いて、その絵をロケットにしたものが多かったようですね。
ホルバインと時代は重なっていませんが、本人は私淑した画家だったようです。しかしホルバインに学んで、どうしてこんな風に中世的な描き方になるのか疑問。
エリザベス1世はなかなか気に入った肖像画家に出会えず、ヒリアードが初めてのお気に入りになったそうです。イギリス人としては最初の著名な画家。
ヒリアード「エリザベス1世のミニチュア画(1587年)」
正直なところ、もうちょっと美人に描けたのではないかと思うのですが。エリザベス1世の肖像はどれを見ても真っ白な顔をして、ちょっとコワイですよね。本人はこれで満足だったのだろうか。ホルバインの「大使たち」よりも時代的には後ですよ。もう少しリアルを追求しても良かった気が。
レースの豪華な表現。エリザベス1世はかなり衣装道楽だったそうです。かなり斬新なデザインの衣装も試みたとか。たしかおへそのあたりまで切り込みのある超Vネックなドレスを着たこともあるそうです。それを見た廷臣たちはどんな反応をすればいいか困ったらしい……
ヒリアード「薔薇の中の青年」
ミニチュア画。モデル不明(エセックス伯という意見あり)。肖像画として見るより、完全に装飾画として見た方が魅力的な気がしますね。これはロンドンのヴィクトリア&アルバートミュージアムで見られます。
この絵は物憂げな様子。当時のエリザベス朝では「メランコリー」が流行っていたそうです。メランコリー=知力の深さ、芸術的感性の鋭さ、といった受け取られ方がなされていたとか。
チャールズ1世の肖像画家、ヴァン・ダイク。
アンソニー・ヴァン・ダイクはフランドルはアントワープ出身。この人もまた外国の画家。今知ったのですが、ルーベンスの弟子だそうです!
ヴァン・ダイクがアントワープを離れたのはルーベンスと対立したから。という説もあったそうですが、実際のところはイタリアへ修行に行ったからだそうです。ヴァン・ダイクはその後、イギリスのチャールズ1世に気に入られ、その画業を主にイギリスで展開するようになります。
チャールズ1世(在位1625年~1649年)という王さまは……なんかいろいろあったようですので省略。しかし結局やることなすこと裏目に出るような人で、最期はピューリタン革命で処刑されてしまいます。でも意外なことにチャールズ1世はイギリス芸術史からすると、史上最大の芸術の庇護者という存在ですって。
ピューリタン革命の年に亡くなったヴァン・ダイクは、良き時も悪しき時もチャールズ1世と一蓮托生だったのかもしれません。宮廷付きの画家として、破格の年金や邸宅、サーの称号も与えられて。
不遇だったチャールズ1世の肖像はこちら。
ヴァン・ダイク「馬上のチャールズ1世とサン・アントワープの領主の肖像」
ヴァン・ダイクが描いた数あるチャールズ1世の肖像画の中で、これはかなり威風堂々たる姿の方なんですが、どうも幸薄く見えるのは、こちらが「最期には処刑される人だ」と思ってしまうからでしょうか。眉が下がっているのがいけないのでしょうか。
ヴァン・ダイク「英国王妃ヘンリエッタ・マリアの肖像」
チャールズ1世の奥さんの肖像。身頃の刺繍の表現が素晴らしいですね。
ヴァン・ダイクは前半は宗教画や歴史画を描いたようなんですが、やはり人物画の方が魅力があるかなあ……。目に見えるものの細部を描くのが得意な人だった気がします。
ヴァン・ダイクが1641年に亡くなってからホガースが出て来るまでの間にこの本で名前の挙がった画家は3人。
ウィリアム・ドブソン(イギリス人)
ピーター・リリー(オランダ人)
ゴッドフリー・ネラー(ドイツ人)
うーん、わたしは誰も聞いたことがありませんねえ……。ドブソンは日本語のwikiもなく、でもさすがに英語のwikiはあって「素晴らしい画家」と書かれています。肖像画家。
ピーター・リリー(レリー)は「ウィンザー・ビューティ」と呼ばれる10人の貴族女性の肖像を描いたそうです。当時の王様だったチャールズ2世の愛人たちを含む、宮廷の美人たちだそう。顔がほとんど同じに見える……
ゴッドフリ・ネラーはレンブラントの弟子だったこともあるそうです。
この辺、みーんな肖像画。肖像画ったら肖像画。どれほど肖像画を生み出すのか。
風刺画の得意な、ホガース。
ウィリアム・ホガース。1697年に生まれ、1730年前後から活躍しました。……ヴァン・ダイクから90年空いてます。けっこうな空白のイメージ。
でも日本の画家も、いうたらこの頃、そんなに有名な人が続いたわけではなく。俵屋宗達が1640年頃没、菱川師宣が出て、尾形光琳が出て……くらいの話で。間にもっと他にもいることでしょうが。
長らく肖像画が続いたイギリス絵画で、ホガースはちょっと変わったものを描いた画家。ホガースが描いたのは風刺画でした。
最初は貴族の家族肖像画などを描いていたそうです。そして、次に当時舞台にかかっていた芝居を絵にしたりしたそう。その芝居は社会風刺の利いたシニカルなもので、世間の評判を取っていました。その絵が当たったことで、ホガースは風刺画の方向へ進んだのだと思います。
ホガース「当世風の結婚」
貧乏貴族と成金の商人の娘の利害の一致した結婚。その愛のない結婚の結末を連作で描いています。結局破綻するんですわ。その過程を描いていくのが面白がられたらしい。油絵ですが、4コマ漫画的な趣きなのかもしれません。
ホガース「ジン横丁」
さらに風刺画側に寄ったのがこちらの「ジン横丁」。当時のロンドンの貧民街では安いジンが大量に飲まれており、話によると乳児にミルク替わりに飲ませていたという状況だったそうです。絵にあふれる飲んだくれ。
奥の方では建物が崩れているし、右手の建物の2階では首つりがあり、手前では喧嘩……。悲惨で殺伐とした世界。
この絵と対になる「ビール通り」という作品もあります。せっかくだから並べてみます?
左が「ビール通り」で、右が「ジン横丁」。
「ビール通り」は意外なことに、平和で幸福な世界。当時は税金が高かったビールは貧しい人々には買えませんでした。安価でアルコール度数が高いジンを飲んで手っ取り早く酔っ払い、次々アルコール中毒になっていった、という一組の風刺画。
ホガースは銅版画をたくさん出した画家でした。油絵よりも簡単に稼げるからという理由もあるようです。それだけではなく、肖像画を描くのが嫌いだったらしい。「似顔絵屋」と呼んで軽蔑していたそうです。きっと才走った人だったのでしょうね。
正直なところ、わたしはホガースはそんなに好きではなくて。やっぱりきれいな絵が好きなんですよねー。
地味なイギリス絵画ですが……
代表的な画家を挙げると10人ほどいて、4パートくらいに分けないと追えないような気がして来ました……。なんで好きなルネサンスでさえ数人しか拾ってないのに、なぜ地味なイギリス絵画で10人拾うのかと。
でもたとえ好きじゃなくても、流れで見た場合どうしても立ち止まらなければならないポイントがありますもんね……。やっぱり4パートになるかも。その分1記事は短くなるかもしれないので、一長一短だと思ってください。いや、ならんか……
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