美術を楽しむために、好きなジャンルを探すのが早道!というお話です。一口に美術と言ってもいろいろなジャンルがあって、ハズレの場合全く興味が湧かないのが普通ですから。音楽と同じですね。クラシック好きの人が民謡を聴いても(よほど幸運な場合以外は)だいたいはささらない。
しかし音楽の場合、「たまたま聞こえてきた」という偶然の出会いで好きなものが見つかる可能性があるのに対して、目で見る絵画や彫刻の場合、見るという一段能動的な行為が必要になります。
わざわざ見に行く美ではなくて、日常にあふれている美という考え方もあり、それも大事だと思います。しかし過去の名作を見るのも面白く――それは見ようとしないと見られない。積極的にいろいろなジャンルの美に触れていくのが大事。
というわけで、前回は中世編でした。
今回はイタリア・初期ルネサンス編です。……ルネサンス編にしようと思っていたのですが、超長くなったので細分化しました(汗)。
ルネサンスとは。
すっかり宗教(キリスト教)に染まった中世の雰囲気を、古典ギリシャ・ローマ時代の自由な雰囲気に戻そうという時代でした。
……が、日本人にはさっぱりピンとこない。日本人にとって宗教というのは、なんとなくゆるく存在しているもので、厳しい宗教は歴史的地理的にほんの一部分にしか存在しなかったからです。
しかしヨーロッパでは違いました。古代に信仰されていた多神教であるギリシャ・ローマの神様に代わったのは一神教であるキリスト教。国教になった後は驚くほどのスピードで浸透していきました。中世はキリスト教の世界。
一神教というのは唯一無二の存在しか認めないものです。基本的には厳しい宗教。唯一無二、自分だけを愛せという神様。その強力な姿勢のもとキリスト教は浸透していき、この頃は世俗権力に対抗できるだけの力を持っていたのです。領主の権力や外敵から、人々をもっとも身近で守ってくれる存在でもありました。
良くも悪くも今よりずっと、キリスト教は人々の生活を支配していました。その頃の芸術は宗教のためのもの。権力者の肖像など、わずかな例外はありましたが、個人のための肖像画などは描かれない時代でした。
美術限定で一番簡単にいえば、
テーマが宗教関連ばっかりだった中世から、テーマがギリシャ神話や個人の肖像画でも良くなってきたのがルネサンス。
すごい適当な言い方だが、これが一番わかりやすいかもしれません。
それに伴って、それまで厳格な約束事に従って描いていた絵が、自由な表現で描かれるようになりました。様式ではなくリアルへ向かおうとする方向性。もちろんこの変化は一朝一夕に起こったわけではなく、新しいものを生み出す時の、一歩一歩さぐりながらの前進。何世代もかけた変化です。
イタリア・初期ルネサンス絵画。
ルネサンス美術といえば、なんといってもイタリア。1300年頃から1500年頃が初期ルネサンスの時代と言われています。初期と中期はだいぶ印象が違うんですよねー。中世美術と、みんなが知っているあの盛期ルネサンス美術をつなぐ大事な時代。
ジオット(ジョット)「荘厳の聖母(オニサンティの聖母)」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8D" class="extiw" title="w:ja:ジョット・ディ・ボンドーネ">ジョット・ディ・ボンドーネ</a> - c. 1306-1310, パブリック・ドメイン, リンクによる
とりあえずお約束なのでこの一枚をあげます。これがルネサンス美術最初の一枚。最初の一枚というのは強調表現で、もちろんここから以後がぴったりルネサンス!と決められるものではありません。イタリア・ルネサンス最初期の画家の一人です。
でもまだだいぶ硬いですねー。人間らしくなってきたとはいえ。顔色も悪いし。
フラ・アンジェリコ「受胎告知」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B3" class="extiw" title="w:ja:フラ・アンジェリコ">フラ・アンジェリコ</a> - The Yorck Project (<span style="white-space:nowrap">2002年</span>) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Commons:10,000_paintings_from_Directmedia" title="Commons:10,000 paintings from Directmedia">DIRECTMEDIA</a> Publishing GmbH. <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ISBN" class="extiw" title="ja:ISBN">ISBN</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Special:BookSources/3936122202" title="Special:BookSources/3936122202">3936122202</a>., パブリック・ドメイン, リンクによる
この辺から人間らしい。
柔らかく、淡い色使い。優しい色調。ほっぺたの素朴な赤さが愛らしい。数ある「受胎告知」の絵の中でもとりわけ穏やかなものです。現代では天使の翼は真っ白で表現されることが多いですが、昔はこんな風に虹色で表現されることもありました。
これはフレスコ画といって、壁に漆喰を塗り、その漆喰が乾く前に顔料で描くという時間勝負の技法。そのため、一日で描ける範囲は限られていました。前日と翌日で色合わせなどが難しかったのではないかと思いますが、どうでしょうね?
この絵で不思議なのはマリアの服が白っぽい点。マリアは赤い服に青いマントを羽織るという約束事があります。必ずそうしなければならないというわけではありませんが、背後の壁とほとんど同色の服というのはちょっと弱いように思う。
なお、フラ・アンジェリコは同じ「受胎告知」というタイトルで、かなり似た構図のものを描いています。少なくともあと3枚。全体の作品数も多く、弟子はたくさんいたと思います。修道士の中で絵を手伝うグループがあったのかなあ……。それとも外部から徒弟を受け入れたりしてたのだろうか。
フラは「修道士」、アンジェリコは「天使のような」という意味です。信心深い、おそらくは物腰も穏やかな人物ではなかったかと思います。
ドナテッロ「ダヴィデ像」
ドナテッロ, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
この時代、まだ他の彫像には硬さが残っている時代なのですが、この彫像は時代を間違えているんじゃないかと思うくらい均衡がとれている。少年の華やかさがありますね。よく同性愛の傾向を指摘される作品です。
見るたびに思うけれども、頭にかぶっているものが麦わら帽子に見えてしょうがない。「ダヴィデ」は巨人のゴリアテを羊飼いの少年ダヴィデが倒したという聖書のお話ですから、戦いの場に麦わら帽子をかぶっていくわけはないですし、そもそもこの時代に今のような形の麦わら帽子はない。被っているのは兜だそうです。でもこの形のせいで女の子っぽく見えますよね。
これは古代以来、久々の裸体像だそうです。中世はキリスト教的モラルにより「裸なんてとんでもない!」という時代。そういうモラルはその後もなくなったわけではないですが、ぽつぽつ裸体像も作られるようになっていきます。特にダヴィデは裸体像として作りやすいテーマであったらしく、多くの彫像作品が残っています。いろいろなダヴィデがいて、年齢層もさまざま。
フィレンツェのバルジェッロ美術館にはこの時代の彫像・レリーフがたくさんあって見ごたえがあります。
フィリッポ・リッピ「聖母子像」
フィリッポ・リッピといえば、どうしてもこれなんですよねえ……。大好き。
ここまで来ると、こんなに人間らしくなってきているんですよ、みなさん!
これは人間らしいのも当然で、モデルがいます。考えてみれば中世美術は多分モデルはいなかった。……いたのか?いたらびっくりだが。
ギリシャ時代の彫刻ならモデルを見ながら作ったのが自然だけど、中世美術はどう見てもモデルを見て描いているように見えない。神さまを描くのだから、人間をモデルにすることなど考えられもしない、ということじゃないでしょうか。
ちなみにこの絵のモデルはリッピの奥さんのルクレツィアだと言われています。出会いの頃、リッピは50歳くらいで修道士、ルクレツィアは20代前半で修道女でした。修道士と修道女が駆け落ちし、翌年には子供も生まれます。当然問題になったわけですが、最終的には2人は還俗して結婚しめでたしめでたし。
この出会いは「奔放なリッピがルクレツィアを誘惑し連れ去った」というニュアンスで語られることが多いのですが、わたしは激しい恋の結果ではないかと想像します。
リッピは小さな頃に修道院に入れられ、その気もないのに修道士にさせられてしまった人でした。わんぱくな少年だったと伝わっていますから、修道院の戒律を守るのも難しかったでしょう。酒も飲んだかもしれないし、女と遊ぶこともあったかもしれません。
しかしルクレツィアへの想いは真実だったのではないでしょうか。50歳といえば世間的には分別盛りです。しかも相手は修道女。駆け落ちなどすればたちまち知られてしまいます。単に誘惑者だったのならば、そういう手段は択ばなかったのではないでしょうか。
こんなロマンティックなことを考えるのも、この絵のルクレツィアが美しく、可愛らしく、でも聖母の優しさを持っているからです。この絵を描いたのは結婚してから10年近くが経った頃。10年経って妻をこんな風に描ける。――愛だと思います。
手前の天使は2人の間の息子をモデルにしたと言われています。父親へ向ける笑顔が可愛くてしょうがないという気持ちが伝わってくる。その後、この息子も父のあとをついで画家になりました。
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
そして初期ルネサンスの掉尾を華麗に飾るのがボッティチェリなのです!
ボッティチェリはフィリッポ・リッピの助手をしていました。レオナルド・ダ・ヴィンチの先輩でもあります。
ボッティチェリも、わたしにとってはどうしてもこれなんですよねー。好きで好きで。この甘いピンク色が好きだ!たゆたうようなヴィーナスのまなざしも好きだ!黄金の髪のうねりも好きだ!
まあ、この重心では立ってられないだろうとか、いったい貝のどの部分に立っているんだとか、岸に立っている人が衣を着せかけるのは距離が遠すぎるだろうとか、ツッコミどころはあるわけだが。なんか貼り付けを微妙に間違った画像のようですね。
しかしこの優美さの前にはそんな欠点もなんのその!わたしが世界で一番好きな絵はこれかもしれません。
ペルジーノ「マグダラのマリア」
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%8E" class="extiw" title="w:ja:ペルジーノ">ペルジーノ</a> - The Yorck Project (<span style="white-space:nowrap">2002年</span>) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Commons:10,000_paintings_from_Directmedia" title="Commons:10,000 paintings from Directmedia">DIRECTMEDIA</a> Publishing GmbH. <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ISBN" class="extiw" title="ja:ISBN">ISBN</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Special:BookSources/3936122202" title="Special:BookSources/3936122202">3936122202</a>., パブリック・ドメイン, リンクによる
「掉尾を飾るボッティチェリ」と書いたわりに、追加。
ペルジーノはわりと普通(いや、好きですけどね)な絵を多く描いている画家ですが、この絵は普通じゃない。いい意味で。
これはタイトルは「マグダラのマリア」とついてはいるけど、どう見ても女性の肖像画ですよね。画家がマグダラのマリアを描こうと思ったとは思わない。その女性を描こうと思ったのではないでしょうか。
すごく時代が新しく見えます。ペルジーノはラファエロのお師匠さんで、そのラファエロはその後何世紀も西洋美術の基準となる人です。こういう絵のあとに数々の西洋絵画が続いていくわけですね。ペルジーノは初期じゃなくて盛期ルネサンスに入るのかな。でも盛期はあの3人でいきたいしな。
その他の芸術家。
この頃の芸術家では他に、デジデリオ・セッティニャーノとかルーカ・デッラ・ロッビアも好きですねー。
セッティニャーノは繊細優美な線を彫る彫刻家です。レリーフが繊細で美しい。まだ詳しいことは解明されていない、謎が多い人。
ルーカ・デッラ・ロッビアは彩色テラコッタの彫像やレリーフが特徴的です。白一色、あるいは白・緑・青・黄色で作りました。一族で工房を経営し、何代にもわたったので作品数がたくさんあります。一度覚えると忘れないスタイルなので、あちこちの美術館・教会で再会出来ます。「ああ、ロッビア一族だ」と思ってなつかしく思えます。
イタリア・初期ルネサンス。
西洋美術史の中で一番面白く、興味深いのはもしかしたら初期ルネサンスじゃないかなと思います。この辺りは個人差がある――というか、その個人差を探すのが大事。わたしは初期ルネサンスが好きだけれども、
初期ルネサンスは、ぎこちないところからどんどん変わっていくのが面白い。完成した美しさじゃなくて理想を探す長い道のり。何十人もの画家が何十年もかかって、遠近法を完成させ、色の塗り方を探求し、目に見えるように描こうと努力した。
そのそれぞれの歩みがバラエティに富んでいて面白い。職人だった画家が芸術家になる一歩手前の、個性と需要の混在が楽しいのです。
次は西洋美術の最高峰(だとわたしが思う)、盛期ルネサンスです!
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