トルチェッロ島、唯一の見どころはサンタ・マリア・アッスンタ聖堂。
船着き場からアッスンタ聖堂までは一本道であるに加えて、
工事中の鐘楼がずっと見えているので、道に迷う心配はない。
(道に迷うのは本島内だけでたくさんである。)
徒歩5分。ゆっくり歩いて10分。同じ船で着いた観光客も何人かいたはずなのに、
聖堂まで来ても全く人の気配はなく。かろうじてお土産屋さんの屋台が1つ出ているけれども、
品物が一応並んでいるのにもかかわらず無人。
……それはどうなんだ、トルチェッロ島。
あまりの無人ぶりに内心つっこむ。いかに侘しい島とはいえ、現時点で出会った人間の数より、
猫(そして鶏)の数の方がはるかに多いんですが。

Church of Santa Fosca in Torcello island.
聖堂に入っても誰もいない。いや、いくらなんでもおかしいやろ。みんなまとめて神隠しか?
そもそもここにはけっこう立派なモザイクがあるはずなのに……
それらしきものがないぞ。
……と思ったら、わたしが入ったのはサンタ・フォスカ教会という別の建物で、アッスンタは隣。
ここはさすがに係員が存在していた。神隠しじゃなかった。
入場料を払ってアッスンタに入る。
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わたしはこの場所で大変感動したのだが、どれだけ言葉を費やしても
ここを上手く説明することは出来そうにない……
(そして内部の撮影が禁止だったので、「言葉では伝わらないので写真を見て下さい」と
逃げることも出来ない……)

Cathedral Santa Maria Assunta.There are beautiful mosaics.
They were so moving.
聖堂内は古い時代の創建らしい素朴な佇まい。
所々崩れたレンガの壁。剥落のある聖人たちの板絵――しかし多分これは時代がだいぶ下がる――、
大理石の床は、色は鮮やかなままだが小さく波打ってデコボコしている。
教会建築が装飾に埋め尽くされる前の時代の、簡素な内部。穏やかな教会だ。
だがこの聖堂を唯一無二のものとしているのは、そこにあるモザイク。
至聖所を覆う後陣の半ドームの地は全て黄金色。その金色は天国を感じさせる。
微細な乱反射を繰り返した光は柔らかに降りて来る。まるで祝福のように。
その金色の天には濃い藍色の衣をまとった美しい聖母像が浮かんでいる。
幼児キリストを抱きかかえた細身の姿。若々しさとともに長く生きた叡智と威厳がある。
祈る者を受け入れ、赦し、その願いをかなえる。全宇宙の聖母。
目を離せなかった。これは単に造型の美しさではなく――存在の美しさ。
そう感じられることはそれほど多くはない。
わたしはここで出会った。灰色の潟を船に乗り、遠い小さな島で。
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聖母があまりにも圧倒的なせいか、その反対側の壁――ファサードの裏側の壁にある
モザイクが、どうしても二の次になってしまう。
こちらのモザイクも相当に見事なものでした。かけた手間でいうなら、聖母像より
こっちの方が上だろう。こちらも負けずにキラキラ。むしろ若干派手。
テーマは「最後の審判」。当時作った人は特にユーモラスな線を狙ってはいないんだろうが、
今から見ると、まだ稚拙な線がどことなくユーモラスで可愛らしい。
子供が無心に描いた絵のような素直さがある。
結局わたしはここに1時間ほどいて、帰り際には小さいガイドブックと絵はがきを
(写真が撮れなかったので)良心と物欲のバランスが取れる程度にたっぷり買い込んだ。
聖堂を出て、夢から覚めたような気分。竜宮城から帰ったウラシマタロウも
こんな気分だったに違いない。
では故郷に帰る亀――もとい、船に乗るために船着き場に戻ろうか。
ブラーノ島への船は30分に1本ある。ここからゆっくり歩いても間に合う。
来る時にはなかったお土産屋台が新しく3つほど店を開けている。
周辺の写真を取りながらぶらぶらと。

実にテキトーな感じの雰囲気ですな。特にやる気は感じられない。

博物館もあったそうなんだけど、その存在は全く意識にのぼってこなかった。

こじゃれたレストランが3軒くらいある。こんな場所でもヘミングウェイが滞在したというホテルもある。
次回があったら泊まってみたい気もするが……遠い。
先刻の悪魔の橋のところで写真を撮っているカップルに出会う。
わたしもシャッターを押してもらい、お返しにこちらでもシャッターを押す。
すごく可愛い白人の女の子と(ハンサムではないが)優しそうな黒人のおにーちゃん。
特にこれといった話はしなかったが、感じの良い人たちだった。
……が、こんなことをしているせいで、ついうっかり船の時間を忘れ、
船着き場に着いた時はまさに船が岸を離れる瞬間。
おおう。30分待ちぼうけです。