旅あれこれ

奥州藤原氏と平泉、その滅びの跡を訪ねる。その1。

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三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。

松尾芭蕉の綴った「おくのほそ道」、多分ほとんどの方が古典の授業で読んだことがありますよね。そのクライマックスが平泉。平泉の段は「おくのほそ道」の中でも、とりわけ名文です。

上記の一文は平泉の段の書き出し部分です。読みの容易さを考えて漢字を開いて書いていますが、これを音読すると心が引き締まる思いになります。この言い切りがかっこいいと思いませんか。芭蕉さん、よっぽど推敲に推敲を重ねたんだなあ。芭蕉の、平泉に対する思い入れをひしひしと感じます。

 

 

芭蕉は源義経が好きだったらしいですね。それはまさに日本人の心情としてある「判官びいき」なのかもしれません。滅びの儚さを美しいものとしてとらえ、その美しさを切なく愛惜する。

芭蕉は平泉の段の中ほどに、

夏草や 兵どもが 夢の跡

という一句を置いています。義経の時代から500年経ってこの場所を訪れた芭蕉は、そのかみの戦いを思い描き、その戦いの渦中にある者として自分を想像したでしょう。高館で自ら命を絶った義経。義経を最後まで守って、最期は立ったまま死んでいったという弁慶。その後の自らの運命も知らず義経を追いつめた藤原泰衡。500年経てば全てが哀れで愛おしい。

 

平泉を訪ねるのなら、歴史を知ってからの方が絶対楽しい!

平泉は2011年に世界文化遺産になりました。対象の遺跡の中で一番有名なのは、中尊寺の金色堂ですね。「黄金の国ジパング」の元となったのはこの金色堂だともいわれています。マルコ・ポーロの「東方見聞録」には、「ジパングには屋根も床も窓も金の宮殿がある」と書かれているそうです。

あんまり日本で、どこもかしこも金ピカな建物って聞かないですよねー。他には金閣寺も、秀吉の黄金の茶室も金の建造物ですが、マルコ・ポーロの時代からはだいぶ下ります。やっぱり金色堂の噂が遠く大陸まで伝わったんじゃないかなあ。

ところで余談ですが、マルコ・ポーロって24年も商売の旅に出ていたらしい。24年間一度も故国に帰らない状態は、……それは旅、なのか?旅は帰る場所があってこそ、という気がするが。24年も帰らなかったら、それは放浪、あるいは移住なんじゃないだろうか。

それとも「いつかは帰る」という場所を心に持つことが旅なのか。

 

奥州藤原氏。その百年。その栄耀と滅び。

平泉を作ったのは奥州藤原氏四代の一代目、藤原清衡です。しかし奥州藤原氏の前に先行する安倍氏の歴史があり、前九年・後三年の役を通じて生まれる陸奥の国と源家との因縁は、奥州藤原氏自体の歴史と並ぶ面白さです。歴史とはドラマだ……

しかしその面白さを書き表したくても、ここでわたしが3000字5000字と書いたとして、うすっぺらいダイジェスト以外の何物にもならない……。奥州藤原氏を面白く書くなら原稿用紙最低2000枚。でしょうね。

なので、涙を呑んで(?)関連本のご紹介。

 


図説 平泉 ---浄土をめざしたみちのくの都 (ふくろうの本/日本の歴史)

 

<図説>系の本は、写真も豊富だし、ガイドブックよりははるかに歴史的な情報量が多いし、薄目だし、旅行に携えていくのにいい本です。ただこの一冊で奥州藤原氏の歴史の面白さが存分に味わえるかというと、それは難しい。

本当は高橋富雄さんの本を挙げたいところです。髙橋富雄さんはもう亡くなってしまいましたが、元東北大学教授で東北古代史を専門になさっていた方。「奥州藤原氏四代」が名著です。

 


奥州藤原氏四代 (人物叢書)

ただこれは、1958年初版なんですよね。60年前……

1987年に改訂が入っているようですが、それも30年前なので、その後本格的に発掘された柳之御所遺跡などの情報は入っていないはずです。

でも60年前に書かれた本がいまだにamazonで買えるというのは、その本が名著である証拠でもあります。この吉川弘文館の人物叢書シリーズは、その当時の(おそらく)主流の学者によって書かれた、よくスタンダードを押さえた信頼に足る本でした。

今見たらまだシリーズ続いてるんですねえ!最近のは改訂版かもしれないが。

大層古いということを心に留めた上で、一番おすすめしたいのが「奥州藤原氏四代」です。

それよりも多少新しいのがこの本。とはいっても2002年刊行。


奥州藤原氏 平泉の栄華百年 (中公新書) [ 高橋崇 ]

新書です。通勤のお供にどうぞ。

ただ、今時の乱立状態の新書と違って、この頃は専門の学者がちゃんと書いているので、多少とっつきにくいかもしれません。そして高橋崇さんは、見方が若干スタンダードからは離れる気がする……。これで平泉の歴史を覚えてしまうとちょっとアレかも。

歴史を踏まえた上で、実際の散策に移りましょう。

絶対に外せないのは中尊寺。

平泉観光にどのくらい時間をかけられるかは人それぞれかと思います。ちょっとだけ立ち寄る、という場合は中尊寺と毛越寺だけに絞った方がいいですね。中尊寺に1時間くらい、毛越寺に30分、車で移動するならトータル2時間と見ればいいかと思います。必要最小限の行動の場合。お店にも寄らず、休憩もなし。

中尊寺というのは一つの山ですから、それなりの距離を歩きます。入口の月見坂はかなり傾斜の急なところがあります。上る時はいいとして、降りる時は女の子の高いハイヒールでは厳しいんじゃないかなあ。

 

 

両側が杉の並木で、周りに観光客がたくさんいるのはともかく、800年前とあまり変わってないのではないかと思えます。夜など、まさに月が美しく見えたことでしょう。

上り坂の休憩もかねて、東物見台にも寄りましょう。中尊寺の北側を見おろす風景は前九年の合戦の衣川古戦場跡、そしてこの田んぼの中のどこかに弁慶立往生の地とされる場所があるそうです。そのあたりで弁慶が死んだとすると、義経とはだいぶ離れたところで戦っていたことになります。わたしとしては、弁慶には死ぬまで義経のそばにいて欲しいのだが……

月見坂の左右にある小さなお堂に寄りながら、頂上の平地に来たあたりに本堂があります。金色堂が有名だし、写真や映像で使われるのもほとんどが金色堂(の覆堂)なので、多分初めて来る方は金色堂がメインというイメージで訪れるでしょうが、金色堂は観光としてのメインで、お寺としては本堂が中心です。いいことがあるようにぜひお参りを。

そこから先へ進むと、左側に讃衡蔵という大きな建物があります。これは現代の建物で、中尊寺の宝物館です。ここも必見ですが、まずはメインの目的である金色堂へ行きましょう。

まっすぐ覆堂へ延びる階段。覆堂は さやどう と読み、金色堂を風雨から守るための建物です。今の建物は昭和 年に作られたもの。

金色堂は……金ピカです。金ピカはあまり伝統的な日本人の美意識とそぐわないので、もしかしたら成金趣味的な方向に考えられることもあるかもしれません。しかしここが金ピカなのは、極楽浄土を金色で表そうとしたから。仏典には「全てが光り輝く」状態が理想の世界のあり方として書かれているようです。

決して自らの財力を誇っただけではありません。……まあ多少は誇ったんだと思いますが。わたしは。

 

 

ただし金だけに目を奪われて、あとで思い返した時にそれしか印象がない、ということのないように、中身も気をつけて見てみて下さい。

ただねー。中身を見たいと思っても、遠いんですよね、詳しく見るには。ガラスで隔てられてもいるし。混んでいる時にはなかなか難しいかもしれませんが、オペラグラスを持って行くという手もいいかもしれません。

金色堂の中の須弥壇、巻柱は夜光貝の螺鈿で荘厳(装飾)されています。この夜光貝は南方のもので、奥州藤原氏の交易の広さの一つの証拠でもあります。南の物産はどこから手に入ったんだろう……。わたしは奥州藤原氏の交易港は青森県の十三湊だと想像しているのですが、あの場所では中国との交易には便利でも南方はちょっと無理がある。やっぱり夜光貝も中国経由でしょうか。

ちなみに巻柱は宮城県多賀城市にある東北歴史博物館の常設展で模造が見られます。多賀城国府跡などの模型もある、歴史に興味のある人には楽しめるところです。多賀城国府跡も数々の歴史の舞台になった場所。

須弥壇の中には奥州藤原氏三代、清衡、基衡、秀衡のミイラが安置されているそうです。遺体をミイラにする、その文化的な由来はどうもまだ解明されていないようです。ミイラに「した」のか「なった」のかも不明。うーん、学問は遅々としてなかなか進みませんねえ。平泉学者の中にもガツンという人が出て来て欲しいものだが。

3つある須弥壇の仏像もなかなかいいんですよね。以前に博物館で平泉の特別展をやった時に近くで見たことがあります。こんな狭いところに仏像がたくさんありすぎる印象で、他の場所から移動させたのかと思ったこともありますが、どうもそうではないようです。金色堂のもともとの建物の目的は阿弥陀堂で、極楽往生の願いをこめているはずだから、並ぶのが多分珍しい六地蔵も本来の安置のよう。

金色堂の黄金色は、地上に仏国土を建てようとした初代藤原清衡の願いがこもっていると言われます。父を殺され、妻子も殺され、義理の兄弟と殺し合わなければ生き延びられなかった人の、祈りの具象化が金色堂です。耳をすますようにしてその祈りを聞き取って下さい。

金色堂を見終わったら、経蔵、旧覆堂がある木立の中を通って白山神社へ行きましょう。中尊寺の守り神です。ここの見どころは能舞台。150年以上経った建物で、時々野村萬斎さんが来て狂言をやります。

最後に、さっき前を通った讃衡蔵へ行きましょう。ここも時間のかけようで、うーん、さらっと見ても30分くらいはかかるよなあ。

ここでは、入ってすぐのところにある三体の大きな丈六仏が一番のみどころです。おそらく都の仏師による制作だと思います。ここにこれを置いてしまうのはもったいないんじゃないかと思うんですけどね。順路の最後にあった方が良かったなあ。

 

 

他に仏像の良品も多々あります。あと、ちょっと目を留めて欲しいのが金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅。こんこうみょうさいしょうおうきょうきんじほういんまんだら。一体何の呪文やねん、というタイトルですが、物としてはお経の文章を十重の塔(五重塔じゃなくて十重塔。)の形に紺紙に金泥で書いてある、というもの。これは展示は模造だったかもしれないのですが、物としてはかなり面白い。赤や緑の彩色もされてなかなかカラフル。

讃衡蔵を見終わったら月見坂をまた戻ってもいいのですが、讃衡蔵の横の下り坂を下りていきましょう。たしかこの道に、夏だったら大賀ハスが咲く池があったと思います。こちらから駐車場に戻れます。

 

中尊寺 

営業時間:3月1日〜11月3日/8:30~17:00 11月4日〜2月末日/8:30~16:30

通常参拝料:大人(800円)、高校生(500円)、中学生(300円)、小学生(200円)

他団体料金あり。※参観は金色堂・讃衡蔵・経蔵・旧覆堂の拝観を含む(2019年4月現在)

 

 

次に毛越寺へ。

中尊寺と並び、平泉の重要な寺の一つだった毛越寺。当時は他に観自在王院、無量光院という大寺もあったそうですが、今はあとの二つは遺構しか残っていません。

山の寺だった中尊寺とは全く雰囲気が違い、毛越寺は平地の寺です。池の寺、とも言えるかもしれません。境内に入ると平らかな大きな池が眺めのほとんどを占めます。これは浄土を表す浄土式庭園というスタイルだそうです。心が安らぐ。

 

 

昔、池の対岸には大きな伽藍が2つ並び、平等院鳳凰堂と似た景観だった様子。あんな風に赤かったらしい。今の穏やかな眺めとは相当違った華やかな雰囲気だったでしょうね。

ここの見どころはいうまでもなく、池です。半島のように池の中に突き出た州浜や、石組み・立石などで景色に変化をつけており、ただぼーっとした大池ではありません。その時代の繊細さを感じさせる。

池に注ぎこむ小さな流れが作られており、遣水というそうです。あまり遠くからは見えず、風景に影響を与えない部分で、そばに来てようやく遣水があるんだなと気づくくらい。池泉回遊式庭園だと流れや滝はむしろ積極的にアクセントにするので、ちょっと不思議。

ここでは5月の第4日曜日に「曲水の宴」というイベントが毎年行なわれています。これは平安時代に行なわれていた貴族の遊びを再現したもので、流れの上流からお酒を入れた盃を流し、流れ沿いに座を占めた大宮人(の扮装をした)たちが、その盃を取り、和歌を詠み、お酒を飲み、またお酒を注いで下流(次の人)に向かって盃を流すというものだそうです。

わたしは源氏物語が好きなのでそういう平安的雅にはアコガレがあるのだが、……しかしそれにしてもまどろっこしい遊びじゃないかね?楽しいのか?と、無粋なつっこみ。

毛越寺は入口側に平成元年に立て直した本堂を始めとする現代の建物、池の対岸には主に遺構が残り、静かでいいところです。観光客でいっぱいの中尊寺よりも風情がある。

木立を抜けてくる光が礎石の上に当たっている。風を感じます。

 

毛越寺

拝観時間/午前8時30分〜午後5時 ※11月5日~3月4日は午前8時30分~午後4時30分

拝観料 大人(500円)、高校生(300円)、小中学生(100円)(他団体割引有)

(2019年4月現在)

 

平泉、最低限訪れるべき中尊寺と毛越寺だけでだいぶ長くなってしまいました。

その2に続きます。



 

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