古い街を訪れるのは雨模様の日がいい。
傘をささずに歩く細い道。ノルマン時代の壁の跡が雨にわずかに濡れ、静かに佇む。
あなたは何を見てきた。
壁に手を触れてそっと囁けば、長い話になるよ、と答える。長くてもいいよ、と返事をすれば、またそのうちにね、とはぐらかす。通りすがりの者へは語りようもないほど長い話なのかもしれない。
満開の紫色の木の花。名前は知らない。
枝に重いほどびっしり咲いて、雨に色を増す。
カンタベリーは巡礼の街だった。天を指す塔を持つ大聖堂。殉教者トマス・ア・ベケットの墓。ロンドンからなら徒歩で三日の距離を、おそらく多くの者は楽しんで歩いたことだろう。たとえばチベット・カイラスの麓を巡る巡礼のような厳しさはこの場所にはない。南イングランドのゆるやかな丘の稜線を見ながら、歩くのに良い季節に、人々はカンタベリーを目指した。
今のカンタベリーは落ち着いた地方都市。過去の歴史を映して古い建物が残る。街へと入る門。小さな教会。崩れかけた壁。メインストリートを歩けば、店構えも古の佇まいを残す。エリザベス一世の肖像がパブの看板として人を呼ぶ。
まるで人懐こい猫のように、大聖堂の塔はあちこちから顔を覗かせる。屋根の向こうに、あるいは建物と建物の間から。知らず知らずのうちに足が向く。人通りが多くなればもう間もなく大聖堂だ。古拙なキリスト像を掲げた境内への門が目の前に現れる。像の下に、おそらくは街の有力者のものであったのだろう古い紋章がずらりと並ぶ。
聖堂内へ一歩足を踏み入れれば、そこにあるのは天へと伸びる石の林。柱は分裂し、一本の太い柱ではなく、細い幹が何本も集まった木になっている。頭上はるかにある身廊の天井は、分かれた枝が作るアーチ。まるで樹齢千年にもなる大木のよう。深い森の底から人間は、巨大な空間を見上げる。静かだ。観光客のシャッター音とフラッシュ、囁き声が途切れることはないけれども。
小雨が止んだ空は灰色のままだが、もう傘はいらない。雨の後の澄んだ空気のなか、弾むように大股に歩いて行く。町外れ、聖アウグストゥス修道院跡。ここには大聖堂の人ごみも華やぎもない。廃墟はぽっかりと、ただ在るだけの呑気さで訪問者を迎える。かろうじてかつての建物の大きさを示す崩れた壁。昔クリプトだった場所には、今は緑の草が生えそろう。
まどろむ石たちの穏やかさ。訪問者をちらりと見やり、その無害を見て取ると、彼らはまた午睡に戻る。過去の日々の夢を見るのが好きなのだ。
あなたは何を見てきた。
問えば目を閉じたまま、彼らは意外な気軽さで歌う。
生も死も。信仰も堕落も、殉教も。
人が味わう全てのこと。
ここを訪れた全ての風と、毎年花を咲かすきんぽうげ。
何一つ見逃したものはない。何一つ忘れたものはない。
風が吹くと花が揺れる。緑の野に咲く黄色のきんぽうげ。小さな花は笑いをこらえる少女のように身をふるわせる。野に透明な笑いが満ちる。いつまでも聞いていたいような心地よい笑い。射し始めた日差しが黄色を鮮やかに浮かび上がらせる。
この笑いが止むまで待っていよう。風に吹かれて。まどろむ石と共に。