近年は若冲と北斎が人気ですね。各種特番の他、若冲は2021年のお正月に、NHKで「ライジング若冲」というドラマになりましたし、同じく2021年夏には映画で「HOKUSAI」という作品がありました。「ライジング若冲」は見られたけど、「HOKUSAI」の方は見たいと思っていたのに見逃したので大変残念です。
ふた昔前ほどまでは、メディアでは若冲より写楽が取り上げられることが多かった気がします。その最大の魅力は、作品そのものもさることながら、その正体がわからなかったこと。
写楽の正体は。
当時、写楽は謎の画家でした。謎の、といっても写楽は写楽だろうという意見もありますが、10ヶ月でおよそ140枚の特異な浮世絵を世に出し、そしてぷっつりと行方を絶った写楽は、謎がまとわりつきます。人は謎に惹かれるもの。
何かワケアリな人物だったのではないか。人々のそういう想像から、誰か有名な人物を写楽の正体として推理するということが流行しました。
説として出た人々は、主だった人だけでも以下の通り。
正体候補。
浮世絵版元の蔦屋重三郎。
浮世絵絵師の喜多川歌麿。歌川豊国。葛飾北斎。
日本画家の円山応挙。
歌舞伎役者の中村此蔵。
戯作者の十返舎一九、山東京伝。
主だったところだけでもこんなに説が出て、細かいところまで入れると多分二十数人候補者がいます。昔2、3冊読んだけれども、それぞれに理由はあるが、特に決定的な理由はなかったように思う。だからこそ議論百出、盛り上がったんでしょうね。
が、実は近年、ほぼ解答が出たそうです。聞いてみれば「なぁーんだ」といいたい人物。徳島藩所属の能役者、斎藤十郎兵衛が写楽だろうということにほぼ落ち着いた様子。
これがなぜ「なーんだ」なのかは、そもそも写楽の活動時期の50年後くらいに浮世絵の解説本を書いた斎藤月岑が。
「通名は斎藤十郎兵衛といい、八丁堀に住む、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者である」と説明している。そのまんまの結論だったからです。
あんなに百家争鳴の議論を繰り広げてたのに、結論はそれかい!という感じ。でもなぜ斎藤十郎兵衛が定説で落ち着きかけているかというと、今までぼんやりとしていた斎藤十郎兵衛の方の存在の確実な証拠が、寺の過去帳という形で出て来たからです。
が、活動時期から50年経ってから書かれた解説本に、
写楽は斎藤十郎兵衛だと書いてあるからといって、
その情報の精度がそこまで高いといえるのかというのもあるし、
斎藤十郎兵衛が実在の確実な証拠は出て来たとはいえ、
写楽=斎藤十郎兵衛の繋がりの部分は直接は強化されないんじゃないの?
とか思ったんですが、まあ斎藤十郎兵衛の実在が確認されたんだったら、斎藤月岑が書いた記述を疑う根拠も弱くなるわけで。これが定説化しちゃったから、それに伴って写楽の話題もちょっと止まっちゃったんでしょうね。謎がある方が話題性がありますから。
写楽の絵といえば大首絵。
写楽の浮世絵は、その描き方や画題によって4期に分かれているそうです。10か月の間に趣向を変えられるのだから、器用な人だったのかもしれない。……が、その変遷には、そもそも売れなかったからという事情があるらしいです。
今でこそ写楽の知名度は高いですが、当時は人気がなかったようです。写楽は役者絵でデビューをしましたが、あまりに表現が個性的だったそうなんですね。
写楽「四代目市川蝦蔵の竹村定之進」
これなんかわたしも好きな絵で、今の目からすると迫力のある面白い絵に見えますが、当時浮世絵に求められたのは当代の人気役者のかっこいい画像でした。当時としてはこれは「かっこいい」には入らなかったらしい。
勝川春好「五代目市川團十郎の暫」
写楽の一時代前の浮世絵師が描いた同じ人物。……どう見ても写楽が描いた方がかっこよく見えますねえ……。勝川春好は写楽に影響を与えたと言われています。
この顔のどアップは「大首絵」と呼ばれました。写楽の第1期は全てこの大首絵で出版。どーんと28枚。判型も大きく、バックも黒雲母刷りという高価な方法だったようなので、かなり思い切ったプロモーションだったらしい。無名の新人のこの売り出し方の大胆さも写楽の正体を探させる一因でもありました。でも多分、版元・蔦屋重三郎は自信があったんですね。その時は当たらなかったけど、百余年後に注目されました。
当時の人々の求めるものは宣材写真のようなわかりやすいかっこ良さだったのに対して、写楽の絵は表現がありすぎ、癖が強いものと受け取られたのかも。
写楽を「発見」したのはドイツ人のクルトで、その著書「Sharaku」は1910年に世に出ました。日本で写楽が顧みられるようになったのはその評価を受けてのこと。海外の評価を受けて国内での評価が上がる、というのは日本美術でよく繰り返されるところです。
だが2期以降は……。
1期は大首絵でどーんと。しかし2期以降の絵は精彩を欠きます。
写楽「三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と中山富三郎の梅川」
とても普通に見える。1期の大首絵は迫力があってわかりやすかったけど(わかりやすいの大事)、これを見ても写楽だとはわからないなあ。普通の浮世絵になりました。これは背景が多分黒雲母刷りで、サイズも多分大判だとおもいますが、他は背後が普通の色になったり、サイズが小さくなったりしている。
3期は役者絵だけではなく、相撲絵も出したりしているが、やはり精彩はなく。サイズも小さくなり、4期は……ちょっと持ち直す気もしますが、大首絵のあの迫力には及ばない。そして10か月経ち、写楽は消えていきました。
もし阿波の能役者、齋藤十郎兵衛が写楽なら、また形を変えてもう一度くらいチャレンジするわけにはいかなかったのかなあ。蔦屋重三郎もあんなに派手に売り出したんだから、もうちょっと粘ってみてもいい気がするのに。
たった10ヶ月で歴然としたこの絵の変遷が、また謎を呼んでいるんですよね。
この時代にはなかった「肖像画」といえるものなのではないか。
似顔絵と肖像画が同じものなのか、違うものなのか。よくわかりませんが、肖像画はその人間を深く表そうとするものである気がする。
が、写楽の大首絵で表されているのは、役者本人の深さというよりは、役柄を演じている役者としての深さ。フィクションと演技の融合。ここが、役者絵を喜ぶ層にあまり訴求しなかったところじゃないかなあ。
たとえばジャニーズファンが、ある特定の役をやっている誰々くんの写真を見るとしましょう。その役柄と写真としてのドラマ性は十分ありつつも、誰々くんがかっこよく写っていなかったら、ファンはその写真を買わないでしょう。「もっとかっこよく写ってるのがいい」それが素直な気持ちでしょう。
後世のわたしたちは浮世絵を美術品として見るし、当時の人気役者たちから離れた立場で見るから、その頃の人々の見方からだいぶ離れている。またそれが面白いところではありますけれども。生前売れた絵が一枚しかなかったゴッホだって、今は何百億円で取引される画家であるわけですし。美意識の転がり具合は伏流水のように、人々の見えないところを流れていた水がふいに川になるようなところがあって面白い。
写楽の好きな絵。
写楽「三代目沢村宗十郎の大岸蔵人」
地味だけれども気に入っている一枚。
地味で、扇のどこかに赤で差し色でもすれば良かったんじゃないかと思うほど。でもこれは作られた当時、扇は金で、今よりよほど豪華な画面だったようなんですよね。金はむしろやりすぎではないかと思うけれども。
今の落ち着いた色合いで見ると余計に顕著ですが、この人物の沈着な人柄を感じさせる。「実役」の人なんでしょうね。実役=誠実で分別のある人柄の役。顔の形が卵型で公家顔。多分役者としては、大看板じゃないけど、えー、「ハイキュー!!」でいうとキャプテンの大地さんみたいな位置にいる人じゃないかな。なぜ突然ハイキューで例えるのかよくわかりませんが。
こういう風に、役者の人柄にまで思いをいたせるのは、写楽の現代性ではないかな。伝統的な浮世絵の描き方を否定するわけではないが、わたしは人物を描いた浮世絵ではやはり写楽がいいと思う。
写楽「市川男女蔵の奴一平」
この絵も好きな絵。
この役者は若いですね。カワイイですよね。場面としては敵に遭遇して「むむむっ?」っていうところのようなんですが、その一瞬の身構える心がこの絵に映し出されている。髪の一本一本がかなり細く彫り込まれているけど、切り抜きっぽくなっているのは珍しいかもしれません。
写楽に似た人、艶鏡。
今回初めて歌舞伎堂艶鏡という人の浮世絵を見ました。ちょっとびっくりした。
歌舞伎堂艶鏡「三代目市川八百蔵の梅王丸」
似てますねえ、写楽の絵に!
雰囲気はだいぶ柔らかくというか、色っぽくなっています。ここまでカメラ目線の役者絵も実は珍しいのではないでしょうか。純粋にかっこいい人。
歌舞伎堂艶鏡「三代目市川八百蔵」
これが同一人物ですから、役者本人がなかなかイケメンだった気がします。こういう媚は(いや、人気商売には媚も必要ですが)写楽の描いた人物にはなかったけど、それこそが写楽に欠けてた部分だったと思うので、写楽の大首絵の迫力を写し、それに甘さを付与した艶鏡の作品はこれは売れたんじゃないかと思われるのですが……そうは問屋が卸さない。
わたし程度の素人には、まったく名前を聞いたことがない存在の人です。wikiの英語版の方が多少詳しく書いているんだけど、やっぱりこの人も国内でよりも海外で知られた人でしょう。といっても現在見つかっている艶鏡作品は7点、もう少し研究が進んであと何点か見つかる可能性はありますが、それでも十数枚。だとしたら今後脚光を浴びることはないかなー。
でもわたしはこの人の役者絵、なかなかいいと思いました。
歌舞伎堂艶鏡「市川男女蔵」
似てるなあ、写楽に。顔が。
身体、衣装、手の表現に不満はあるけど、首より上の部分はすごくすっきりして見える。
実は、写楽=艶鏡とする意見もあるようです。艶鏡自身もごく短期間しか活躍出来なかったのですが、その活動時期は写楽が消えた直後だそうで。この辺を専門に研究している人が少なそうで、今後もあまり進むとは思えないのですが、とりあえず誰か研究してNHK特番で取り上げて欲しい。
ただ艶鏡の作品は版元の名前が入ってないそう。浮世絵だからおそらく版木を彫った人は専門の彫師で、趣味で作ったとは考えにくいのですが、版元の名前がないのはなぜだろう。よくあることなんでしょうか。でも売ったんでしょ?製造元の名前がない商品。現代ではそういうものは考えにくいのですが、江戸時代はまた違ったんだろうか。
なお、大正時代の学者によると、艶鏡は元々歌舞伎役者で、二代目中村重助という人だという意見もあります。中村重蔵が俳号として「歌舞伎堂」という号を使っていること、役者の番付から名前が消えた直後に艶鏡の絵が出て来ること、などをその根拠としているらしい。NHKで特番を作って欲しい内容です。
写楽。そして艶鏡。
写楽も今までかなり取り上げられましたが、わたしは今後艶鏡との関連で見たいですね。写楽=艶鏡だったら面白いけど、その可能性は低いのかなと思っています。売れなかった一度目の反省を踏まえて、色気を足して再デビューと想像すると、それはそれで魅力的ですが。
なお、全写楽=艶鏡とする説の他に、2期写楽以降=艶鏡とする説もあるそうです。この辺面白そう。でもなあ。作品が7点では話は広がらなかろう……
最近ちょっと地味ですが、写楽も面白い浮世絵絵師です。
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