伊勢・名古屋の巻/2025

3.そもそも、なぜわたしは三河田原に来たのか。

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わざわざ仙台から中部国際空港に飛んで、そこから三河田原に行く人なんて100人に1人もいないに違いない。もしかしたら1000人に1人。万に1人の可能性もある。

わたしが三原田原を目指したのは、そこが渡辺崋山ゆかりの土地だったからです。

 

「風雲児たち」。

というと、いかにも渡辺崋山に詳しいような流れになるが、何とそんなことは全く無く。
今回行くに当たって関連本を読むまでは、ほぼこのマンガだけの知識だった。

「風雲児たち」。

 


風雲児たち全20巻 完結セット (SPコミックス)

 


風雲児たち幕末編 コミック 1-34巻セット

 

1979年初出。かなり複雑な出版状況を経た作品でもあり、版もいろいろあるようなので正確な巻数は自信がないのですが、多分「風雲児たち」が全20巻、「風雲児たち 幕末篇」が34巻で出ていると思います。2020年までの出版。2021年に74歳で作者死去。
他に外伝的な作品がいくつかあり、読み応え十分な作品。正直言えば十分すぎるほど。

これはものすごく!面白いマンガです。

見た目はね。ギャグマンガで(そして実際ギャグマンガだが)絵柄も古いが、話がすっごい骨太。これは大人が読んでも面白い。というより、大人が読む方がさらに面白い。
しかもすごいのが、この分量で描いてさえ「作者は泣く泣く内容をはしょったんだろうなー」とと感じること。読んでいて、ものすごく調べている!としみじみ思うし、このページ数でここまで調べているのなら生計は立つのか?と心配になるほど。

……というわけで、これはわたしがかなり熱く推すマンガなのですが、そこに渡辺崋山が出て来るんですよ。

まあ描かれている立場的には中どころ、といった感じでしょうか。前述した通り、このマンガはほぼ全編にわたって泣く泣く内容を簡素化しているので、渡辺崋山をじっくり取り上げるページ数はなかったと思うんです。何しろ関ケ原からの日本の歴史をずーっと途切れなく描いてる大河ドラマなので。

だが、そこで描かれている渡辺崋山が印象に残った。
誠実で。親には孝行、主君に忠義。絵が上手く、蘭学者としても優秀で、さまざまな人と交わり、のちには家老として貧乏な小藩(ごめんね)である田原藩の立て直しに奔走する。

でも結局、絵の道に邁進したいという願いはかなわなかったし、藩どころか自分もずっと貧乏なままだった。兄弟は里子に出されたり、奉公に出されたりしている。
そして最期は、書いたものの誰にも見せてない意見書の内容を幕府に咎められ、田原藩にて蟄居。その後、更なる処罰によって藩主に迷惑をかけることを恐れ、切腹。

Watanabe Kazan.jpg
椿椿山 - 田原町博物館所蔵品。, パブリック・ドメイン, リンクによる

こんな彼の人生の哀れさが。心に残っていた。マンガを読んだのは20年は昔のことなんですけどね。
さまざまな才能を持ち、もっと幸せに生きられたはずの人だった。もう少し生まれた時代が遅かったなら。全てを振り捨てて逃げ出すことが出来たなら。せめてもう少し適当に、仕事をさぼって好きな絵に打ち込むことが出来たなら。

今回名古屋に行くことになって愛知県のことを調べ始めたところ、渡辺崋山を思い出しました。そうか。お城跡もあるのか。渡辺崋山のお墓も。住んだところも。博物館も。ゆかりの土地へ行ってみたいと思いました。

――というわけで、わたしは三河田原に来ています。

 

まずは惣門跡へ。

駅の待合室で入手した「田原ウォーキングマップ」が大変いい感じです。かわいい絵地図で、情報量が多いのに見やすく、旅人に優しい。やはりスマホのグーグルマップよりも地図を見ながらの方が気分が出る。

大手門跡を目指し――しかしその前にマップに描いてあった伊能忠敬測量地看板の場所を通りかかります。ここは説明看板があるだけの場所ですが、昔、伊能忠敬一行が宿った雰囲気をそのまま残し、由緒ありげなお宅でありました。板塀と門が趣深い。ここは多分現在は私有地ですね。でもせっかくだから板塀を撮影します。宿だった昔の姿が想像出来る気がする。

ああ。旅をしている。

ここから惣門はすぐなのですが、突き当りを右に行ったり左に行ったりで少し迷いました。惣門と「報民倉」の関係がわかりにくかった。報民倉は城郭建築的だけれども新しい建物のようだしなあ……。惣門ってどれ?あんまりよくわからなかった。

ちなみに報民倉というのは、2004年に完成した田原市民のための非常用食料・物資の備蓄倉庫だそうです。歴史がありそうなこの名前は、渡辺崋山が主導した飢饉対策として1835年に建てられた蔵の名前から来ているそう。翌年・翌々年の天保の大飢饉の時に実際に大変役立ったとか。餓死者を一人も出さず、幕府からも褒められたそうです。

惣門がよくわからなかったので、大手公園に進みます。

写真が中途半端になってしまったのですが、ここには渡辺崋山の息子や弟子の絵をおそらく陶板に写したモニュメントなどもあり、ちょっとした池もあり、なかなかいいところ。冬のこの時期は誰もいなかったけれども、春になれば人が集まるのではないでしょうか。

サザンカが満開。

そういえばさっきニホンスイセンも咲いていました。もう咲いているのね。がんばってるね。うちの辺りではまだまだ先だわ。

 

田原城跡へ。

そこからわずかに歩けば田原城跡。

――わたしはなにしろ渡辺崋山は、貧乏な藩で貧乏な生涯を送ったという印象がしみついているから、この田原城門の立派さに驚いた。

これはかなり立派な門ですよ。1万2千石の藩のものとしてはすごく。美しい。わたしは特にお城に詳しいわけではないですが、1万そこそこの石高でここまでの門を持つってなかなか。

……とはいえ、渡辺崋山関連本で、他家から養子に迎えた藩主が石高に見合わない幕府での役職を望んだという話を読んだばかりなので、「もしかして収入に見合わない支出が貧乏だった主要因なのでは……」と思ったことも否めない。

桜の時期はきれいでしょうねえ。堀も立派。

そして田原市博物館。

田原城跡の二の丸跡にある小さめの博物館。正直にいうと、内容はそこまでではなかった印象。崋山の絵をもう少し見たかった気がしたが、まあ日本画だし、光に当たって劣化するから展示しっぱなしってことも出来ないでしょうね。ここは30分強ほどでしょうか。

本丸、二の丸、三の丸とこじんまりとしたお城だけど、それぞれに神社があったり博物館があったりで散策を楽しめた。高低差のある城の作りが変化があって面白い。護国神社の桜はつぼみを持っていた。まだまだ花の時期は先だろうけど。

5年半ぶりの旅のスタートが三河田原であったことに感謝した。旅をしているという実感がある。小さな町の道を思いのままに歩く。人々の暮らす町を見知らぬ人として通り過ぎる。花を見る。空を見上げる。風を感じる。
これが旅の醍醐味。

いい城でした。ここまでで、だいたいこの日の前半戦終了です。

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