ミケランジェロ広場へ行くためにバスに乗る。
この街には昔の城壁がまだ少し残っていて、中央駅から出たバスはその外側に沿って走る。城壁が本来敵への備えであるのは言うまでもない。だが今見る壁は、フィレンツェを魅力的に見せるために建てられたちょっとしたアクセントだ。優美なルネサンス建築に対するわずかに武骨な壁。街の縁飾り。
バスが丘を登る。
イタリアの「広場」といえば、ローマのナヴォーナ広場のように絢爛たる装飾をまとった舞台としての場所か、あるいは近くに住む老若男女が夕方になると集まってくる、生活に組み込まれたささやかな場所かのどちらかだと思っていた。だがミケランジェロ広場はそのどちらでもない。
バスを降りて肩透かしを食う。ここがそうなのか。ただ広いばかりの、アスファルトに固められた駐車場のようなこの場所が。いかにも今出来で、趣も何もない。ぽつんと止まった軽食の移動販売車がかろうじて観光地の証明にはなっているけれど、客がいなければそれは単に侘しい存在。Tシャツの類の土産物を売っている小さな店が一つ二つ。シャツの鮮やかさが心細さを増す。
広場の名前から予想出来るように、広場の中央にはダヴィデ像のレプリカが設置されていた。わざわざ立ち止まって見る代物ではない。本物はこの街のアカデミア美術館で見られるのだし、レプリカでさえすでに街の中心部、ヴェッキオ宮の入口にあるものを見ている。名前にミケランジェロとつけてしまったがゆえの勇み足だろうが、本場で、あちこちにレプリカをばらまく必要があるのか。広場の佇まいと偽ダヴィデ像を残念に思う。
しかしそれも含めてこの場所の演出だというのなら、わたしはフィレンツェ人の企みを褒め称えよう。
侘しげなミケランジェロ広場。そこから見えるフィレンツェ中心部の町並みは、テレビで写真で、飽きるほど目にした風景のはずだった。実際に見ることも、その確認でしかないと思い込んでいた。だが風情のないこの広場の手すりの向こうに広がっていたのは、思わず息を呑むような。
大きな島。赤い海の上に浮かぶ。
建物の赤い屋根が波のように連なる。そこにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はふわりと浮かぶ。曇り空に赤いクーポラが優美な曲線を描き、夕暮れの大聖堂の灰色の壁は意外な近さで目に迫る。
――たとえ世界が海に沈んでも、あの場所だけは沈むことなく存在し、辿りつきさえすれば救われそうな確かさで立っている。聖母の名をつけられた建物にはふさわしくない言い方だけれど、その姿は強い父を思わせる。周りの赤い屋根は全て頭を垂れて父たる大聖堂に従っている。大きな翼。街はその翼下にある。
フィレンツェ人は、日々この大聖堂を見上げながら暮らして来た。朝日に輝く姿。朱色の夕陽に照らされた姿。変わらずにそこにあり、自分たちを見守ってくれる偉大なもの。人々は大聖堂に聖母への思慕を重ね、フィレンツェそのものを重ね、誇りをもって見つめただろう。我が大聖堂。我々の聖マリア。
だが旅人は、「我が」と呼びかけることは出来ない。彼はずっとこの街にはいられないから。大聖堂の翼の下で生まれ、暮らし、年老いて死んで行く人生は選べない。通り過ぎるだけの彼に出来るのは、遠い空の下で、目の中に残る大聖堂の姿を思い返すこと。自分のものにならないものへの憧憬を抱えて。憧れは甘い矢として心に小さな傷をつける。片思いの。切なさに似ている。
またいつかわたしはこの場所に立つだろう。その時大聖堂はまた悠然たる姿で迎えてくれるだろう。そして二度とここに来ることはないとしても。一度見てしまった心には、その大きな姿がいつまでも残る。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ。
埋められないものを埋める呪文であるかのように、その名を心で繰り返す。サンタ・マリア・デル・フィオーレ。美しいこの街を統べる大きな島。