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◎この画家のこの一枚。独特の構図の下村観山。

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下村観山は岡倉天心の弟子で、横山大観と行動を共にした画家です。まだ一人の展覧会の数はそれほど多くはなく、人気が出て来るとしたらこれからなのかもしれません。

下村観山は、ちょっと変わった独特の構図を持っていると感じます。

 

下村観山「弱法師」

弱法師図(よろぼしず) 重要文化財
Uemura Sh?en (1875-1949) - Shimomura Kanzan (1873-1930), パブリック・ドメイン, リンクによる

Yoroboshi by Shimomura Kazan.jpg
Shimomura Kanzan (1873-1930) - Tokyo National Museum, パブリック・ドメイン, リンクによる

これは六曲一双の屏風で、左右に並べて見ないと今一つ良さがわからないんですが。

日輪がきれいですね。日輪の上下の微妙な色合いの違いも考え尽くされているなと感じます。手前に梅の枝を縦横無尽に配し、右に人、左に日輪を描いてバランスをとっている。完成された絵。

絵を見て、気になるところ。

この絵には気になるところがいくつかあって。悪いという意味ではなくて気になる。不思議なところ。

〇日輪の位置がずいぶん低い。落日にしても低い。

〇人間(=弱法師)のスペースがずいぶん窮屈。顔の前にあの枝は要らん気が……。あの枝があることで顔の前のスペースがかなり減るじゃないですか。あそこまで狭めなくてもいい気がするのですが。

〇梅の幹の描き方が梅っぽくない。幹だけを見ると梅という気がしない。

〇梅の木の根元にあるのは阿弥陀三尊の板絵(?)のようだが、それをこの場所に持って来た意図。何か色が欲しいと思ったのは想像できるけど、わりと不思議なものを持って来たなーという気がする。

 

こういう部分を考えても、答えが見つかることはまれです。でも予め意識しておくとテレビ番組なり書籍なりでその答えが見つかることもあるし、見つかったらかなりうれしい。絵を見て、何かを思うこと。それが絵を見る楽しみの一つだと思います。

弱法師(よろぼし)とは。

「弱法師」は能の演目の一つ。もともとは「俊徳丸」という伝説があり、それが能に取り入れられたものです。なお、藤原竜也が昔舞台でやっていた「身毒丸」も根っこは同じ話。

河内の国(現在の大阪府)に住む高安通俊という男は、他人の讒言を真に受けて実の息子・俊徳丸を追い出してしまいます。俊徳丸は悲しみのあまり盲目になり、行方がわからなくなってしまいます。

時が流れ、自分の行ないを悔やんだ通俊は、贖罪として四天王寺で乞食たちに施しを始めます。そこにやってきた盲目の法師が俊徳丸でした。父は息子に気づきましたが、息子は父に気づきません。

俊徳丸は、夕陽に向かって西方浄土を念じ、極楽往生を願う「日想観」という修行に没頭します。目が見えるようになり、嬉しさのあまり舞い踊る俊徳丸でしたが、……目が見えるようになったと思ったのは夢でした。夢から覚めると盲目のまま。俊徳丸は泣き崩れます。

夜になり、俊徳丸にひそかに声をかけてきた人がいます。それは父の通俊でした。俊徳丸は自分の身を恥じ、逃げようとしますが通俊は息子を連れて帰りました。

 

以上が(若干私的な演出の入った)「弱法師」のストーリーです。
……これはめでたしめでたしなのか?能のストーリーは若干釈然としない終わり方をするものが多い気がします。あんまり幸せに終わると余韻がないと考えるのかもしれませんね。

四天王寺に行った時に、この絵の複写がありました。実物大かな?少し小さいかな?わたしとしては弱法師(俊徳丸)がもう少しかっこよくてもいいのではないかと思ったが……。拡大画面で見るとうっすらヒゲが生えているところとか、髪の毛がちょっと天然パーマなところとか、大きい画面のわりにかなり細密だと感じます。

 

「小倉山」を見ての疑問。

だいぶ前になりましたが、横浜美術館で下村観山、単独での展覧会があったようです。

横浜美術館 下村観山展

このサイトになかなか多数の絵が載っていて楽しい。2013年の展覧会のサイトをちゃんと残しておいてくれるのがありがたいですねえ。

特別展のメインビジュアルにもなっているようですが、この「小倉山」屏風がちょっと不思議。

そもそも下村観山を「独特の構図だなー」と感じるのは、右隻と左隻の雰囲気がかけ離れている気がするから。それでも「弱法師」は右と左が完全に調和していると感じるのですが、「小倉山」や「白狐」は右と左で全然違う作品のようですよね。ペアという感じがしない。多分ここは狙ってやっているのだと思います。

しかも右の混み具合よ……。
一番の疑問はなぜこんな狭いところに押し込めるか。烏帽子に真横にかぶる枝がどうしてここにあるのか不思議。右膝も手前の木にほとんど隠れているしなあ。すごく窮屈。

それに対して左隻は妙にあっさりとした……これを単独で見れば普通だと思いますが、この右隻に対しての左だとだいぶ落差を感じます。これをペアと見るのはなかなか難しい気がする。下村観山は落差をつけたい人なのでしょうね。その辺が独自。

「小倉山」は百人一首の藤原忠平(貞信公)の歌、

をぐら山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ

(小倉山の紅葉よ。お前に心があるならば、帝が訪れる時(=行幸=みゆき)までその美しい色をとどめておいてほしい)

から、絵のテーマをとっていると言われています。絵の人物はこの歌を詠んだ藤原忠平だと。

わたしはこれに疑問です!

「小倉山」

この和歌自体、そこまでセンティメンタルな内容ではないと思います。これは天皇のお父さん(=上皇)が紅葉で有名な小倉山に紅葉狩りに行った時に、紅葉があまりに見事で「息子(=天皇)にも見せたいものだ」といったことに対してお供していた忠平が作った歌だそうですから。

おべっかを使っているとまでは言わないけれど、当意即妙の才を表した「頭のいい歌」だと思うんです。

でも「小倉山」の絵にはそういう晴れがましさがない。林の中で、しかも枝に囲まれて座っている男性が藤原忠平に見えるかというと、見えない。藤原忠平はこの頃の藤原家の中では珍しく――政治の中心にいるような人は九割九分腹黒い――曲者ばっかりの一族の中に咲いた蓮の花のような、優雅な人柄だったらしいです。

そういう人をこんな風に描くのは解せない。

そもそも最上位の貴族である関白を35年も務めた人が、山の中でたった一人、こんな質素な衣で……というのも。考証が全てではないだろうけれどもちょっと雰囲気が合わないかなーと。

絵から広がる想像。

わたしはむしろ、これは藤原定家なのではないかと思います。

藤原定家は百人一首を編集した人。小倉山の近くに小倉山荘という別荘を持っていました。晩年はそこで暮らします。

下村観山が描いた人物はこの定家じゃないでしょうか。

定家は性格的にかどが多く、何度も周囲とのいざこざを起こしています。天才肌の人物で和歌に対する情熱は人一倍。和歌のことになると天皇相手にも意見を曲げなかったため、自分が思うようには出世できませんでした。

……とはいっても最高位階は正二位で、これは相当高い位ですよ。官位(職掌)としては権中納言。時代によって上から何番目かというのは違いますけれども、低く見た場合でも当時の日本で上から24、5番目以内にエライ人。このくらいエラかったら良しとすべきじゃないでしょうかねえ。でも本人は不満だったようです。

百人一首を編集したのは晩年のこと。和歌オタクの定家にとって、このアンソロジーを編むのは楽しかったことでしょう。好きなもののなかの好きなものを選ぶわけですから。定家にとっての和歌のオールタイムベスト。

定家は天才らしく、選ぶにも相当に理由付けと繊細な感性を働かせており、一体何を考えてこの百首を選んだのか、わたしのような素人にはまったくわかりません。が、深い考えがあるのに違いない。この辺りの省察はいろいろな本でなされています。

 


百人一首の謎 (講談社現代新書)

 

たとえばこういう本。面白そうだと思うんだけど、こういうのを読んじゃうと頭に定説として残ってしまいそうで警戒してしまいます……

下村観山の「小倉山」はこういう、百人一首を選んでいる(そして自分の人生を顧みている)定家の姿と考えてもいいかなと。
百人一首の編纂を頼まれたのは定家70代半ば以降のことですから、絵の壮年男性とは若干合いませんが、そこは絵画上の演出として許容できる気がします。そして枝にがんじがらめにされたような構図は定家の閉塞感。そっちの方がしっくりする気がします。

こういうことを考えたとしても答えは出ないけれども、正解には(今後よほど研究が進まない限り)出会えないだろうけれども、考えられるのが楽しい。もし下村観山が藤原忠平を描いたのだとしても、あれこれと考えたことの価値は変わらない。

絵の味わい方にはいろいろあります。色に感動する絵、線に驚嘆する絵、解釈するのが面白い絵。みんな正しい味わい方。

 

独自性の観山。

下村観山は、まだそこまで一般的になってはいませんが、今後日本画ブームが続けばどんどん掘り起こされてくる画家かもしれません。

安心と信頼の「もっと知りたいシリーズ」「別冊太陽」にもまだ下村観山を取り上げた本はないようですねー。テレビの特番でも観山一本で、というのは見たことがないしなあ。しかしいずれは出るのではないでしょうか。菱田春草も出ているのだから下村観山まではあと一歩という気がします。

研究者のみなさん、がんばってください!

 

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