伊勢・名古屋の巻/2025

4.崋山、最期の地。

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三河田原の後半戦です。

城跡の外側というのか、微妙に内側なのか、崋山神社を通って西への道をたどりました。崋山をまつる神社は昭和の初期に崋山に心を寄せる人によって建てられた、記念碑のごとき神社です。少し新しすぎていま一つ有難味がない。いや、まあお賽銭は上げて拝んで来たけど。

池の原公園はすぐのはず。そこは崋山が蟄居させられ、そして自刃をした場所。

ここも今はきれいに整備されていて。

全体的に思うんですけど、田原市ってとてもきれいですよね。駅も新しかったし、街並みも新しい。普通の住宅もこぎれいにしているし、古い建物もいい感じだし、洋館もちょこちょこ。ベンチにしても車止めにしてもデザインがさりげなく(いい意味で)こじゃれている。

こういう言い方はなんだが、自治体にお金があるんだろうなと感じました。豊橋市のベッドタウンとして発展中?なんか住みたくなるような明るい雰囲気。花卉園芸も盛んなのかな?貧乏な小藩だった歴史が今は昔。

 

ここで。昔。

 

ここで。崋山は家に閉じ込められて。生活費を稼ぐ手段として絵を描いたけれど、それを大っぴらに売り広めるのははばかられ。名声を博した人だったから、需要は多かったけど、売れれば売れるほど「蟄居」の事実と対立するようになって。

そのことが幕府を刺激し、さらなる刑罰が加わるんじゃないかと、気に病んだようなんですよね、崋山は。自分だけならまだしも、藩に累が及ぶことになれば申し訳が立たない。そう思い詰めて自刃してしまった。

――わたしは、彼は悩みぬき、心を患っていたのではないかと思います。そうでなければあんなに親孝行を願い、藩に忠義を尽くしたいと奔走した崋山が、存命の母を貧困のうちに残して切腹してしまうとは考えにくい。長男もまだ若く、元服したかしないかくらいだった気がする。

疲れ切ってしまったのでしょうね。生き方が真面目過ぎた。
「不忠不孝渡辺登」と大書して死ぬその行為には、やはり破れかぶれなものを感じる。
明治維新まで30年あまり。時代の谷間で苦しんで死んでいったひと。

 

崋山亡き後、その死を悼む人々が建てた碑。切なさがにじむ。

 

おすすめ渡辺崋山本。

三河田原を訪れるにあたって、数冊、関連図書を読みました。もしどなたか読むならこの2冊がおすすめです。


渡辺崋山/佐藤昌介【1000円以上送料無料】


渡辺崋山 [ ドナルド・キーン ]

上は安心と信頼の人物叢書シリーズの1冊。1986年と出版年は相当に古いですが、人物叢書シリーズは歴史上の人物について概説を読みたいと思えば最初にチェックする本。

ドナルド・キーン著の方は、日本の歴史を外国人が書くことに対する怖さは若干感じないではないけれど、細部のいくらか以外はだいたい納得できる内容でした。特筆すべき部分は、キーンが政治的人物としての崋山と、芸術家としての崋山、どちらの側からも書けること。渡辺崋山はだいたいどっちかに分かれるんですよね。歴史学者が書くものと美術史家が書くものと。

しかしキーンの書くものがどの程度妥当かは判断出来ない。その知識がわたしにはない。

 

渡辺崋山と出会いました。

うっすらと心に残り続けた渡辺崋山と、ようやく会うことが出来た気がしました。昔ここにいた人。江戸生まれ江戸育ち、基本的には田原には住んでなかったと思うけど、それでも彼にとっては大事なホームグラウンド。この土地のために彼は懸命に尽くした。

自由に、ゆっくりと歩き回れてとても楽しかった。過去との対話――というと口幅ったいようですけれども、こういう旅がやはり楽しい。
5年半ぶりの旅の始まりが、田原で良かった。

 

 

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