イタリアの旅の話/1995

◎サンタ・マリア・デル・フィオーレの赤い大屋根。イタリアの旅の話・その7。

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ジオットの鐘楼。

シニョーリア広場から狭めの目抜き通りをまっすぐ北上すると、サンタ・マリア・デル・フィオーレへ行きつきます。

この広場にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と、その真ん前にサン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。洗礼堂があるせいでちょっと空間として狭くなっている。サン・ジョヴァンニ洗礼堂に恨みがあるわけではないのですが、この洗礼堂がなければサンタ・マリア・デル・フィオーレの正面入り口を見晴るかすことが出来る、もっと劇的な空間があるはずなのですが。

でも実は建てられたのは洗礼堂が先。ならばしょうがない。後輩のサンタ・マリア・デル・フィオーレにはエンリョしてもらいましょう。とはいってもサンタ・マリア・デル・フィオーレも建設が始まったのは14世紀半ばです。それから完成まで100年近くかかるのだからヨーロッパの建築は気が長い。

スペインにあるガウディのサグラダ・ファミリアがそろそろ完成が見えてきたようですが、そちらは約150年。日本人の感覚だと、建築の完成まで何百年もかかる(当初は300年かかると言われていた)なんて驚きです。我々の建築は木だから、出来るまで何百年もかけてたら木が腐ってしまう。腐らないまでも狂ってしまうし、途中で建築をほっぽってたら、地震や台風などの自然災害の時不安。

他にも完成まで何百年とかかった教会はいくつもあります。ドイツのケルン大聖堂なんかは建築が始まったのが13世紀半ば、完成したのが19世紀……。気が長いな~。

最初にサンタ・マリア・デル・フィオーレへ行く予定でした。が、同行者Aが気づきます。「鐘楼への入口、今空いてるよ!」

前述したとおり、フィレンツェでの登り系は3ヶ所あります。一般的にはサンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラか、そのそばにあるジオットの鐘楼に登るのが普通。どちらに登るか。そこが考えどころです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレのクーポラは20年ほど昔の映画「冷静と情熱の間」でクライマックスの舞台になった場所。映画が流行った頃は聖地巡礼で人気でした。が、ジョットの鐘楼からならその当のクーポラが目の前に見えます。

わたしたちはジオットの鐘楼の方に登ることにしました。ここも夏にくれば長蛇の列が出来るところです。冬は通常そこまでではないかもしれませんが、とにかく並ばずに登れるのはありがたい。

――が、ここはきつかったですねえ。他の2人はさっさか登って行くのですが、わたしは連日の朝から晩までの観光と睡眠不足がたたって、へとへと。階段が細いので自分のスピードで登ることが出来ず、他の人に合わせて急いで登らなければなりません。最上部まで何とか到達した後は精魂尽きて座り込む。

でも、見下ろした景色は最高。

町の南側のミケランジェロ広場から見た時には、サンタ・マリア・デル・フィオーレが赤い屋根の海に浮かぶ島でした。ジオットの鐘楼から見下ろすと、自分がその赤い海の中にいる。

フィレンツェは周囲を山に囲まれた盆地。この狭い町の中で、美しい絵画芸術が花開き、メディチ家の興亡があった。現在の規模ならばほんの地方都市なのに、ある時期のこの町は世界の第一線だった。

そしてジオットの鐘楼から見ると、目の前にサンタ・マリア・デル・フィオーレの赤い大屋根が視界いっぱいに広がります。大迫力。これはここじゃなければ見られない絶景。これがあるから、登り系はジオットの鐘楼を推す。

この位置から見るとクーポラはだいぶ縦長に見えます。フィンレンツェの町と同じ、赤レンガを積んで作ったクーポラ。当時の技術ではこの規模のクーポラを作るのは非常に難しかったそうですが、ブルネレスキという建築家の案が最終的に採用されました。斬新な工法で完成が危ぶまれましたが、およそ15年の年月をかけてクーポラは完成しました。

この時資材を運び上げるための重機の仕組みに感銘を受けたのがダ・ヴィンチで、その後彼のアイディアスケッチにその重機のことが出て来るそうです。

大聖堂の赤い大屋根を眺めて満足。へとへとになっている時以外ならもっと良かったかもしれません。気力・体力を充実させた上で挑んでください。

 

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

そしていよいよ真打です。遠くから見て良し、近くから見て良しのたおやかな美人、サンタ・マリア・デル・フィオーレ。

外観の色が可愛らしいですよね。外壁は大理石。基調は白というか灰色ですが、ピンクと緑の大理石がポイントカラーとして使われています。このピンクがいい仕事をしている。ところどころは赤大理石と呼びたいような赤、淡いピンクの部分もあります。この不規則な濃淡が、かっちりとした左右対称のデザインに動きを生んでいる。軽やかです。

様式としてはルネサンスだそうなのですが、建築におけるルネサンスというのがわたしにはどうもわからない……。「ルネサンス建築にはこういう特徴がある」というのもわかりにくいし、例としてサンタ・マリア・デル・フィオーレを挙げられても、そのデザインがあまりにも特徴的で他に援用出来ない。他の土地でこんな雰囲気の建物は見ませんしね。

今回はサンジョバンニ礼拝堂の中には入りませんでした。しかしギベルティによる有名な「天国の扉」は見る。見てもあんまりよくわからないが……。実際に建物を構成している扉だし、大きいから細部は見えないし、細部にフォーカスして見ることはできませんでした。これはのちに大聖堂付属博物館で見た時の方が落ち着いて見られた。

大聖堂内部は。
思ったよりも暗い、というのが第一印象でした。前日のサンピエトロ大聖堂が豪華絢爛、きらびやかで光も十分に入って明るかったのに対して、サンタ・マリア・デル・フィオーレは最初入った瞬間は目が慣れないほど暗い。amairoの人生二つめの大聖堂ですから、比較対象がサンピエトロ大聖堂しかなく、その地味さに大いにとまどう。

大きさとしては世界で4番目という説もある大聖堂です。しかし内部のデザインのゆえにか、むしろつつましさを感じる。森のような。壁はベージュの漆喰?なので、日本人の感覚としてはこちらの方が落ち着く。

クーポラの天井を見上げると、ここの装飾はフレスコ画でした。テーマは「最後の審判」らしい。人体がびっしり描かれた群像はミケランジェロの「最後の審判」を思い出させる。と思ったら、天井画を描いたのはヴァザーリで(しかし完成前に死亡)、ヴァザーリはミケランジェロの弟子だったそうです。

ヴァザーリがミケランジェロの弟子!?へー。知らなかった。絵も描いたけど、ヴァザーリはまずは「ルネサンス画人伝」の著者ですよねー。……はっ。これ読んでないわー。迂闊。ヴァザーリがミケランジェロの弟子だった期間はいつからいつまでだったのだろう。ミケランジェロはあまり親密な弟子づきあいをした人とは思えないが。

 

ここで。この場所で、サヴォナローラが火のような激しい説教をし、それにあおられた人々は宗教的熱狂に巻き込まれていった。3万人が入れる大聖堂とはいえ、扉を閉めてしまえば外部から切り離された密閉空間にすぎない。石造りの建物は音を反響させ、声は雷のように響いただろう。それが天の声のように人々には聞こえた。元々教会建築は法悦を感じさせるように作られた空間なのだ。自分がそこにいたら、その熱狂に巻き込まれずにいる自信はさらさらない。

結果的にその当時のフィレンツェ市民は極端に走り「虚飾の焼却」に至った。それは現代の眼から見れば残念なことで、なくもがなと思うけれども。

しかしちょうどそれと同じことを、我々も150年前に行なっている。
明治の廃仏毀釈。

わたしにとって「廃仏毀釈」は長らく単に歴史用語で、「あー、はいはい、廃仏毀釈ね」という程度の受験知識でしかなかった。でもこの7、8年くらい、この廃仏毀釈が日本の歴史に与えた影響は思っていたよりも大きかったのではないかと考えています。

廃仏毀釈が一般的にあまり取り上げられないのは、やはり黒歴史として抹殺したい部分があるからだろうか……。わたしはテレビ番組の歴史番組をけっこう見ますが、廃仏毀釈を正面からテーマに取り上げる特番はほとんど見たことがない。仏教側にも神道側にもいまだに禍根がある?語れば、やはり被害者と加害者が出て来てしまう話だから……

日本にとっての廃仏毀釈と、フィレンツェで起こった虚飾の焼却は近いものがあるかもしれない。歴史の傷。しかし傷によっても歴史は変わる。良くも悪くも。

 

あとは買い物をして帰りました。

前述した、サンタ・マリア・デル・フィオーレとシニョーリア広場の間のショッピングエリアで買物をして帰りました。17:00に電車でフィレンツェを離れ、ローマには19:00に帰る。晩ごはんはどうしたのだったか、メモから抜け落ちていて不明。やはり同行者がいるとメモの分量は減ります。一人旅だとわりとまめに(少なくとも前半は)メモを取っているんですけどね。

ローマでガイドの人に「ここすっごく美味しいよ!」と言われたレストランに行って、味つけが全体的にしょっぱくて辛かった、というのはこの日のことだったかなあ?このしょっぱさでなぜ美味しいのか……と思ったが、ローマの人の味付けは一般的にしょっぱめらしいですね。人から聞いた話でソースはないけれども。ソースはないけどソルトは強め。スミマセン。

 

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