昼食の後は、アヴィニョン観光の目玉である法王宮へ。

The Pope palace.
実は聖ベネゼ橋へ行く前に法王宮の前は通っており、外観の写真はその時に一通り撮った。
今回の旅行は同じ場所を何度も通ったせいか、外側は前日に撮り、内部に入ったのは
その翌日とか、朝撮って午後見学とか、写真の流れが首尾一貫していない。




墓石彫刻。まあちょっとコワい……。


Why are you here inside of the palace?
なぜか法王宮の内部に猫が。
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聖ベネゼ橋もそうだったし、ここでもそうだし、今後行く観光地のほとんど全てがそうなのだが、
プロヴァンスでは、観光案内を主に音声ガイドで行っているらしい。
(貸出は無料、というか入場料に含まれている)
10ヶ国語くらいに対応しているようで、その中には日本語も当然あります。
まあそれはアリガタイことなのだが。
音声ガイド。これが便利なようで、それほどいいもんじゃない。
根本的に、音声ガイドってのは確認作業を促進するに過ぎないからね。
説明を聴いて、なるほどと納得し、そして次の説明ポイントへ移る。
それで何がいけないか。――見てないんです。それそのものを。
せっかくその場所に行って、自分の目で見られるのならば、目で見て感じる、あるいは考えることが
一番大事なことだと思うのに――音声ガイドを聴いていると、感じる、考えることまで辿りつかない。
単にルーティンとしての見学(見物)でしかなくなる。網膜に映すだけ。
そしてどうせ覚えていられない知識だけをその場で若干詰め込んで、ちょっとした満足感を得る。
少しお勉強したような。なるほどと感心したような。少しは情動が動いたような気になって、
それで終わってしまうのだ。
なんともったいないことよ。
音声ガイドで得られる知識なんて、別に現地に行かなくてもどこぞで読めば読めるものなんだ。
音声ガイドは冗長(というのが悪く言い過ぎだとするなら詳細に説明を加える)なので
いらん小知識ばかりを並べてしまう。それは親切心ではあるのだけれど、
大きなお世話というべきものだ。
――と、そんなことを言っているわたしでも、まんまと音声ガイドの罠にはまっていた。
だってさ。説明板がフランス語なんですよ。フランス語、読めませんやん。
とすると「この部屋は一体何に使われていたんだろう」とか思えば、やっぱり音声ガイドを
聴きたくなるわけじゃないですか。
で、ついうっかり惰性で最後まで説明を聴いてしまい、終われば「さ、次行こう」となるのですから、
やっぱり音声ガイドは罠ですよ。
まあパンフレットも大なり小なり同じ弊害があるのだけれど、スペースが限られている分まだマシ。
読む方だと、大雑把にざっくり取捨選択することも可能。でも音声による説明だと必要な分だけ
聴くってわけにいかないでしょ。最初から聴いていかないと、何が語られるのかわからないんだから。
フランス人は良いと思ってやっているのだろうが、わたしは出来れば、展示に英語の説明板を
付け加える方向で努力してほしい。タイトル程度でいいからさ。
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建築として、屋上テラスが有名らしい。屋上に出るまでにちょっと裏側のようなところを通る。
探検しているみたいで面白い。ちょっと前に見た「三銃士」の映画を思い出した。
あの映画では、クライマックスシーンで大聖堂の屋根の上でチャンバラ……もとい、
決闘をするんです。



From roof of the palace.
テラスから見た風景。あ、左上にあるのが時計台なのか?
だが、アヴィニョンの橋の上と同じく強風のため、ここも早々に退散。
その後、見終わって法王宮から出たのはいいのだが……
出口はなぜか裏側なので、入口側へ戻るのに道がわからずうろうろした。
法王宮くらいでかい建物の裏となると、どっちへ行ったら表に戻れるのかさっぱりわからない。
裏側は主に路地で道が入り組んでるしさー。表示もないんだよ。ひどくない?
最後まで責任持って入口まで誘導せんかい!!