適当に国語辞典のページを開き、そのページの最初に出て来る単語から思いつくもので2000字を書く、という企画です。前回は「ダウン」で書きました。
まあ、これはこれで何とかなったと思う。
久しぶりに試みてみました。
今回国語辞典から出て来たお題は……「かまびすしい」。
かまびすしい:(形)騒がしい。やかましい。
……うっ。これは広がらないと思う。とりあえずやってみます。
なお、書いている間は検索も本も見ないので、間違ったことを書いている可能性もあります。あとで答え合わせをします。
「かまびすしい」で2000字。
「かまびすしい」ってほぼ古語ですよね。古典でしかお目にかからない言葉。それとも今でもどこかに方言として残っていたりするのだろうか。
「あさきゆめみし」。
「かまびすしい」といって唯一、思い浮かんでくるものといえば「あさきゆめみし」というマンガです。はるか昔、大和和紀という人が描いた「源氏物語」を基にした作品。この作品も売れたけど、代表作は「はいからさんが通る」でしょうか。はいからさんはたしか数年前に実写映画になった記憶が。
この「あさきゆめみし」の中にこういうシーンがあります。
藤壺の女院の側近が他の年若い侍女たちが声高におしゃべりしているところに行き会い、
「なんですか、まあかまびすしい。女院さまのお勤めの最中なのに……」
と小言をいう。そこへ女院がお出ましになり、
「いいのよ。ほんというと私も話の仲間に入りたかったの」
小言を言った側近は、女院さまがそういうならと顔色を和らげる。(台詞はうろ覚えです)
ここで若い侍女たちが騒いでいる話題が、なんだったか……たしか宴かなにかの華やかな行事についてで、貴賤を問わず楽しみにしている、といったものだった気が。うーん、思い出せない。
何か源氏の君がらみのことだったと思うのですが……
でもあからさまに源氏の君だけの話なら、源氏の君との関係を隠し通している女院が、ここまで素直に話に乗るということはないはずだしなあ。あ、藤壺の女院というのは、前の藤壺女御、源氏の君の不倫相手です。藤壺女院と呼ばれるようになったのは落飾して(出家して)尼になったから。
このシーンから、
〇源氏物語(平安時代の文学)での呼び名
〇女院
〇お勤め
について話を広げます。
源氏物語での呼び名。
源氏物語を始めとする平安時代に書かれた物語のちょっとめんどくさいところに、役職が移るに従って呼び名が替わるというところがあります。
たとえば、源氏の君の親友(のちに政敵)の「頭中将」(とうのちゅうじょう)。
「頭中将」とは役職名なのですが、役職名だから出世すれば変わります。初めて登場した時は少将か何かだったかなあ。それが中将になり、大将になり、覚えてないけど少納言・中納言・大納言と
順調に出世して行ったはず。何しろこの人、家柄がいいですからね。晩年はたしか太政大臣まで行ったんじゃなかったでしょうか。
なので、若い頃には「頭中将」と呼ばれていた人が、物語の中盤では大納言に、終盤では左大臣などと呼ばれるようになるわけです。
これだけでもややこしいのに、何しろ長い物語だから「左大臣」と呼ばれる人が複数人出て来る。
物語の最初の方で「左大臣」と呼ばれるのは、源氏の君の正妻の父であり、頭中将自身の実のお父さんのこと。
「大将」と呼ばれる人は、主に3人。
源氏の君が大将だった頃、
髭黒大将(この人もたしか最終的には右大臣か何かになったかな?)
薫大将(源氏の子)もいる。
この「呼び名の移り変わり」を知らないと、「源氏物語」を読んでて混乱してしまうので注意が必要です。
女院とは。
「院」というと病院や美容院など、建物のイメージが強いですが、昔は身分のある人が出家すると○○院という名前がつきました。(白河院とか後鳥羽院とか崇徳院とか……)歴史の授業で「院政時代」習いましたね。それは「出家した天皇=院号を持つ存在」が権力の中心にいた時代です。
現在でも人が亡くなった際、つけられる戒名に「院」がついていたりします。こんなところまで繋がっているんですね!
藤壺は女性なので「女院」です。
呼び名の謎。
ただ当時、実際にどう呼ばれていたのかはよく知らない……
目上の人の本名を呼ぶのはタブーでしたから、本名はまず呼ばないでしょうね。
女院?
女院さま?
お方さまもあり?
ご主人さま?
もっと個人的な呼び名があった?
呼び名は時代や関係性に応じて、ものすごく変わって始末が悪いですねー。目下の者が目上の人を呼ぶ時、その逆の時。公式の場か、私的な場か。
ここらへん、時代ドラマ・映画・小説の制作者はすごく困る部分だと思います。戦国時代劇を見る時なんか、ちょっと注意して見てみてください。「政宗」と呼ばせるか「藤次郎」と通名を呼ばせるか「〇〇の守」と呼ばせるかは、制作側の大きな選択。
実際は本名を呼ばずに、公的な場所では「〇〇守」、私的な場所では通名を呼び合っていた気がするけど、呼ぶ人によっていろいろだと視聴者がわからなくなっちゃうし。ずっと○○の守のままでいるとも限らないしね。
リアルに寄るか、現代人へのわかりやすさを取るか。難しいところです。
お勤めとは。
お勤め=勤行=仏教の修業=お経を上げたり、仏壇の掃除をしたり、といったことですね。
あまり詳しく知りませんが、平安時代の貴族は出家しても元の自宅にいて、仏間で個人的に勤行に励むというスタイルが多かった気がします。まあそれは不労収入があればこその話だと思いますが。
出家しても俗世から離れず、多分経済活動もそこそこやってたんだろうなーと思うのが、源氏の君の夫人の一人である「明石の上」のお父さんの明石の入道。この人はお金持ちらしいです。(といっても「この身分にしては」で、源氏の君よりお金持ちということではない)明石の入道はあんまり偉くないので「院」はつかないのですね。
ちなみに当時女性が出家する時には、髪を肩ぐらいで切りました。「尼削ぎ」という髪型です。髪が長ければ長いほど美しい、という価値観だった平安時代では、肩ぐらいの髪でも俗世を捨てたことを表現するのに十分だったということですね。
今クールやっているドラマ「いいね!光源氏くん」で、千葉雄大が伊藤沙莉のことを尼だと勘違いするというシーンがありますが、これも「短い髪の女性=出家した人」という平安時代の常識からきています。
……が、その辺そんなに説明されてないから、見てても何のことかわからないんじゃないだろうか。
それに、そんなこと言ったら現代女性のほとんどは尼削ぎですよね。他の女性も見ているはずなのに、光源氏くんはなんでそこに疑問を持たなかったんだろうか……
答え合わせをしてみます。
だいたいこれで2300字くらいになりました。こんなところで良しとしましょう。気になったところを答え合わせしてみます。
女院のところの若い女房は何を喋っていたのか?
これはマンガが手元にないので、正確なところは確認できず。代わりに田辺聖子の「新源氏物語」で、おそらくこれというシーンを見つけました。
多分「絵合」の巻です。帝が絵を好むところから絵画鑑賞が流行り、みんな寄り集まってはいろいろな絵を見てああでもないこうでもない、といっている状況。そこで「かまびすしい」という言葉が出るわけですね。
そこから絵合――敵味方に分かれて一枚ずつ絵を見せ合い、どちらの絵が優れているか競う遊び――へ、という流れになります。
しかし遊びと言い条、敵味方に分かれたのは源氏方と頭中将方(この時点では大納言?)で、これは帝の2人のお妃、梅壺女御(斎宮の女御)VS弘徽殿の女御(二代目)の実家同士の正真正銘の勢力争いでもあるわけですねー。雅なだけではない。しかし表面上はいかにも雅な争い。
女院ってどんなもの?
「女院」って「院」に対応したその女性版。だと思っていましたが、あれ?ちょっと微妙。
「院」といえば――あっ!ここ間違った!「出家した天皇」じゃなくて、天皇経験者を指すんだ!
出家が必須要件ではないですね。勘違いしていた。
そして「女院」は――歴史的に初期の頃は天皇の母になった人のみに与えられたが、次第に(天皇を生んでない)后も含む→皇女も含む……と範囲が広まったらしい。最多の時期には十数人の女院がいたとか。
ちなみに「院」はもともと「高い垣に囲まれた大きな建物」という意味だそうです。それが御所に使われ、場所を指す言葉がそこにいる人を指す言葉にもなったとか。
呼び名問題はカオス。
呼び名というのはかなり複雑。……ほんと複雑。なのでここでは深く立ち入りません。というか、立ち入れる知識がありません。専門の学者が書いた本でご確認ください……
伊達政宗って何の守だっけ?
伊達政宗は仙台に拠点をおいた殿さまですが、だからといって陸奥守かというとそうとも限らないんですよね。領国と「〇〇守」という肩書は違います。ここ混同しがちだけれども。わたしもはっきり認識したのはここ数年です。
伊達政宗の場合は、美作守(岡山県)→越前守(福井)→陸奥守(東北)など、移り変わっているらしい。兼任もあり。
これは伊達政宗が岡山県にいて、福井県にいて、東北に移ったということではありません。「〇〇守」という肩書はついていても、その場所とは直接関係がなく名前だけ。
織田信長もおそらく行ったこともないだろう「上総介」(千葉県)だったしね。毛利元就も陸奥守。陸奥に来たこともなかっただろうけど。
しかし加藤清正が肥後守、最上義光が出羽守だったりしているのを見ると、やはり領国と守名は出来れば一致させたいものだったようです。
「かまびすしい」から連想する2000字。
気になったところは以上です。今回はまあまあ。60点くらい。
「かまびすしい」で検索したところ、たったの7470件だったわりには、意味を質問している人も多くて、意外に古語とも言い切れないかもしれませんね。
前回も今回もマンガの話になりました。今はほとんど読んでないんですけどねー。
……しかしまだ新刊で手に入るってオドロキ。40年前に連載を開始されたマンガだよ!
そして連載が14年続いたというこの事実。文庫で全7巻というボリュームのわりにこんなに長くかかったということは、うーん、やっぱり描くの難しかったんでしょうねえ……。連載にもだいぶ中断があったに違いない。
「源氏物語」の概要を押さえるのにいいマンガです。源氏好きが読んでもあまり不満はないと思います。まあ源氏の君は原作よりも若干チャラ男ではありますが、では原作ではチャラ男ではないのかというと、やってることはかなりチャラ男……。無念。
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