むかしむかし大学生だった頃、時々美術館に行っていました。最寄は宮城県美術館。常設展に行ってなんとなくわかった顔をしていました。
……が、実はその頃は美術のことなんて全然好きじゃなかった!
今から思えば、単に好きになろうとしていただけなんです。わかるようになりたいというシタゴコロ。ここがいいのかなと大真面目に考え、しかし見るヨロコビは全くない。そういうものなのだろうと思っていた。美術というのはオベンキョウだと。
しかし、そうではありませんでした。
美術は見るヨロコビ。シンプル。
そもそもなぜ美術がオベンキョウだと思っていたかというと、その頃は好きな絵を見てなかったからです。これに気づいたのは大学を卒業する頃でした。
本屋さんに行った時に出会ったのが、ルネサンス美術の画集。ルネサンスといえば、天下の「モナリザ」とかミケランジェロの「最後の審判」。有名な絵が山ほどあるので見慣れていると思っていて、特に好きというわけではなかった。
が、その画集でルネサンス美術のいろいろな画家の作品を見てみるとですね。
――すごく好きかも!ルネサンス美術。
ページをめくって「これ、いいな」と思える絵がけっこう出て来る。5枚に1枚くらい。これはうれしかった。わたしが美術を「好きになった」最初です。
それぞれの美術館には得意分野があります。
あとでよく考えてみると、わたしが宮城県美術館に行って美術を好きになろうとするのは無理がありました。
というのは、宮城県美術館って現代アートをメインに収集しているところなんですよね。今でも現代美術がキライなわたしが、そういうところの常設展に行って好きな絵とめぐりあえるかというと、会えません。
ルーブルやロンドンナショナルギャラリーなどよっぽどの規模のところじゃない限り、美術館はある程度守備範囲が決まっています。予算にも限りがあることですし、おそらく開館当初の学芸員の専門分野にも左右されるかと思います。
今でこそ宮城県美術館所蔵の作品はだいぶ増えて来ましたが、当時はさすがに今より収蔵品も少なかった。なので、あるのは現代アートの、デカくて抽象的な作品ばかり。厚塗りだったり色合いが攻撃的だったり。わたしが好きな、きれいな絵がほとんどなかった。
絵は千差万別。絵というだけで好きになれるというわけじゃありません。これに気づいたことは大きかった。
方向性を見つけて、その道をたどって。
ルネサンス美術が好きだと自覚したわたしは、その後ルネサンス美術についての本を手に取るようになりました。
そしてそのタイミングで、たまたまイタリアへ旅行に行ったんですよね。旅行先がイタリアに決まったのは一緒に行く人たちが「イタリアに行きたい!」と言ったからですが、ルネサンス美術に興味が出始めたタイミングでイタリアに行けたのは、今から思えば大変ラッキーなことだったと思います。
そしてイタリアの一歩は聖ピエトロ大聖堂=ヴァチカン美術館。もちろんルネサンス美術の宝庫です。
8日間の旅行でローマとフィレンツェとヴェネツィアに行き、それぞれの代表的な美術館を見て来ました。はからずも最高峰のルネサンス美術のルートをたどることになったわけです。時間はちょっとずつだったけれども。ありがたいありがたい。
おかげでルネサンス美術が大好きになりました。
では、好きなジャンルを探していきましょう!
西洋美術は時代毎に区別するのが基本です。細かく分ければ無限に分かれますが、代表的なものを見ていきましょう。
とはいえ、代表的なジャンルの代表的なものだけを見て行くと、教科書に載っているものばかりになって思わぬ出会いにはならない。ここではジャンルをちょっと細かく分けて、そのジャンルの(主観的に)3番目から10番目くらい(?)に入るものを挙げて行きたいと思います。
メソポタミア美術。
メソポタミア美術と一口にいっても、その期間は約3000年?にわたります。なのでじっくり見て行ったらほんとにいろいろなものがあると思う。ので、ひとくくりにするのは難しい。難しいがひとくくりにしてしまう。
現在のイラン・イラクを中心にした地域。四大河文明の一つですね。
ニムルドの有翼人面像。古代アッシリア時代のもの。
<a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.flickr.com/photos/rosemania/">rosemanios</a> - <a rel="nofollow" class="external free" href="https://www.flickr.com/photos/rosemania/86746793/">https://www.flickr.com/photos/rosemania/86746793/</a>, CC 表示 2.0, リンクによる
なんとなくスフィンクスを思い出すかもしれません。ギザの大スフィンクスが建造理由や経緯など謎が多いのに対して、有翼人面像は門の左右に守り神として置かれたものなので、役割は明確です。日本でいえば仁王様みたいなもの。
獣の身体に人間の顏。左が獅子で右側が牡牛です。足の形で区別します。顔立ちはちょっと謎めいて見えますね。アルカイックスマイルといってもいいような。
ひげの表現がすごい。あごひげは編んでいるのかなあ、何か編んでつけてるのかなあ。口の上、取付金具のボタンにしか見えないんですけど、左側の像を見るときっと口ひげですよね。伸ばした口ひげの先端がくるりんと巻いている。
世界の文化には立派な髭が成人男性としての威厳を表すところも多々あり、アッシリアもそうだったようです。
このような有翼人面像は何ヶ所もの範囲で見つかっています。写真はニューヨーク・メトロポリタンのものですが、大英博物館、ルーブル美術館にも同様の彫像があります。大英の有翼人面像は迫力がありますよ。
バビロンのイシュタル門。
<a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.flickr.com/photos/rictor-and-david/">Rictor Norton</a> - <a rel="nofollow" class="external free" href="https://www.flickr.com/photos/24065742@N00/151247206/">https://www.flickr.com/photos/24065742@N00/151247206/</a>, CC 表示 2.0, リンクによる
メソポタミアの重要な古代都市、バビロンを守る門の一つです。これはドイツのペルガモン美術館にある実物大の復元。
……美術において、この「復元」をどう見るか、という問題もなかなか悩ましいところ……。
復元にせよ何にせよ、目の前で「物」として見られるのは大きい。サイズや材質を再現してくれて目の前で見せてくれれば、当時を想像するのはよりいっそう簡単になります。事情があってなかなか見られない展示物も数多くありますから、それはそれでありがたい。
じゃあ復元が100%いいのかというと……「本物じゃない」というのはいかんともしがたいわけで。復元と贋作の本質的な差ってどこにあるんでしょう。それをいうなら本物と贋作の違いって?長年考えていることなのですが、答えが出ていません。
数年前に近場の美術館に法隆寺の釈迦三尊像、その復元模型の特別展が来たことがありましてね。これが本物に見えるんだよなー。悩んでしまいました。拝んでしまいたい有難味まである。このように最新技術で生まれた何かを我々は一体どう扱うべきか?
まあこの件については話が長くなりますから、ここではこんなところで。可能であったらまた語りたいと思います。正解が出ていないことを語るのもいいでしょう。これはゆくゆくはみんなが考えて行かなければならない問題です。
……話を戻して、イシュタル門は青のタイルがきれいですね。遺跡は茶色、という固定観念があるのでこの鮮やかな色をテレビか何かで見た時は驚きました。この復元はドイツのペルガモン博物館にあるのですが、ぜひここには行ってみたい。
シュメール彫刻「礼拝者の像」
<a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.flickr.com/photos/rosemania/">Bejing (hometown)からRosemaniakos</a> - <a rel="nofollow" class="external text" href="https://www.flickr.com/photos/rosemania/86747610/">Flickr</a>, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
シュメール彫刻の特徴はそのびっくり目です。なにもそんなに、と思うほど目を見開いている。ここに挙げた写真はその中では大きくない方ですが、大きいのだとこのくらい。
Statuettes of two worshipers, from the Square (ニューヨーク州立大学バッファロー校)Temple
宇宙人感満載なので、そういうネタで時々日本でもマンガになったりしています。
シュメール文明は紀元前3500年くらいから、狭義には紀元前2350年、広義には紀元前500年くらいでどうでしょうか。その差約2000年というのは問題ですが。古代の話ですから攻めたり攻められたりで、時代もすぱっと言えないところではあります。
メソポタミア美術って、ジャンルとしてはマイナーで世界でも見られるところは限られています。多分本場のイラク辺りではそれなりにあるのかと思いますが、行って見るにはなかなか敷居が高いところ。
他のところではやはり、なんでも持っている大英博物館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館。大英のメソポタミア美術は、有翼人面像やレリーフなど見ごたえがありますよ。
日本ではこれという大物はないんじゃないかなあ……。岡山市立オリエント美術館、国立東京博物館の東洋館になにがしかのものがありそうな気はしますが。
エジプト彫刻。
世界で一番有名なエジプトの美術品といえば「ツタンカーメンの黄金のマスク」でどこからも文句は出ない。……でもあまりに金ぴかすぎて美術として見ることが出来ない。どうしてもお宝としか。
それはそれとしてツタンカーメンの墓から出て来た遺物は本当にきれいなものばかりです。
「ツタンカーメンとその妃の姿を写したレリーフ」
De <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Djehouty" title="User:Djehouty">Djehouty</a> - <span class="int-own-work" lang="es">Trabajo propio</span>, CC BY-SA 4.0, Enlace
物としては椅子の背もたれの部分です。
ファラオの姿を描く時は威厳を前面に出すことが多いそうなのですが、これは王の身体に香油を塗ってあげる王妃という、仲睦まじい日常の情景が描かれています。これは珍しいことなのだそう。王妃の優しい手つき。
細工が細かいですねー。王と王妃の胸飾りの部分など、細かいのに丁寧な仕事。ツタンカーメンはそれほど強大な権力を持った王ではなかったはずなのに、それでもこれだけのレベルの装飾品を揃えられたというのが驚き。エジプト最強の王だったラムセス2世などは一体どれほどのお宝とともに埋葬されていたのかと……
「トトメス3世像」
<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:TuthmosisIII.JPG" title="File:TuthmosisIII.JPG">TuthmosisIII.JPG</a>: <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/User:Chipdawes" class="extiw" title="en:User:Chipdawes">en:User:Chipdawes</a>
derivative work: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Oltau" title="User:Oltau">Oltau</a> (<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User_talk:Oltau" title="User talk:Oltau"><span class="signature-talk">talk</span></a>) - <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:TuthmosisIII.JPG" title="File:TuthmosisIII.JPG">TuthmosisIII.JPG</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる
エジプト美術のファラオの彫刻としてスタンダードな作品の一つ。
この彫刻は何の石で出来てるのかなー。エジプト美術にはファラオを彫った彫像が山ほどありますが、わたしはこの石を使った彫刻が好きなんですよね。仕上がりがなめらかで端正で。ラインがきれい。
同じ王さまを彫っても赤い石(赤みかげ石?)だとこうなります。
>「トトメス3世像」
まあでもこの写真はライティングの勝利でしょうかね。黒い方はライティングで神秘性が増している。
いい感じの筋肉のつき方。ファラオの像なのでそれなりの理想化はされているのだと思いますが、エジプト美術は基本的に写実を求めたものなので、本人から遠く離れた修正はしなかったはずです。なので顔もちゃんと本人に似ているはず。
「ネフェルティティの胸像」
<a href="//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Xenon_77&action=edit&redlink=1" class="new" title="User:Xenon 77 (page does not exist)">Philip Pikart</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
「世界で最も美しい彫刻」と呼ぶ人もいる彫刻です。モデルは古代エジプトの三大美女の一人、王妃ネフェルティティ。この人はツタンカーメンの奥さんのお母さんに当たります。
謎が多い胸像で、左目は、
まだ完成していないせいか、
作ったけれども剥落したのか、
王妃の眼に疾病があったか
のいずれかの理由で欠損していると言われ、現在のところ定説はありません。
わりと最近のことですが贋作説も出て来たらしい。もっとも、言っているのは現時点ではジャーナリストや作家なので、研究者からわざわざ反論は出ていないようです。制作したのはトトメスという彫刻家で紀元前1345年のことと言われています。
<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Magnus_Manske" title="User:Magnus Manske">Magnus Manske</a> - Created by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Magnus_Manske" title="User:Magnus Manske">Magnus Manske</a>., CC 表示-継承 3.0, リンクによる
横から見た時の、この首の感じがリアルですよねー。
ただ、紀元前1345年でここまでリアルか?とは感じる。エジプト美術は写実を基本とするのはたしかで、ルーブルの「書記座像」なども驚くほど写実的なのですが、この首の角度は解剖学的なものを感じたり。
謎が多い方が面白いので、ついそんなことを思ってしまうのですけれど。まあ昔からミイラを作って来たエジプトの人々は、解剖学的知識が豊富だったでしょうね。
この胸像は現在ドイツ・ベルリンにある国立博物館にあります。そこの目玉展示物。これにはエジプトから再三返還請求がされており、かなり揉めているらしいです。ドイツは絶対返還には応じないと思いますが。
なお、王妃ネフェルティティの夫はアメンヘテプ4世(=アクエンアテン)という王様で、ツタンカーメンのお父さん。この親子関係については長年論争があったのですが、近年のDNA検査で確定したそうです。
「カルナックのアメンヘテプ4世胸像」
Von <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Oltau" title="User:Oltau">Olaf Tausch</a> - <span class="int-own-work" lang="de">Eigenes Werk</span>, CC BY 3.0, Link
アメンヘテプ4世はエジプト史上、ものすごく特異な宗教改革をした人で……この時代は大げさにいえば、混乱と狂信の時代といっていい気がする。
何しろ生活のベースに宗教があったエジプトで、突然多神教から一神教に変えた王さまですから。突然そんなことを言われてみんなびっくりしたはずです。
日本でいえば――宗教的にちゃらんぽらんな日本で例えるのは無理があると思いますが、突然「天照大神も阿弥陀如来も今後拝んではならぬ。拝んでいいのはサルタヒコだけ!」とか言われたようなものです。その神さま、ダレ?という状態だったはず。
その宗教改革の背後には強大になりすぎた神官団の勢力を抑える目的もあったといわれていますが……そういう計算よりもどっぷりと信仰に浸かった家族を想像します。実際はどうだったかわからないけれども。
この時代のエジプト美術も特異なんですよねー。
上記の「カルナックのアメンヘテプ4世胸像」は、だいぶ破損もしているから余計ですが、不気味さが漂いませんか。あまりにも顔が長く、あまりにも切れ長な目。しかも男性王なのに乳房がふくらんでいるように見える。この人の膝上像も見たことがあるのですが、まるで妊娠しているようにお腹がまるまるとしていました。
この美術の表現が何を意味しているか、世界で議論中。そういう病気だったとも、生まれつき特殊な体型だったとも、表現上の理由だとも言われています。これは実際に見ると非常に面白い彫刻ですね。
<ギリシャ彫刻。
理想を追い求める西洋美術の大元となったのがギリシャ美術。現在の美の基準は、多かれ少なかれ(そして良かれあしかれ)ギリシャの美の系譜を引いています。まあ日本美術と西洋美術は別な道筋だけれども、それでもやはり現代の日本画家で、まったく西洋美術を見ないで来た人はいないと思うので。
ギリシャ美術といえば「ミロのヴィーナス」ですが……
「サモトラケのニケ」。
多分2番目。2番目の根拠はないけれども。わたし、これが好きでね~。
Marie-Lan Nguyen (2007), パブリック・ドメイン, リンクによる
顔と両腕が失われているのですが、そこがまた印象的な造型になった理由だと思います。特に腕にないこと。それによって翼の広がりが活きてる。風にのって飛んできた勝利の女神のニケの凛とした姿。ああ~、好き。
これは実際に見ると思ったより大きくて、244センチ。頭部がない状態での高さですから、まあだいたい等身大の2倍くらい。ルーブル美術館では一緒に見つかった手のひらも展示されているのですが、おどろくほどにゴツイです。
ちなみにニケを英語でいうとナイキ。そうです、あのスポーツ用品メイカーのナイキです。スポーツアイテムの企業ですから、勝利の女神からとったんですね。
アルテシオンのポセイドン(ゼウス)像
Pellegrini
(<a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Tetraktys" title="User:Tetraktys">User:Tetraktys</a>) - taken by Ricardo Andre Frantz, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
均整の取れた肉体。まさに理想美を追求した造型。
この像は真横からのアングルが王道で写真はほぼ100%その方向で撮られているのですが、伸ばした左手の先から見たこの像が意外な良さ。
ふだんまったく見ることがなかっただけに、そのアングルで見た時は衝撃。単に横から見るだけじゃなかった!どこから見ても良いように作られてたんだ!作者エライ!……ちなみに作者は不明です。
パルテノン・マーブルズ。
大英博物館にはギリシャ彫刻が豊富にあります。その中で、アテネのパルテノン神殿に置かれていた彫刻をごっそり持ってきて、パルテノン神殿に置かれていた通りに展示したというのがパルテノン・マーブルズ。写真以外にも彫刻たくさんあるし、レリーフも何十メートル分もあるし。これだけでミュージアム1つ分になっちゃうくらい。
当然といいますか、これもギリシャとの間で返還についてモメてます。イギリスは返さなそうだが……。
写真一番右の彫刻の服のひだが美しいですね。ひだは基本的にどんな彫刻でも見どころの一つです。時代が古いうちはたどたどしい感じがある曲線で、時代が新しくなるにつれてラインが洗練されていく。これは日本の仏像彫刻でもそうですね。技巧的になる、その一歩手前くらいが好み。
ローマ美術。
ギリシャ美術から直接影響を受けたのはローマ美術です。ローマ人はギリシャの美を積極的に受け入れました。
なので、彫刻の雰囲気はギリシャととても似ています。わたしは多分、区別はつかないなあ……。大雑把に分けるなら、簡素さ、シンプルさが漂うギリシャ彫刻に対して、ラインや装飾が増えて少しごちゃごちゃしているのがローマ彫刻。理想を追い求めたギリシャ彫刻に対して、華やかな美を志向したのがローマ彫刻。
どうしても「ローマ美はギリシャ美の模倣」という偏見があるせいか、じゃあギリシャの方を見て置けばいいんじゃないかと思ってしまう……。
あ、でもローマでは肖像彫刻が(多分)流行りました。
ギリシャが青年像や神像など普遍的な概念を像にしているのに対し、ローマは皇帝の像が多いです。ギリシャが個人の像を作らなかったわけではありませんが。
アウグスティヌス像。
不明, パブリック・ドメイン, リンクによる
シーザーの養子であり彼の暗殺後、古代ローマ帝国初代皇帝となったアウグスティヌス像です。ザ・皇帝といった彫刻。顔は若々しさを残し、衣装は華やかで体つきはがっしり。ポージングも計算されていて「強いリーダー」を表現しています。実際には少し体が弱い人だったようです。
テレビもネットもない時代、権力者はこういう彫像を作って各地に送ることで皇帝のイメージを形作ったのですね。人間は目に見えるものに影響されます。帝国の中心にいる人物が顔も知らない人物であるのより、彫像にせよ、実際よりは盛られているにせよ、イメージが伝わることは大事でした。
ミイラ肖像画。
<a href="//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=Template:Leonardo_Di_Vinci&action=edit&redlink=1" class="new" title="Template:Leonardo Di Vinci (page does not exist)">Template:Leonardo Di Vinci</a> - スキャナで取り込み ?によって <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Eloquence" title="User:Eloquence">Eloquence</a>, <span style="white-space:nowrap">2004年</span>, パブリック・ドメイン, リンクによる
ローマ美術のところでミイラの肖像画が出て来るのは不思議だと思われるでしょうが、エジプトは一時期――というよりかなり長期にわたって、ローマ帝国の支配下にありました。最後の女王クレオパトラが蛇に咬ませて自殺して以後、のことですね。
その頃エジプトには多数のローマ人が移り住みました。そこで現地の習俗であるミイラ化の影響を受け、自分たちも死後ミイラとなります。古代エジプト王は豪華な黄金のマスクを作らせて自らのミイラに被せましたが、金持ち階級とはいえ一般庶民はそこまでのことが出来ません。マスクの代わりに立派な肖像画を描いて、ミイラの上に飾りました。
この肖像画はエジプトで出土するものですが、美術としてはローマ美術の流れをひいています。クレオパトラ7世がそもそもギリシャ系の人でしたから、ツタンカーメンのお墓に描かれたような純粋エジプト美術はもう下火になり、だいぶギリシャ・ローマ美術化していたのだろうと思われます。
もうこの肖像画の出来が良くて!
wikiで名作が並んでいるのでぜひそちらのページをご覧ください。
美男美女揃い!というのは、おそらく描く時点で理想化が入っているのだとは思われますが、この千差万別の個性的な人間たちをごらんください。こういう人たちが今から2000年前にアレキサンドリアの町を歩いていた。わくわくする。
西洋美術史上、個人肖像画がまとまってしっかり描かれた最初期の例ではないでしょうか。エジプトでも壁画に王の姿が描かれ、おそらくポンペイの民家の壁にもその家の家族(か先祖)が描かれていたかと想像出来ますが、いわゆる「絵」としての肖像画はなかったのではないかと思います。
ミイラ肖像画は日本ではあまり取り上げられませんが、おそらく西洋絵画史上でも重要なポイントだと思います。大英博物館ではずっと前にミイラ肖像画の特別展を開いたりしていました。大きさ的に手ごろなので(?)あちこちのミュージアムが持っており、名品を一度にたくさん見るのは大変ですが、なかなか面白いものだと思います。
多くギリシア・ローマ美術とひとくくりにされ、ちょっと肩身が狭いローマ美術ですが、ローマ文明の何がすごいかっていうと建築物なんですよねー。建築は美術の範疇だと思っていますけれども、彫刻や絵と建築を一緒に扱うのもなかなか難しいと感じるので、今回建築は除きました。
おまけに、エトリルア美術。
エトルリアはローマ帝国が発生するより少し前に、ローマを南端とするイタリア半島中部で栄えていた文明です。紀元前8世紀から前1世紀くらいまで。言語も解明されておらず、まだまだ謎が多い。ちょっと気になる。
一番有名なのは「チェルヴェテリの夫婦の棺」
GerardM, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
一瞬わかりにくいですが、左側が体で、寝椅子のようなものに夫婦がくつろいでいるところですね。上半身が不自然に起き上がっているのは、まだ自然なポーズを造型する技術がなかったから。
なかなか特徴的な表情です。吊り上がった目と笑顔。女性の髪形も特徴的。ギリシャともローマとも違う、土着的なものを感じさせる。
「若い女の像」
By AlkaliSoaps - <a rel="nofollow" class="external free" href="http://farm4.static.flickr.com/3444/3316550131_827b49a3ea_b.jpg">http://farm4.static.flickr.com/3444/3316550131_827b49a3ea_b.jpg</a>, CC BY 2.0, Link
これはきれいですね。美しい。少し東洋的な感じもあるのかな。エトルリア人は小アジアから来たという説もあるそうです。しかしこれがエトルリア美術なのだと言われると、もうわたしはわからない。ギリシャ彫刻でもいいように見える。ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵。
西洋美術・古代編として。
メソポタミア美術
エジプト美術
ギリシャ美術
ローマ美術
おまけでエトルリア美術
を見てみました。エジプトは絵画も見どころがあるのですが、美術品としてよりは遺物として見てしまう。何か歴史上の真実を語ってくれるものではないかと。
同じ「見る」でも美術的に受け取ろうとして見るのと、遺物的に見るのとでは、感じ方が違っている気がします。ここは個人個人の感覚ですが。あと宗教画を信仰の対象として見るか美術として見るかというのも。仏像も同じですね。
テレビでも美術特番がよく組まれています。わたしが気に入っているのは、
BS日テレのぶらぶら美術・博物館。
NHKBSプレミアムでよくやっている美術特番。再放送が多いのが難ですが、クオリティはさすが。他にもBSではけっこう美術特番の割合が高いです。面白そうなものを見つけたらぜひ見てみてください。
これ!と思える一枚に出会えればきっと美術が好きになります。
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