デルフトの中央広場に面した場所に宿をとった。
街の規模にふさわしい小さな広場は、中央広場という名のイメージとは無縁の素朴な場所だった。たしかに東側には新教会の塔がそびえ、それと正対して西側には堂々たる市庁舎が建っている。だがそのどちらもがどこか小作りで、ミニチュアのように愛らしい。例えば、小さな子供がタキシードを着て、大真面目に蝶ネクタイを締めているような。どこへ行くの、おしゃれして、とからかいたくなる。
宿はB&B。立地の割には値段が安く、内装は実に日常的だが明るくて広い。部屋は二階にあり、窓からは中央広場と市庁舎がよく見える。なかなか良い根城になりそうだ。今夜は早く寝よう。明日から、行きたい場所は山ほどある。
――地震か?
耳元で大音響が鳴った時、最初に思ったのはそれだった。むりやり目覚めさせられた頭はなかなか動いてくれない。ベッドに半身を起して身構えたまま、暗い中で記憶を反芻する。ここはどこか。ここはデルフト。中央広場沿いの安宿。着いて一泊目の夜。
また大音響。部屋の中の様子は暗くてわからないが、音はどうやら外からしているらしい。まるで壁がないのではないかと思うほど近く聞こえる。何が起こっているのか。これだけの音がしていて、建物の中が静まり返っているのはどうしたことか。カーテンを引き、外の様子を窺う。
うわ。
秋の夜空が、漆黒からわずかに濃紺に変わりかけた夜明け前。部屋から見下ろした中央広場は、照明で煌々と明るく、更に何十というテントと車で埋め尽くされていた。先ほどの大音響は、テントの設営の鉄パイプがぶつかる音だったらしい。時刻を確認すると、思っていたより遅く、朝六時過ぎ。北緯五〇度の日の出の遅さを実感する。だが、何をするとしても朝の六時にこの騒がしさは尋常ではない。道路工事らしくも見えるが、それにしてはテントが整然と並び過ぎている。イベントの設営にしても時刻が早すぎるだろうに……
ああ。目の前の光景の意味にようやく思いあたり、わたしは声を上げた。朝市だ。搬入の品物はまだ見当たらないが、たぶん間違いない。そういえばこの広場の名前はMARKT。英語で言えばMARKETではないか。
納得、そして苦笑い。これはとんでもない所に宿を取ってしまったのかもしれない。これから三日、毎朝この音に起こされるとしたら。ヨーロッパでは鐘の音がうるさくて起こされると時々聞くが、朝市設営の音も騒々しさはその比ではない。全く音楽的要素がないために、騒音として直接に耳に飛び込んで来る。
でも、まあいいか。
まだ暗いうちから働く人々。テントに隠れて人の姿はあまり見えないけれど、きっと白い息を吐きながら黙々と働いているのに違いない。普段の生活では触れることのない、街のそんな部分に出会うのも旅。毎朝この時間に起こされても、昼寝をすればいいのだし。
後で朝市に行ってみよう。どんな店が並ぶのか、もう楽しみになっている。
何年か前に「真珠の耳飾りの少女」という小説を読んだ。この街に生きて死んだ画家フェルメールと、そのモデルになった小間使いの少女の密やかな繋がりを描いた話だった。――そう言えば、少女が結婚する相手は、デルフトの市場に店を出している肉屋の息子。彼がいたのは、まさにこの市場。
翌日、町外れの水門と新教会を廻った後、ようやく市場へ足を向けた。さっきまでの混雑はもう落ち着いて、他人と押しあいながらでないと進むことが出来なかった通路も、今は品物を見つつ自分のペースで歩ける。
パン。チーズ。果物。靴下。CD。手芸用品。時計。洋服。朝市と蚤の市が一緒になったような品揃えだ。生活に根付いた市だとわかる。きっとフェルメールが生きていた時代から、ずっと続いて来たものなのだ。
果物屋の屋台で、マスカットを房で買う。おばさんは愛想も何もなかったが、時間が遅いせいか少しおまけをしてくれた。だがそれに気づいたのは部屋へ戻って釣銭をポケットから出してから。お礼を言うにはもう遅い。窓から見下ろす市の屋台は半分ほどがもう店じまいをして、あの果物屋も見当たらなくなっていた。明日、また会えるだろうか。