本を読むこと

◎アイザック・ディネーセン「アフリカの日々」。読書の幸福。

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長年、本を読み続けていると「大好きな本」というのは若い時に読んだ本に偏っているなと思います。人生の中での最愛の5冊といったらどれも20歳前後くらいまでに読んだ本ばかり。

若い頃は感受性が豊かだから。
よくそういう風に言われますよね。たしかにそういう側面もあると思います。

しかしそれは若い頃の感受性という理由だけではなく、いろいろな本を読み続けていくことで、審美眼が上がった――とは単純にはいえないけれども、そう簡単に驚かなくなった、ハマれなくなったということだと思う。

10冊読んだ段階での面白さのハードルと、100冊読んだ後は違う。1000冊読んだ後のハードルもまた違う。

アイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」はだいぶ大人になってから出会った、その意味では貴重な「大好きな本」です。


アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

 

横山貞子さんの訳に愛着を持っています。装丁も好き。これはパリのクリュニー中世博物館で見られる大型のタペストリー「貴婦人と一角獣(触覚)」の部分ですね。

 

文学は苦手ですが、まあ読んでみないと。

読み始めは例によってうざったかった。――文学作品なんてだいたいうざったいのです。でも修行のように読む。読んでみなければ面白いかどうかわかりませんから。

最初の数ページ、アフリカの大地の情景描写が続きます。これが初めのうち好きじゃなかったのですが、でももっと読み進んで文体に慣れ、話に引き込まれてからだとこの冒頭の風景描写がとても美しく感じられます。

アフリカ。地中海沿岸以外には行ってみたいと思ったこともないけれども。宝くじが当たったとしても多分行かないだろうけれども。アフリカの風景といえばわたしはここで描かれた(文章を読んで想像した)情景が浮かびます。

この作品を書いたのはカレン・ブリクセン。女性です。「アフリカの日々」の舞台はケニアの首都、ナイロビ近郊のコーヒー農園。

 

カレン・ブリクセンとは。

彼女はデンマークの裕福な名士の娘に生まれ、遠縁の、スウェーデンの(貧乏な)男爵と結婚しブリクセン男爵夫人となりました。夫婦でアフリカに渡りコーヒー農園を拓きます。

が、夫はお金にも女性関係にもルーズで、上手く行かずに離婚。その後は女農園主として、決して順調ではなかった農園の経営に全力で取り組みます。

17年にわたって彼女はアフリカで暮らしました。しかし農園の経営が行き詰まり、どうしようもなくなってデンマークへ帰国。骨を埋めるつもりだったアフリカを離れて。

デンマークへ戻ってから作家活動に入ったブリクセンは6年後、アフリカで過ごした日々を丹念に語ったエッセイを書きます。それがこの「アフリカの日々」。

ブリクセンはノーベル文学賞候補にも何度もなっているといわれていますし、デンマークの天文台で発見された小惑星には彼女の名前がつけられています。デンマークの偉人ですね。

1999年から発行され、2009年まで使われていたデンマークの50クローネ紙幣には、ブリクセンの肖像が使われていたそうです。1962年に亡くなって三十数年でお札の肖像になるとは……!驚きました。

 

カレン・ブリクセン?アイザック・ディネーセン?数々のペンネームを使った人。

あ、著者名がわかりにくいですね。

著者の本名はカレン・ブリクセン。アイザック・ディネーセンは彼女が使った男性名義のペンネームです。この人は英語でもデンマーク語でも書き、英語で出版する時はIsak Dinesenという名を使いました。ちなみにDinesenは旧姓です。

が、日本語訳の場合、ここがややこしいところなのですが、
Isak Dinesenはデンマーク語で読むとイサク・ディーネセン。
英語で読むとアイザック・ダインセン(?)。
しかし日本語のカタカナに移す時に、英語読みの「アイザック」とデンマーク語読みに近いけれども長音の位置がおかしい「ディネーセン」とが混ざって訳されてしまい、それが定着しています。

近年ではイサク・ディネセンと表記された出版物もあります。

さらにドイツ語圏で出版される場合はタニア(ターニャ)・ブリクセンと名乗り、その他にOsceolaと Pierre Andrezelというペンネームもあるらしい。 また同じ本でも加筆されて内容自体が異なっている作品もあり、なかなか混乱させられる作家のようです。

この名前の使い分けにはどういう理由があったのか……

複数のペンネームを使い分ける場合、既存作家が別のジャンルを書く場合とか、そこまで有名ではない多作家が新味を出そうとして使いわける場合などと聞いたことがありますが、ブリクセンの場合はどうだったのでしょう。

本名とペンネーム、というところまではわかりやすいですが、他に3つもとなると……。自分を隠したかった人なのでしょうか。

アフリカへの愛情。

ブリクセンはアフリカの地を愛しました。つぶやくような文章にその愛がつまっていると感じる。

アフリカの自然の美しさ。
農場経営の日々。
農園で働くキクユ族。長老たちのこと。
デニス・フィンチ=ハットンのこと。
アフリカの人々の風習、気質について観察したこと。

愛情を持ちながらも冷静な目で見ている。その視線が魅力的です。自分とアフリカの、ゼロにはならない距離を知りながらずっと愛し続けた。

「土地の人々」との交流。とりわけカマンテとの関係が心に残ります。

ヨーロッパ人であるブリクセンにとって、アフリカはやはり神秘的な土地でした。そこに住む人々は彼ら自身の考え方、行動規範に従って暮らしています。彼女は彼らの姿を驚きの目で見つめます。

カマンテはキクユ族の少年でした。初めてブリクセンが出会った時の彼は山羊の番をしながら、脚に大きな傷を負っていました。その傷がいつ負ったものなのか――一日前なのか、一週間前なのか、何年も経つのか、寡黙な少年は語りません。

ブリクセンはカマンテの治療を試みました。アフリカに住んでいる白人たちは医者であろうとなかろうと、土地の人々から医療行為を求められます。ブリクセンも手当の経験は豊富でした。

しかしカマンテの傷は大きく深く、ブリクセンの手には余りました。さまざまな試みの後、彼女はカマンテをカトリック宣教団が運営する本当の病院へ送り、彼はそこで3ヶ月療養生活を送ります。完治し戻って来た彼は周囲が何も言わないうちから、当然のようにブリクセンの屋敷で働くようになります。

カマンテは寡黙で考え深く、自分の考えに従って行動し、ブリクセンの言いつけや提案には従わないこともあります。そんなカマンテを、おそらくブリクセンは最初のうちは扱いかねたでしょう。しかし彼女は小さな彼を尊重し敬意をもって接します。

彼は無口なままでしたが、徐々にうちとけ、生来の器用さを表し始めます。最初はカレンの医療手伝いでしたが、そのうち料理長の助手をつとめるようになり、料理長が死んでしまったあとはカマンテ自身が料理長となります。ブリクセンによれば、カマンテは料理の「超自然的な名人」、ナイロビの白人社交界ではその料理が有名になるほどでした。

カマンテは勉強熱心で、ブリクセンが命じれば他の屋敷やホテルに行ってレシピを覚えるのを苦にしませんでした。しかし食べ物としての西洋料理にはあまり価値を置かず、自分が食べるのは伝統的にキクユ族が食べて来たトウモロコシ、ご馳走だと思うのはサツマイモや羊の脂肉。

自分が作った西洋料理には愛着を持っていないように見えるカマンテは、周囲の賞賛にも無関心でしたが、唯一、英国皇太子がブリクセンの屋敷に来て食事をした時は別でした。皇太子がカマンテの料理を褒めていたということを聞くと興味を惹かれたようで、――その後何ヶ月も経ってから、ふいにその時のことを話題にすることがありました。「スルタンの息子さん(実際には英国皇太子)は豚のソースが気に入っただろうか?」

30代のデンマーク女性と、アフリカで生まれ育った少年。立場が違い、育ちが違い、根本的な考え方の違いはありつつも、彼らは信頼関係で結ばれていました。

近しいもの、似ているものへは親近感を持つものですし、それが信頼に繋がるのは遠い道のりではないでしょう。が、こんなに違う者同士が築き上げた信頼の姿はこの作品の大きな魅力の一つです。

 

デニス・フィンチ=ハットンのこと。

Denys-finch-hatton-1887-1931.jpg
By Unknown author - Several websites., Public Domain, Link

デニス・フィンチ=ハットンは作品の中ではブリクセンと同じ心を持つ友――伝記的には恋人でした。

彼はイギリス人で、伯爵の第3子として生まれました。20代半ばからアフリカの各地を回り始め、さまざまな土地で狩猟にいそしみます。狩猟家であり、飛行機乗りであり――最終的には上流階級向けの狩猟ガイドとして生計を立てます。

フィンチ=ハットンとブリクセンの出会いは彼らが30歳を過ぎた頃でした。その頃、まだブリクセンは男爵と結婚しており、フィンチ=ハットンは夫婦の友人として親交を深めます。

40歳近くになってブリクセンが離婚すると、フィンチ=ハットンは旅と旅の間の時間を、ブリクセンの農園で過ごすようになります。長いサファリの旅に行っては農園に戻り日々を過ごす。そしてまたサファリの旅に出かけました。

旅に出かけたフィンチ=ハットンが帰って来て旅の話をする。
彼がいない間に書いた話をブリクセンが語る。
そんな日々が繰り返されました。

彼とともに経験したライオンの狩、彼の飛行機で飛んだ大地、そして彼の死。

「アフリカの日々」の中でフィンチ=ハットンについて書かれた文章は、作品の半ばに25ページほど、そして終盤に20ページほどというわずかなものに過ぎません。しかしアフリカで生きたフィンチ=ハットンの姿は今後何百年も残ります。この作品が読まれ続ける限り。

 

映画は別物。

「アフリカの日々」は「愛と哀しみの果て」という映画の原作……ということになっていますが、ちょっと待ってください。「愛と哀しみの果て」は恋愛映画で、「アフリカの日々」は別に恋愛ものじゃないんだよなあ……


愛と哀しみの果て (字幕版)

ヒロインをメリル・ストリープが演じて、相手役をロバート・レッドフォードがやったわけですが、……ラブロマンスに寄りすぎてて、これを「アフリカの日々」と言われてはイヤだなあ。

「アフリカの日々」のメインテーマはアフリカですから。映画にするのならばもっとアフリカにフォーカスして欲しかったです。でも「アフリカの日々」のアフリカ度合いを忠実に再現すると、ドキュメンタリー映画を撮ることになってしまうんですけどね。

別物と考えてください。

 

カレン・ブリクセンの博物館。

ケニアとデンマークにそれぞれミュージアムがあります。

ケニア・ナイロビのカレン・ブリクセン博物館。

ちなみに東京-ナイロビ間の航空チケット代は、今ちょっと検索したところ16万円くらいから。片道20時間~30時間くらいかかります。

ナイロビまで行けば博物館へはツアーがあるらしい。……が、2時間半のツアーで12000円ともなるとかなり割高。まあ行かないでしょうけれども。

デンマークのルングステッズには生前住んでいた家が残り、カレン・ブリクセン記念館となっているそうです。

海にほど近い、庭が美しい場所のようです。デンマークの首都、コペンハーゲンからもあまり遠くない。ブリクセンのお墓もここにあるそう。行ってみたい。

 

その他の作品。

この作者の作品には、他に「草原に落ちる影」「バベットの晩餐会」などがあります。邦訳がある作品は10冊内外。


草原に落ちる影


バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

「草原に落ちる影」は「アフリカの日々」の番外編のような作品なので、「アフリカの日々」を気に入った方にはぜひ読んでいただきたいです。

「バベットの晩餐会」は小説。映画にもなりました。映画は、テレビで放映された時に見たけれども今一つ印象は強くなかったです。でも映画好きの間では人気が高い映画のようですね。

 

詩情あふるる。

訳者の横山貞子によるあとがきにも教えられることが多いです。ブリクセンが作品の中で何を書き、何を書かなかったのか。自伝ではないので、ブリクセンは相当に取捨選択をしています。そこから、一番書きたかったのは何だったのかが伝わります。

「アフリカの日々」。情熱を抑えて静かに語る、その語り口が魅力的な作品です。

 

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