amairoの旅日記 西四国・南九州の巻/2019

37.仙厳園をじっくり。御殿も必見。

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ここは仙厳園。鹿児島市筆頭の見どころです。薩摩の殿さま、島津家の別邸でした。去年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の最初の方の回で映っていた場所で、ここで実際にロケをしたそうです。初めの何回かしか見なかったので逆にここは印象に残っている。

広いですね。そして手入れがきちんとされている。格調の高い施設だと感じました。だいたいこういう施設は、どれほど大事にされていても古びて現役感がなくなるものですが、ここは現役感が残っていたように思う。つい数日前までお殿さま(の子孫)が寝起きしていたと聞いたとしても驚かない。

活けられた花がそう感じさせるのだろうか。

 

 

ガイドのおねえさんたちも、あんなに暑いのに凛とした着物姿なんだよなあ……。浴衣じゃないですよ。着物。
島津家は将軍家に娘(養女)を納れた唯一の外様大名だと聞くから、多分格式を意識する思いは強かったんだと思います。その伝統が今でも残っているのか。

かなり写真を撮ったので、今回は写真が並びます。

 

反射炉跡。

えーとですね。反射炉というのは……こんな感じのものです。(すぐwikiを頼る。)
これで鉄を溶かして鉄製大砲を鋳造しました。鉄を溶かすためには炉の温度を高いところまで上げなければならず、これは近代になってようやく作られるようになった当時の最先端施設。わたしは薩摩藩のこの反射炉、作るのに失敗したと記憶していたのですが、最終的には成功していたんですね。

 

 

この反射炉は現代の入口から入るとすぐの場所にあるので、こんな通り道にこんなものをよく置くなあと思いましたが、その頃は仙厳園への出入りは正門を使ったんでしょうから、ここは敷地の外れと言えば外れですね。

でもこういう、いわば最先端の工場を別邸の敷地内に作らせようという発想が、常人にはないと思う。斉彬さんも相当に変わった人です。休息を求めて、風雅な庭園付きの別邸を作って来たはずの歴代藩主たちは、お墓の中で「なんだこれは!?」と思ったに違いありません。

ちなみに今、写真に写っている部分は燃料を燃やす部分だけです。往時は地上に16メートルの高さの煙突がそびえていました。煙突ったって、今一般的な細長いのが1本ひょろっと建っていたわけじゃないですよ。おそらく2本、石造りかレンガ造りの教会の鐘楼のようなのががっしり建っていた。相当存在感があったでしょう。

カミソリの刃1枚も入らないように石を積む技術は、お城の石垣を作って来た日本の石工たちの伝統があったでしょうが、それを箱型に組むとなると勝手が違い、困難も多かったでしょう。求められる精度も違う気がするし。しかもそのための設計図があるわけでもない。それをやれといった斉彬さんは無茶だし、見様見真似でなんとかやり遂げてしまう薩摩工人たちは無茶苦茶です。

でもやってしまうんだもんなあ。

 

これが正門です。さすがにがっしりした作り。

ここから見ると一番遠い、白壁の建物辺りに薩摩示現流体験コーナー(?)があって、木刀と、打ち込みの為の木があります。真正面から振り下ろすタイプの打ち込みをやってみたのですが、思い切って振り下ろすと木刀がぶつかる時の音が響いてなかなか気分がいい。

薩摩示現流は一太刀で決着をつける「二の太刀不要」の必殺の剣。「キエーイ!」という奇声がちょっとコワイ。猿声というそうです。大河では「チェストー!」とも言っていたそうですが、これほんとに言うの?それって日本語?英語?謎。

 

御殿。

入場料的には御殿に入らないという選択も可能ですが、ここは見た方がいいと思うなあ。島津家の気概というか、自分を高く律するという矜持が感じられる。それは現代になってこの仙厳園を調えた現代人の気概なのかもしれませんが。

 

 

江戸からは遠い。しかし世界を視野に入れれば中心になり得る。幕末の薩摩藩はそんな価値観の変換があった、また変換せざるを得ない土地だったということでしょう。斉彬さんやそのお祖父さんが西洋かぶれだったのも、おそらく長崎が近く琉球が近く、フィリピンやインド、ひいてはヨーロッパ、薩摩が異国との最前線だという自負から来たものでしょう。

仙台では、伊達政宗がそういう価値変換を模索して慶長遣欧使節団を派遣しています。だが、なにせ太平洋回りは遠すぎたわー……。←行ったんかい。時代も早すぎ、船の性能も低すぎた。あの時代、太平洋をつっきってヨーロッパまで行ってやろうと思いつくのは相当な変人だと思いますね。

 

 

 

 

狭くはなく、広すぎもしないと感じる規模の建物。もちろん広いですけれども。最盛期にはこの3倍の規模だったそうです。それは広すぎるわ。

そしてなぜか「戦国無双」シリーズ(←コンピューターゲーム。わたしはよく知りません。)のちょっとした展示が。もちろん島津家と関係があるからなんだけど。島津義弘、島津豊久がキャラクターとして出て来るそうです。

この島津義弘あたりも面白そうな武将ですな。わたしはNHKの「英雄たちの選択」で関ケ原の時の壮絶な退却戦の話を見たけれども。

ところで、座敷から庭の眺めなんですが。

 

ここからが一番眺めがいいらしいんだけど、なんかちょっと疑問。手前側広すぎるよね?バランスがいまいち。もう少し植物を手前に持ってくるか、建物自体をもう少し張り出すかしたらいいのに……と思ったところ、その理由らしきものが。

これって鹿児島湾を池に見立て、桜島を築山に見立てているそうだよ。なるほど。通常の池泉回遊式庭園にはあるまじきスケール感。普通逆ですけどねえ。日本の作庭は大きいものを小さく写すというのが定番(たとえば昨日見た水前寺公園の、富士山と見立てた築山)ですが、ここではその逆をやっているんだ。

 

桜島を見るという意味ではこの辺がいいんじゃないかな。ここは御殿から降りて庭先をだいぶ進んだところです。

 

 

広い敷地の仙厳園ですが、時間が許すのであれば一番奥の桜島展望ポイントまで行くといいですよ。ベンチに座ってのんびりできる。……はず。この時期は直射日光がツラすぎて無理でしたが。

桜島展望ポイントと御殿の間にある竹林もいいところです。山中の趣。もっと登れば、相当登りがいのある集仙台というところまで遊歩道、あるいは登山道があるようです。わたしは当然のことながらそこは行っておりません。そんな根性はない。

 

仙厳園ブランドショップ。

仙厳園ブランドショップは買う予定がなくても行った方がいいですよ。ちょっとした美術館のよう。薩摩切子や薩摩焼が売ってます。きれい。見たこともない紫の薩摩切子がありました。わたしの財布にとってはお土産に出来るような価格帯ではないですが……(お猪口で3万円くらいからかな?)
でも目の保養になる。

あ、薩摩焼といえば、御殿にこんな展示もありました。

 

 

これは高さ1メートルくらいですか?相当に大きいものです。「島津家29代の島津忠義がロシア最後の皇帝であるニコライ2世の戴冠式の時に贈った薩摩焼の複製」だそうです。本物はロシアのエルミタージュ美術館所蔵。

 

 

真ん中の模様のアップです。この細かさ、見て下さい。王冠の宝石のところとか唐草模様みたいなところとか、ある意味壮絶ですよ。怖ろしい。制作は当代15代の沈壽官で、ひいお祖父さんの作品を複製したとのことです。

 

仙厳園茶寮。

ここで13:10。そろそろ休憩したくなりました。あんまりお腹空いてないけど。

あっ!これだ!これにしよう!

 

 

かわいい~!仙厳園茶寮の「さりょくま」。800円。

実は「しろくま」は鹿児島のご当地スイーツだそうです。しろくまの顔をしたかき氷。あちこちのお店で食べられます。ここでの名前は茶寮にちなんで「さりょくま」。いや、それにしてもこの顔のバランスの見事さ。こんなにかわいいとは思わなかった。

いくらかわいくても遠慮なく食べますけどね。

 

 

このお店は設えが素敵でした。大島紬のテーブルセンター。それが映えるように無地の茶碗。注文すれば抹茶も点ててくれて、煎茶もメニューにあるそうです。居心地が良くてついつい長居しちゃった。この大きさのかき氷を食べ終わるのにはそれなりの時間がかかるということもある。かき氷そのものがミルクなので、味わって食べられるのがいいですね。美味しかった。

 

尚古集成館。

仙厳園に隣接する尚古集成館へ。

 

石造りの立派な建物です。これは元々は1865年に島津斉彬が作った機械工場。富国強兵と殖産興業を目指した近代洋式工場だったそうです。仙厳園で最初に見た反射炉もその工場群の一環。……とかもっともらしく書いてはみましたが、詳しくはよく知らないのでwikiご参照のほどを。
wikiもそんなに詳しくないけど。

現在は島津家や薩摩藩の資料を展示する博物館です。なかなか見ごたえがあった。……が、幕末についてのアニメ映像を見てたら寝てしまう。多分30分くらい。映像を見ると途端にぐうと眠るというのはお約束です。

尚古集成館の別館もありますが、こっちはだいぶ地味。でも家系図はちょっと面白かった。他に薩摩切子工場もあり、これは見たかったのですが月曜日なので定休日。

力いっぱい仙厳園を見たのでそろそろ帰ります。今15:00過ぎ。……なんと仙厳園には4時間いました。何もそんなにいなくてもいいんじゃないのか。でもそのうちの30分は居眠りをしており、もう30分強はかき氷を食べてました。それでも3時間か。3時間も何をしていたんだろう。意外に示現流の木刀を振っていた時間が長かったとか。

そのくらい広くて見ごたえがあるところでした。

 

かごっまふるさと屋台村。……は、行ってみたけどお酒が飲めないので諦める。

16:00頃ホテルに戻り、しばらく休みました。暑いなか歩き回って疲れた。

18:00、晩ごはんを食べに外出します。でもねー。当てがないんですよね。
ホテルのそばには飲み屋さんはいっぱいあるんですが、お酒飲まないしなあ……。とりあえずかごっまふるさと屋台村に行ってみようか。

かごっま屋台村は地元食材のお店が、25軒集まった屋台村です。ほんとの屋台ではなく小さなお店の集まり。ここはたしか屋外でしたよね?雨降ったら傘さすのかな。鹿児島中央駅の近くなので、場所的には行きやすいところです。

鶏刺しを食べたいと思って行ったのですが、うーん、やっぱりここもお酒が飲めないと入りにくいなあ。店員さんが客引きをしていて「お酒飲まなくても大丈夫ですよ」って言ってくれるんですが。屋台村だけに一つ一つの店が小さく、スペースが小さいということもある。ここもしつこく3周くらいして、諦めました。やっぱりお酒を飲むところですね。

次に駅ビルのアミュへ行ってみます。

おお!牛タンの「利久」がある!鹿児島まで進出しているのか!感動。……感動したが、わざわざ鹿児島まで来て牛タンでもないだろうと思い、また店を物色。

結局、入りたい店が見つからなかったんです……(涙)。
こういう時はホント悲しい。わりとあるんですよねー。行けども行けどもピンとこないことが。
そして、夕飯は最終的にこうなりました。

 

 

イオンの地下で総菜……
買って帰ってホテルで食べました。鹿児島まで来て、散々探してイオンか。痛恨。
でも合鴨のローストは美味しかったし、中華3点盛は割引で買えたし、味的にはまあまあだったのでいいことにする。しくしく。

 

ところで、天罰の結果ですが。

ところで皆さん、わたしが受けた天罰のことを覚えていらっしゃるでしょうか。

高千穂で観光をした日。天安河原からの帰り道。森の中で、折れ枝に肩を直撃されたのでした。痛かった。あれが3日前のこと。痛みはまだ続いていますが、まあ折れてないことがはっきりしたので一安心です。結局打ち身だったんですね。

……だが、内出血がものすごい。黒血っていいますか?黒血って方言ですか?

一応証拠写真は撮ったんですが、公序良俗に反する画像になるので自粛させていただきます……。
当たったのは肩の前面だったんだけど、黒血って見事に移動しますね!3日経って、肩はすっきり治ってますが二の腕のほぼ全域が黒血になっています。やー、これはひどい。本人は経緯がわかっているから、ひどいなーと思うだけで済みますけど、他人様にお見せすると多分ぎょっとされると思います。

なので、袖が短いTシャツが着られません。そんなにたくさん服を持ってきているわけではないので、困った困った。

ちなみに黒血って東北と熊本、鹿児島辺りでしか使わないらしいよ!方言同心円説(方言周圏論)の一例とされるらしいよ!ここ、鹿児島なら黒血と言って通じるということですね。

明日は桜島観光です。桜島は仙厳園でさんざん見たから、わざわざ行くまでもないかもしれませんが、一応桜島まで渡ります。

 

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