いろいろ徒然

◎「俳句いろはかるた」の俳句たち。【あ】~【こ】編。

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わたしが好きだったのは水原秋櫻子監修の「俳句いろはかるた」。絵のきれいさで他のかるたとは一線を画す(と、わたしは信じる)ものでしたが、古すぎてもう手に入りません。Amazonにもありません。残念。オークションではいくつかあるようです。

子どもの頃のわたしは俳句の良さとかは全くわからなかったけれど、――そして今でもわかりませんが、この秋櫻子かるたは有名作者の有名な俳句を集めてくれていたような気がします。玄人好みの俳句というわけではなくて。

それでも最初の一文字目をい、ろ、は、と拾っていくのはそれなりに難しいことのようで、これはちょっと含蓄がありすぎるのではないか……と感じるものもいくつか混じってます。子どもにとっては全く意味がわからなかった。今もわからないのですが。

 

秋櫻子かるたのラインナップ。

そこで(?)、今は無き秋櫻子かるたのラインナップをご紹介したいと思います。古今山ほど作られたかるたたち、現物がなくなるとその内容が不明になっちゃうんですよね。本になっているわけでもないし。それは残念だ。遺しておきましょう。

当時から鑑賞力が伸びていないので俳句の意味がわからない、あるいは表面上の意味がわかっても「……で?」といいたいもの多数。俳句はこういうことが多いから困る……

「いろは」かるたですから、本来ならばいろは順で書いていくべき。しかしあいうえお順じゃないと、全体のどこらへんにいるのかわたしがわからないので(……)あいうえお順で書いていきます。

なおわたしの記憶では助詞や細かい部分が間違っている場合が多いので、そこらへんは確認しました。意味も確認しましたが、あくまでさくっとなので「だいたいこんな意味」という程度であることをお含みおき下さい。解釈が間違っている場合も多々あるかと思います。なお漢字・ひらがなの開き、切れ字の位置についても正確性は心許ない。

あ行、あいうえお。

【あ】

朝顔につるべ取られてもらひ水   加賀千代女

(あさがおに つるべとられて もらいみず   かがのちよじょ)

《我流訳》気づかぬうちに井戸端の朝顔のつるが伸び、つるべ(井戸から水を汲む、綱のついた桶)に巻きついていた。その朝顔をむしり取ってしまうのに忍びず、お隣まで水を貰いに行ったことよ。

《感想》朝顔のつるが一日で巻きつくわけもなく、そこまで使わない井戸って何なんだろう……と子どもの頃は思っていた。正直今でも思っている。何日に一遍しか使わない井戸なら他に水はあるんだろうし、わざわざ隣に貰いに行かなくともいいのではないかと。

正岡子規などはこの句について、あまりにあざとすぎるという理由で評価していないようです。わたしは嫌いな句ではないですが、しかし状況に納得は出来かねる。そして朝顔が秋の季語であることを知ってびっくり。

後年、千代女は「朝顔やつるべ取られてもらひ水」に改作しているとのこと。

絵は濃いつややかな紅色の朝顔と、あっさり描かれた井戸でした。

 

【い】

いくたびも雪の深さを尋ねけり       正岡子規

(いくたびも ゆきのふかさを たずねけり     まさおかしき)

《我流訳》何度も何度も。「もう雪はどのくらい積もったか」と病人が訊く。枕から頭も上がらぬ重い病気。自分で外を見ることが出来ないのだ。だからそばにいる母か妹にしつこいまでに問いかける。雪はどれほど積もったか。

《感想》正岡子規は若くして亡くなったひと。死因は結核でした。病篤くなっても実作や句論・歌論を通じて現代の俳句や短歌に多大な影響を残したそうです。「写生」の重要性を良くも悪くも強く主張しました。わたしにとっては漱石の親友ということで近しく感じる人。

この句は長い闘病生活を送った子規の実体験に基づくものでしょうが、わたしはそんな自分をどこか外側から見た観察の句という気がします。

絵は雪降り積もる石灯籠。さびしい色合い。

 

【う】

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ     服部嵐雪

(うめいちりん いちりんほどの あたたかさ     はっとりらんせつ

《我流訳》梅が一輪咲いている。その咲いた一輪分の暖かさを心が感じる。

《感想》この句は大変意味を間違えやすい一句。わたしも間違えていました。この句を「梅一輪一輪ほどの 暖かさ」を上の句と中の句を続けて読むと「花が一輪ずつ咲くごとにだんだんと暖かくなっていくことだなあ」と春の訪れを喜ぶ句になるそうです。微妙な違いですね。この句の題は「寒梅」。梅だと季語は春ですが、寒梅だと季語は冬だそうです。

絵は盆栽のような、ぽってりとした線で描かれた可愛い梅の枝。

 

【え】

炎天に遠き帆やわがこころの帆     山口誓子

(えんてんにとおきほや わがこころのほ     やまぐちせいし)

《我流訳》暑い夏の日差しのなか、遠く沖を眺めると白い帆を掲げた船がかすかに見える。青い海原に真っ白い帆。あの船は私だ。わたし自身が青い海を悠々と渡っていくのだ。

《感想》これはあまりわからない句でした。なので訳も相当間違っているかもしれません。この句は終戦の一週間後に読まれており、敗戦のショックと終戦の安堵感でぽかんとした空白のなか、自分を奮い立たせる気持ちを詠んだ句ではと思いました。

絵は青い空と蒼い海の間を行く白い船。

 

【お】

隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな     加藤楸邨

(おきやいま このめをかこむ どとうかな     かとうしゅうそん)

《我流訳》いにしえ、後鳥羽院が配流された隠岐の島にも――春になれば木が芽吹く。その芽吹きを目がけて荒い波が打ちつけている。いにしえと同じように。

《感想》おおう。これは後鳥羽院を偲んだ旅において詠まれたものなのですね……。今回、句の意味を調べてみて初めてわかりました。やっぱり俳句を鑑賞するにはそれなりの知識が必要なんですねえ。

詠み人の加藤楸邨は、後鳥羽院のゆかりを訪ねて隠岐島へ旅をしたそうです。その時に作った歌。これを知らないと俳句の意味はわかりませんね。そうか。……まあでもそういう事前知識が必要な俳句はわからなくてもいいという割り切り方もありますよ。だって全ての俳句に関する知識を網羅することは出来ないんですから。

後鳥羽院は承久の乱で北条氏が主導する鎌倉方と対立し、敗れ、隠岐島へ配流された上皇です。隠岐島とはここ。

これは相当に厳しい……。幕府――武士が天皇経験者に対して行なう配流としては。同じ時に後鳥羽院の息子である順徳上皇が佐渡に配流されていますが、それに次いで厳しい。

当時の距離感は今の何倍もありました。船も小さな船しかない。小さな島に流された後鳥羽院はどれほど源氏を恨んだことでしょう。その反面、どれほど心細かったでしょう。都から遠く離れた地で屈辱にまみれながら日々を過ごす。島ではこんな歌を詠んだ。

われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
(このわたしが新しい島の守り人だ。隠岐の荒い波風よ、怖れ敬うように)

かなり強気な歌ですが、そういう歌を詠まずにはいられないほど孤独でもあった。

そう思ってみれば、加藤楸邨が隠岐島へ行って後鳥羽院を偲んで事跡を見て回り、最後にあの句を詠んだのは後鳥羽院に対する鎮魂の思いがこめられたのだと思えます。後鳥羽院が詠んだ「荒き波風」と加藤楸邨の「怒涛」の言葉が響き合う。

絵は木の芽と崖。

か行、かきくけこ。

【か】

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     正岡子規

(かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ     まさおかしき)

《我流訳》柿を食べた途端に鐘の音が聞こえた。法隆寺、秋の日。

《感想》俳句として大変有名な一句。が、わたしはまったくピンと来ず。「……だから?」といいたい。柿を食べた、鐘が鳴った、この2つの同時性が面白かったのか?

実際に柿を食べた時に鐘が鳴ったのは東大寺だったそうですね。子規は法隆寺の方が句として良いと判断して法隆寺としたようです。わたしは俳句がノンフィクションである必要はないと思っていますからいいのですが。しかし法隆寺である必然性もあまり感じないので、うーん。なんでこの句がここまで有名になったのか……

絵はつやつやとした柿、遠景に五重塔のシルエット。

 

【き】

きしきしと牡丹莟をゆるめつつ     山口青邨

(きしきしと ぼたん つぼみを ゆるめつつ     やまぐちせいそん)

《我流訳》大きな牡丹のつぼみ。まだ緑一色で固いままだが、耳をすますときしきしとつぼみがゆるむ音がするような気がする。つぼみは緑の内側で着々とあでやかな花びらの準備をしているのだ。

《感想》わかる。少なくとも後半は。牡丹の花はとても大きい。つぼみもそれに応じて大きく、多分ピンポン玉くらいあります。つぼみは頑丈で武骨で、ここからあのあでやかな花が咲くとは思えないほど。

作者の山口青邨は牡丹の花を愛した人だったようです。庭にも多くの牡丹を植えていたとか。牡丹の句は他にも多い。花の時期は朝に夕に見つめて、咲くのを待ち望んでいたのでしょう。

ただ個人的にはその擬音として「きしきし」は少し疑問を感じます。きしむ、を連想しますから、キーキーしている気がする。つぼみから花への変化はそんなに窮屈かなあと。

咲く前のつぼみをそっと握って生殺与奪の権を手に入れたとひそかに感じる。背徳感。

絵は牡丹の固いつぼみだけ。「牡丹」が夏の季語であることが驚きです。

 

【く】

栗拾ひ ねんねんころり言いながら     小林一茶

(くりひろい ねんねんころりいいながら     こばやしいっさ)

《我流訳》子守をしながらも、足もとに落ちている栗に気を取られている。口ではねんねんころり、と背中の赤子をあやしながら目は栗を探す。見つけるたびに拾って。今夜は栗を焼いて食べよう。気もそぞろ。

《感想》子守は兄弟のなかの年長の子なのか、それとも近所の子どもが駄賃を目当てにやっているのか。明治期の小説には子守女という単語もよく見かけ、年端の行かぬ女の子の職業として成り立っていたようです。子守を温かい目で見た素直な一句なのでしょうが、わたしはどうも赤子がないがしろにされている気がしている……。

絵はイガのなかに行儀良く収まった三粒のつやつやの栗。

 

【け】

罌粟の花 十日経ちけり散りにけり  加舎白雄

(けしのはな とおかたちけりちりにけり     かやしらお)

《我流訳》不思議なけしの花が開いた。十日の間咲き続け、その後散った。大きな花びらが花瓶の周りに残されている。

《感想》好きな句。花が咲いて散った、この句はそれだけの字面でしかないけれど。

けしは身近な花でした。比較的安く買えたから。花屋さんで買って帰り、グラスに挿してつくづく眺める。不思議だ。剛毛の生えた坊主頭のような丸いつぼみから、どうしてあんなに華やかな花が咲くのだろう。つぼみに詰め込まれた花びらは開いた時にはしわくちゃで。でもいつの間にかぴんと張ってパーティの美女のような派手な姿になる。しかし散る時は一瞬。花弁はきれいなまま、いつの間にか落ちている不思議。

字面だけ見れば「……だから?」と言いたくなる句ではあるけれど、けしの不思議を見ていたわたしはこの句に共感を持てます。人によって読みが違うところが俳句の面白さなのかもしれません。ただひたすら正確に読むだけが価値ではない気がする。

作者の加舎白雄はまったく知らない人。江戸時代の終わりに生きた人で、なんと与謝蕪村と同時代人。句が大変モダンに見える。驚き。

花は白地にシンプルに描かれた橙色のけしの花とつぼみ。けし独特の茎の曲線。

 

【こ】

この道の富士になりゆく芒かな     河東碧梧桐

(このみちの ふじになりゆく すすきかな     かわひがし・へきごとう)

《我流訳》見渡す限りすすきの野だ。その向こうにはかすかに富士山が見える。ここからずっとすすきが続いて、富士の山裾まで繋がっているのだなあ。

《感想》すすきというのは地味な植物ですが、花が咲く直前のある時期、ある時間の光の中では穂が輝いてとても美しいものです。

 

 

たしか霧ケ峰高原をバスで通りかかった時に、一面の薄の原が広がっていて「ちょっと待てーッ!」と言いたくなりました。写真を撮りたかった。が、その時は団体バス旅行の進行中だったので、言えずに終わりました。いまだにその撮れなかった一枚が心残り。

この俳句は五七五で詠まれていますが、作者の河東碧梧桐は五七五ではない俳句も詠んだひと。五七五ではない俳句は別な名前をつけて、別な詩体だと認識して区別した方がいいと思う。

絵は、遠景には紫がかった夕暮れの富士山の影。近景には(なんだか適当な)すすきが何本か書いてあります。句の雄大さに比べて絵が適当だなあと思った記憶がある。

 

ラインナップ、【あ】~【こ】まで。

長いので今回は【こ】まで。ここまでで10句、およそ5分の1です。

水原秋櫻子監修「俳句いろはかるた」のラインナップ、久々に作者名も含めて見てみましたけれども、昔気づかなかったところがいろいろあって面白かったです。

今回の最大の発見は「隠岐や今」の句の背後に後鳥羽院がいたことですねえ。背後の後鳥羽院を知って読むのと知らないで読むのとでは、句の内容が全く違う。わたしは何も知らない人にも一読で意味が通じる俳句が好きですが、「後鳥羽院」というキーワードを手に入れて鍵が開いて、詰め込まれた意味が押し寄せて来た今回の経験は貴重でした。

じっくり読むというのも必要なことなんですね。今さらですが。
【さ】以降も見て行きます。

今回の十句で一番好きなのは、

梅一輪 一輪ほどの暖かさ(服部嵐雪)

でした。

 

 

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