わたしが不思議で仕方ないことの一つに「なぜ奈良の東大寺は大仏殿だけがあんなに激混みで、戒壇院には全然人がいないのか?」があります。そりゃ奈良に行ったら大仏さまはもちろん見るけどねっ。でも美的観点から言うと、大仏さまより戒壇院の四天王像の方がはるかに勝る。どうして大仏殿も戒壇院もどっちも行かないんだろう?
同じように疑問なのが、あんなにウフィツィ美術館の名前は世界に広まっているのに、なぜピッティ宮殿はそれほどではないのか?ということです。テレビ番組だって、ウフィツィは山ほど特集番組が組まれるのに、ピッティはほとんど見たことがないじゃないですか。ウフィツィに行ってピッティに行かないのは片手落ち。どちらもルネサンス美術の宝庫ですよ!
……でもたしかにわたしもピッティ宮殿には1度しか行ったことがないんです。やっぱり時間が限られたなかで1つだけの選択を迫られたらウフィツィ美術館になるよなあ……。今度行くことが出来たら、その時はウフィツィもピッティもそれぞれ1日ずつかけて全面的に堪能したい。
先日、ウフィツィ美術館について書きました。ウフィツィ美術館の必見10枚について書いていたら、たった1回行ったパラティーナ美術館で見た、忘れられない絵について語りたくなりました。4枚あります。その4枚だけ、語りたい……!
ピッティ宮殿の中には複数の美術館が。
しかしちょっと待って。ピッティ宮殿のなかには複数の美術館があるんです。最初わたしはこの部分混乱したし、今でもよくわかっていません。この建物の成り立ちをおさらいしたいと思います。
ピッティ宮殿は元々ピッティさんが作り始めました。とてもお金持ちで勢力もあった銀行家ですが、宮殿建設半ばのままピッティさんは死んでしまいます。
それから100年ほど経って、メディチ家の当主がこの宮殿をようやく買い取ることにしました。……それまでの間一体この場所はどうなっていたんでしょうね?100年ですよ。工事が途中のままほっておかれていた?廃墟?名実ともに権力を握ったメディチ家なら、100年も放っておかないでとっとと買い取ればいいものを。
メディチ家がピッティ宮殿を買い取った後、工事は再開され宮殿は完成します。他にもメディチ家が保有していた宮殿はいくつもあったはずですが、ピッティ宮殿が本邸になり年々規模は大きくなっていきます。メディチ家の本邸なのにピッティ宮殿という名前もどうかと思うが……。
ちなみに外観がゴツイのは質素を前面に出すことで嫉妬を買わないようにという思惑があったとか。外観とはうらはらに内部はきらっきらに豪華です。これぞ王侯貴族の宮殿。
仕事はウフィツィとその向こうにあるヴェッキオ宮殿で行ない、生活はピッティ宮殿でというのがメディチ家当主の行動パターンになります。その2つの建物の間は雨にぬれず、暗殺を警戒して人目につかないように移動するため回廊も作られました。
……近いとはいえけっこうな距離ですよね。1キロ弱あるそうです。この回廊はヴァザーリの回廊と呼ばれています。ここは自画像専門のギャラリーになっており、今まで公開非公開を繰り返しながらその秘密の匂いを保ってきました。今後2021年から大々的に公開予定らしく、予約必須、それなりに入場料も高そうですがその中の絵画が人目に触れる機会は増えるでしょう。
そういう経緯だったせいでピッティ宮殿にはメディチ大公家が代々伝えて来た物が、質量ともにたくさんあるわけですね。元々ウフィツィに飾られていたものでピッティに移されているものもあるそうですよ。この辺詳細は知りませんが。宝石類なんかはそうらしい。
で、その宝物をどーんと「ピッティ美術館」としてそのまま公開したらわかりやすかったわけですが、ジャンルごとの美術館として分けられているそうなんです。Wikipediaを見ると書いてありますが、ちょっとその美術館の数に疑問があるなあ。一応ピッティ宮殿の公式サイトの英語版で見ると、
パラティーナ美術館
近代美術館
衣装美術館
銀器美術館(メディチ家の宝物館)
陶器美術館
ボーボリ庭園
の6つのようです。このうちのパラティーナ美術館が一番の見どころで、多数の絵画が展示されています。ここをたまにピッティ美術館と書かれているケースがあるのでややこしいんですよ。正しくはピッティ宮殿の中にあるパラティーナ美術館。
このそれぞれのチケット代とか、……公式サイトがわかりにくくて。フィレンツェの美術館は個々にではなくて公が取りまとめて運営しているっぽいが、サイトの作り方が下手なんじゃないだろうか。
フィレンツェの美術館の予約サイトを見ると色々書いてあって他にも疑問はありますが、パラティーナ美術館のチケットには近代美術館、衣装美術館、メディチ家の宝物館は含まれていると書いてある。
え?じゃあ陶器美術館はどこいった?
うっ。ボーボリ庭園のチケットの方に陶器美術館が含まれるんだって。わかりにくー。何でこんな風に分けるかねえ。(あとでちらっと見た情報だと、陶器美術館は庭園内にあるそう。ん?陶器というと基本的には食器を想像するが、ロッビア一族のレリーフなどの建築用の大きな陶器なのかな?)
パラティーナ美術館に行きましょう。
いつか全部を回りたいですが、それほど時間がない場合はパラティーナ美術館に行きましょう。ここに絵画がびっしりと展示されています。ウフィツィと違い、宮殿だった内装をそのままにしているので大貴族の邸宅のインテリアも愉しむことが出来ます。
びっしりというのは誇張ではありません。部屋の壁面が上から下まで絵画でびっしり。上の方の絵を見るためにはオペラグラスがあった方がいいでしょうね。しかし全部を気合を入れてみる必要はないかもしれません。有名作家の絵画はさすがに見やすい場所に掛けてありますし。
わたしがここで見て欲しい絵は4枚です。
ラファエロ「小椅子の聖母」
By ラファエロ・サンティ - [1], パブリック・ドメイン, Link
もう何よりもこれ。ウフィツィの「ヴィーナスの誕生」と「春」も絶対に見て欲しい一枚なのですが、フィレンツェで3番目に来るのはこれです。とにかく愛らしい一枚。美しい聖母と可愛いイエスが頭を寄せ合っている風情が美しくもどこか切ない。
イエスのふくらはぎのむちむちしたお肉と小さな足。遠くを見つめる茶色の瞳。ヨハネが聖母子へ向ける憧憬のまなざし。一人だけこちらをまっすぐに見ている聖母は何を語るのでしょうか。わずかに悲しみをたたえている。
何枚も聖母子を描いた画家ですが、わたしはこれをラファエロ最高の一枚だと思っています。ラファエロを見に来るならぜひここに。
ラファエロ「ヴェールの女」
By Raphael - Uffizi, Public Domain, Link
同じくラファエロの作品。これは写真もきれいでありがたい。
とにかく可愛くて美人だと思いませんか!夢見るような美しさ。こんなに美しい絵を描けるラファエロはやはり天才。服の質感やドレープも力が入ってます。
この絵のモデルはラファエロの恋人だろうといわれています。この恋人はパン屋の娘でした。しかし当時人気絶頂の画家だったラファエロは、カトリックの上位聖職者である枢機卿=お得意様から、姪との結婚を勧められており、パン屋の娘と結婚するわけにはいかない状況でした。
するとこの絵は、誰に注文されたわけでもない、自分かあるいは恋人のために個人的に描いた絵のはずですよね。その絵をこれほどの完成度で描いたこと。ラファエロはおそらくものすごく忙しい人だったはず。大規模な工房を運営し、お偉方の機嫌を取り、他の画家とも付き合い。遺跡発掘の指揮や建築にも携わっていました。そんな中でで精魂込めて描いた絵かと思うと。
人付き合いがよく、女にもモテたと言われているから、浮気もちょくちょくしたかも。でもこの絵を見たら信じられるんじゃないかな。信じたいな。その愛を。
ティツィアーノ「灰色の目の男」(「若いイギリス人」あるいは「男の肖像」)
呼び名がいくつもある絵です。わたしが好きなタイトルは「灰色の目の男」。
この絵を見た時に惚れました。好み。すごく好み。誠実で思慮深そうなその目がいい。好きになってしまう。
黒一色の服は描くのにあまり時間をかけないための技術なのかもしれないなあ。技術というより絵の値段を下げるためなのかも。着ているものからしても特に身分のある人のようではない。誰が注文したのだろう。この人は一体誰なのか。
ティツィアーノは肖像画を大変に描いた画家で(肖像画以外も大変に描いた画家で)、工房作品も多いようですが、男性の肖像画には人間が出ている気がします。
ティツィアーノ「改悛するマグダラのマリア」
By ティツィアーノ・ヴェチェッリオ - Uffizi, パブリック・ドメイン, Link
同じくティツィアーノ。こういうタイトルのわりに胸が丸出しでどこが改悛なのか、という気もしますが、わたしはこれは注文主のシュミだと思います。
イエス亡き跡、岩屋で改悛の日々を送ったとされるマリアが天へいるはずのイエスを見上げている図です。見どころはこの髪の美しさと涙を溜めて天を見つめる目。細くて柔らかい金髪の感触が感じ取れそうな描写ですね。
ティツィアーノの絵として2枚上げましたが、本来彼は「色彩の画家」といわれた多彩な色を用いる画家です。この2枚は色彩という意味では辺縁でしょう。ティツィアーノのベストな1枚といわれると決められない。好きなのは「灰色の目の男」だけど、これが全作中最良とは思わないし。うーん。お気に入りはどれか、みなさんも探して見てください。
美術館を見る時の方法として「わたしはこれ!」という一番を決めるという見方もいいですよ。「くれると言われたらこれを持って帰る!」という絵。心に残る一枚が見つかります。あ、くれると言われるとあんまり大きな絵は選べなくなるか……。まあその辺は心配せずに。多分くれないから。
以上、パラティーナ美術館で必ず見たい絵4選でした。
ラファエロのことだったらねえ、この本が熱い。
著者のフォションはフランスの西洋美術史家で、専門はルネサンスよりもちょっと前のロマネスクやゴシックだった様子。しかしどうもラファエロが大好きだったらしく、そんなに厚くないこの本、中身を読むと熱いです。情熱を感じる。この熱愛ぶりにふと微笑まされる。
ラファエロの最高傑作(←あくまでも当社比)はパラティーナ美術館にあります。時間を取ってぜひ見に行ってください。「美しいもの」が目の前にあります。
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