大好きな美術館&博物館

◎墨象の画家。篠田桃紅なる人。

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見た途端に目がくぎづけになるような作品がある。それは本物に限らない。出会いは雑誌だったり、テレビだったりする。それはたとえば、ミレイの「オフィーリア」、板谷波山の葆光彩磁、興福寺の無著・世親像。それまで聞いたこともなく、急に目の前に現れたもの。

 

篠田桃紅「静」。

先日テレビで篠田桃紅なる人の作品を取り上げていました。その絵を見た途端に固まった。

墨を使った抽象画でした。線と面で構成されている。一つ一つはシンプルな図柄。色使いもモノトーンが多く、それに一色か二色、微妙な色合いの蘇芳色や深翠色、あるいは金や銀が入ることもある。作品タイトルは「静」だったように思う。

 

この動画のなかで、1:17頃から1:22くらいまで映っているのが「静」。

この線が美しかった。風を感じた。

こういう作風の人は、最初の一枚に何を見るか、という出会いが大事ですね。最初の一枚が面の絵だったら多分わたしは素通りしたと思います。最初に線が見られたからこそ立ち止まった。そういう意味で、つい漫然と見てしまう動画で紹介するのは功罪があるかと思いますけれども。

改めて見直すと、この人の“面”にはそれほど惹かれないけれども、細い“線”が美しいと思う。見ていると心が晴れる、すっと伸びる線。これは書から出発したことが大きいのか。

 

篠田桃紅の軌跡。

篠田桃紅は日本画家、版画家、書家。書とはいっても限りなく抽象画に近いもので、こういうものは墨象と呼ばれるそうです。墨象というジャンルが確立されてきたのは戦後になってから。比較的新しいアート分野です。

大正2年、1913年生まれ。幼時に父から書を習い、女学校時代には学校で教えていた書家の下野雪堂に教えを受け、卒業後、書を教え始める。その頃初の個展を開いたが、書としては不評であった。

30代半ばから書にこだわらない抽象としての表現を始める。これが墨象。
40歳頃から海外での発表が相次ぐ。その後ニューヨークに活動拠点を移す。2年ほどの滞米のあと、アメリカの気候は乾燥しすぎており墨の表現には向かないと考え帰国。

国立代々木競技場の壁画制作。増上寺襖絵制作。駐米日本大使公邸壁画制作。岐阜県関市、新潟県新潟市において篠田桃紅を主とした展示とする美術館開館。皇室専用車両の壁画制作。その他、海外及び国内において、多数の個展開催。

2021年、107歳で死去。

上記のようになかなか華々しい活躍をした人なのですが、そういう人のことを今まで全く聞いたことがないということに忸怩たるものを感じます。amairoは基本的に現代美術は好きではないというスタンスだけれども、それは単に知識がないせいでしょう。広く知っていたら中には好きなものも出て来るに違いない。

 

篠田桃紅の記事3つ。(写真で楽しめます)

おそらく同じ特別展の記事かと思いますが。

【プレビュー】「篠田桃紅展」 墨と100年 東洋の伝統と現代アート、融合の歩み そごう美術館(横浜)で4月3日から

書はそこまで惹かれないので最初に書が出て来てしまうのが若干難ですが、好きな作品が多いページです。「月読み」が好きだなあ。

 

篠田桃紅は何をなしたのか? 東京オペラシティ アートギャラリーで振り返る70年超の画業

写真がきれい。だが残念ながら線的作品が少ない。

 

「篠田桃紅展」東京オペラシティアートギャラリーで - 墨による抽象表現をはじめ、活動の全貌を紹介

これもちょっと面的作品が多い。線の作品が見たいのですが。

 

実際に篠田桃紅を見られる美術館。

現在のところ、岐阜県関市になる岐阜現代美術館が桃紅作品800点超の収蔵量を誇っているようです。美術館の柱としての桃紅コレクション。どんな縁があって、と思うと、父の故郷だったらしい。彼女自身は中国の大連で生まれ、そののちは東京で暮らした人ですが、岐阜との縁は深く、岐阜提灯や美濃紙についての思いをエッセイで語っています。

岐阜現代美術館

上記サイト内より作品コレクション

所蔵作品をこんなに多数、惜しげもなくサイトに上げてくれているのは大変ありがたい。しかしパソコンの画面で小さく並べられてしまうと、その良さが伝わりづらいのは痛しかゆし。

この施設は鍋屋バイテック(株)という機械部品メーカーが社長が所蔵していたコレクションを基に財団を立ち上げ、成立した美術館だそうです。面白いのは、美術館の住所が「桃紅大地1番地」ということ。力の入れ具合が伝わってくる。会社の敷地内に建っている小さな美術館らしい。

 

行くのは公共交通機関では難しそうです……。いつか行けるかもしれない名古屋観光に組み込むかー。犬山側からのアプローチで、犬山からならニコニコレンタカーで3時間でしょうかねえ。

なお関市役所7階にも、同財団が協力運営する関市立篠田桃紅美術空間なるギャラリーもあります。通常30点ほどを現代美術館の所蔵作品から貸出している模様。
……行政所属の付属施設にありがちなことではありますが、専用のサイトを作ってないので今一つ人々の興味を惹かないようだ。特にアート系の施設のサイトは、画像が欲しいよね。

新潟市には「篠田桃紅作品館」という施設もあるそうです。
が、こちらもHPはないらしく、詳細がわからない。どうも個人経営のギャラリーらしいですね。オーナーは高齢の方で、桃紅と交流があった様子。場合によってはいろいろお話を聞かせてくれることもあるようです。

住所:新潟市中央区学校町通二番町5245番地4
電話:090-2999-9495
(事前連絡が望ましい、と書いてあるサイトあり)

 

篠田桃紅の著書。

篠田桃紅は墨象、書以外にエッセイにも才能を発揮したらしい。仙台市の図書館内での篠田桃紅著作をざっと数えたところ15冊。その他に画集が何冊か。

100歳を越えてからそれをタイトルにしたいくつかの著作が続いたので、もう少しニュートラルなところを読みたいなと思い、これを読みました。

 


墨いろ [ 篠田桃紅 ]

 

初版は1978年出版。最近では2016年に再販されているようです。読み終わってから知りましたが1979年の日本エッセイストクラブ賞受賞作品。

くっきりきっぱりとした文章でした。創作家が自分の創作を言葉で説明するのはかなり困難なものだと思うけれども相当に明晰にそれを行なっている。創作の過程で自問自答をしている、それを言語化している、分析しながら創作する――創作家は一般的にそういうものなのかもしれませんが――そんなタイプの人。

内容は「墨いろ」「身のまわり」「不二」「拾捨」「桃紅李白」という五章に分かれていて、それぞれ創作論、日常生活、自然の美、思い出、自身の来歴というテーマになっていると思う。一篇が短いので散文詩のような趣もあります。きちんと選んだ言葉を使いこなしている。個人的にはちょっと句点が多すぎるきらいはあるが……

警句が多いです。極端にいえば、一篇一篇が警句の塊。
代表的なものを挙げれば、

扱い易いものを使えば、扱い易いそれだけ一定の規格にせばめられていくので、
万年筆や鉛筆などの線のように、振幅が少なくなる。
ラクで間違いなくやれることであんまりおもしろいことはないのである。

ラクに間違いなくやれるようになることが達人がたどる道かと思っていたのだが……。難しいことを楽に出来るようになることが進歩というものじゃないのかなあ。
まあ、それとこれとは違う話なのでしょう。最初から最後までラクなのは、ということですよね、きっと。

個人的に前からどうなのだろうと感じていた「タイトル」についても触れられている。

作られたものと、観るほうとの間には、観る人の数だけ、それぞれ別の行き交いがあることを望んでいるのに、題というものを、その間に介在させるのは野暮である。
にも拘わらず題名を付けるのは、作者の敗けである。何かを感じて貰うより先の解説は、片言のオマケを付けたことである。その時、作そのものの主張は幾分か後退する。オマケにはたいてい卑しい魂胆があるのも世の常で、目ざわりな知的遊戯が顔を出した言葉になりがちで、私などもふと覗いた展覧会で、物々しい題名に出遭うと、何となく胡散くささを感じることがある。

「タイトルと解説」については、わたしも常々考えているところで。この人がいいたいことはよくわかるつもり。

たしかにその時の観者と作品との間に言葉は不要なのかもしれないんですよね。
言葉にしようとすることでスケールが小さくなってしまうこともたしかにあるから。限定される。作品と触れ合っているその瞬間、感じるだけでいいと思うこともある。

実際、最初に見た「静」は、わたしは「風」だと思った。見る者がそう思うなら、そう感じるなら、風でいいだろう。作品は作者が生み出すものだけれども、完成したその後は「見る」体験は見る人のものだ。

しかし見る方としては、タイトルが付いてない作品は、後々言語化出来ない=未来の自分にも他者にも伝達出来ないという意味で難物。人はタイトルで個別化出来るものだし、記憶にもとどめるもの。その出会いの記憶をどうやってとっておくのか。そうすると絶対にタイトルはあって欲しい。

タイトルは必要悪(かもしれない)だが、解説についてはもっとその必要性について思い悩む。背景を知ることによって鑑賞が広がるという側面もある。が、解説を読んで作品を見る、というスタイルは安易に「作業」に堕落してしまう。そのバランスが難しい。

 

◎美術館と博物館ってどうちがう?オーディオガイドは借りるべき?

 

なお、篠田桃紅の作品集も一応出てます。


桃紅えほん

……ありますが、もう絶版らしく約5万円(!)の高値がついていますね……。これ元々の定価はいくらだったんだろう。本に書いてないんです。本としては薄く、作りも豪華本ではないので、定価は高くても3000円内外かな。世界文化社刊行。印刷はきれいです。

これは「桃紅えほん」と名前がついて、抽象と文字の2冊組なのですが、2冊並べて初めて背表紙に「篠田桃紅」という文字が出るように作られています。ちょっとしゃれてる。

作品集というより、えほんという小さな言い方が気持ちいい。「文字」の方にはエッセイも少し載ってます。

 

今後出会う人のために、もう少しお手軽な画集が出て欲しいものです。

 

107歳まで生きたひと。

その年齢だけに重きをおいて作品を見たくはない。タイトルという付属物を云々するなら、いわんや作者の年齢をはじめとした佇まいにおいておや、といったところでしょう。

が、作品を年代別に並べて見ることに意味がないのかと言われると、そうは思わない。この辺は二律背反を感じるところです。作品と自分の真剣な対峙を根底にしてしっかり見、その後知識を得てまた違う目で作品を見直す、というのが今のところ最善の解決法でしょうか。

篠田桃紅。知って良かった人でした。

 

 

 

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