新宮市には申し訳ないけれども、新宮で観光をしようと思ってもそんなに有名なところはない。
丹鶴城は、場所の雰囲気としては良いけれども、観光しよう!と力を入れて出かける場所では全くない。
いわんや徐福公園においておや。
まあ新宮といえばとにかく熊野速玉大社ですね。
だがやはり、あんまり森厳な雰囲気も感じられず……。
那智大社もそうだったんだけど、なんですかね?あまりにも社殿がペンキ塗りたて過ぎるのか?
ペンキじゃなくて漆だろうけども。
それとも暑さに苦しんでいるわたしが、森厳な雰囲気どころではないということなのか?
まあ、天気って大事ですよね。
これは少し趣きがあった。
皇族の熊野詣の回数を石碑に彫っただけのものなんだけれどもね。
あんまり詳しくは見なかったけれども、今出来のものでしょう。
しかし現代の人間が、わざわざこんなものを建てようと思ったところに、
地元民の思い入れ、皇族の歴史的な立場を感じ、そしてもちろん古き世にここに来た人を偲ぶ。
神社そのものよりもこの石碑に、何か感じるものがあった。
まあでもあっさり、速玉大社は終了。
その後、出会いがあった。
速玉大社門前のお土産屋さん(ごとびき屋さん?)の“梅ソフト”の幟に惹かれて、
梅ソフトを食べながらお店の奥さんと話をしていたところ、「どこに泊まったの?」と聞かれ。
泊まったホテルの名前を言ったら、その奥さんとホテルの持ち主は繋がりがあり、
さらに、たまたまその時にその店にいた赤ちゃん連れの近所の方の、そのお姉さんが、
そのホテルの喫茶店で働いてるんだって。
それはもしかして、わたしがさっきホテルを出る時に、カウンターで忙しく働いていた
あのお姉さんのことではなかろうか……
うわあ、けっこう奇遇。まあ小さい町だから、知り合いである可能性は高いかもしれないけど、
話をしなければ、全然そんなことには気づかずに通りすぎるだけ。
そんなこんなで、その時お店にいたもう一人別の近所の人に、
新宮駅近くまで車で送ってもらえることになりました。
熊野の人はサービス精神が旺盛な気がします。
それは、このお店で出会った人を筆頭として、昨日行ったマグロ料理のお店の親父さんしかり、
傘を買った道の駅の受付の人しかり(観光パンフレットを何枚もくれた。……立派な紙なので重かった(^_^;))
この後に行く浮島の森の受付の人しかり(親切に説明をしてくれようとしたが、時間がないので謝絶した。
……ら、「田辺市・堺市友好都市提携記念」シールをくれた。)
一肌脱ぐ気質。おそらくきっと。
新宮駅ではなく、“浮島の森”というところまで送ってもらった。
ここは新宮にある数少ない(スマン)観光地の一つで、こういうところ。
すごく見たいわけではなかったが、……他に行きたいところもないので。
ちなみに、新宮の観光で忘れちゃいけない神倉神社というところがあるのだが、
……階段がものすごそうなので最初から行くのを諦めた。それはわたしの根性がないからです。
浮島の森。
この写真もなんだかよくわからないだろうけど、詳しくはwikiにてご参照のほどを。
島の中に入って行く道もあるのだが、あまりにもジャングルっぽくて入れなかった。
虫がぎょうさんいそうでコワイ。
その後、あまり期待しないで中上健次の生家を探し、ちょこちょこ歩き回って
たしかライオンズクラブで建てた中上健次の顕彰碑(というほど立派なものではなく、言わば看板)を
運よく見つけて。ちょっと嬉しかった。
中上健次は、好きな作家とは言えないけれど、どことなく思い入れのある作家。
それは、その不器用な小説世界の故かもしれない。
歩いてホテルまで戻り、預けてあったガラガラケースを受けだす。
喫茶コーナーに女の人がいたので、「さっき速玉大社前のお土産屋さんで妹さんに会いました」と言った。
朝、わたしは通りすがりに彼女を見かけただけで、特に接触もなかったので、
相手方は相当に面食らったはずだが、笑顔で応対してくれました。
あとで妹さんに経緯を確認してくれるだろう。
ホテルからすぐのバス停から、12:15の渡瀬温泉行きのバスに乗る。