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< エディンバラ随想 >【prose】

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ロンドンでの三ヶ月の滞在後、エディンバラへ向かう夜行バスに乗った。海外で夜行バスに乗るのは初めてなので不安だったが、バスは何事もなく早朝のエディンバラへ到着する。夏でもエディンバラの風は冷たい。駅の片隅でこそこそとスーツケースの蓋を開けて長袖のシャツを引っ張り出す。

エディンバラは黒い岩の町。石材が黒いのでロンドンとは建物の色が違う。駅を出てすぐ見えるスコット記念塔も。格式高いバルモラル・ホテルも。岩山の上にそびえるエディンバラ城も。セント・ジャイルズ大聖堂も。そして小雨に濡れる石畳。全てが黒々として影の町のようだ。その黒さに気後れする。バックパッカーばかりのユースホステルに、場違いなスーツケースをこっそり運び込む。

しかし雨が上がり青空が広がると、青い空を背景にしたエディンバラ城は堂々たる姿だ。城が建っている岩山は平野に突き出した絶好の要害。市街地側から見るとそこまで実感は出来ないが、西側から見た時の断崖絶壁は際立っている。ここしかない、というロケーション。黒い石がさらに武骨さを高めている。

武骨さは実際に城まで登っても同じだ。頑丈で物々しい正門。石の壁は厚く、入口は狭く、防御のみを目的として作られたことがよくわかる。門の左右にはウィリアム・ウォレスとロバート・ザ・ブルースの石像――わたしはスコットランド史は映画「ブレイブ・ハート」を見ただけなので、なぜこの二人が並んでいるのか理解出来なかったが――が出迎える。スコットランドの独立を守ろうとした者たち。はるかな過去のイングランドとスコットランドの戦いの歴史を物語る。

わたしはヨーロッパの城郭建築を四つに分けている。廃墟、砦、城塞、宮殿。エディンバラ城は砦の面影を濃く残す城塞建築だ。広い敷地にはあちこちを向いた建物が散在しており、最初に隅々まで計画されてから建て始められたものではないことがわかる。頑丈な塀と壁の多さ。見通しの悪さ。建物の、曲線も修飾もない粗さ。どれをとっても威圧感がある。戦うための城だった。

その場所でほっと出来るものを探すなら、それは城からの眺望である。立ちはだかる建物の間を通って行くと視界が開け、眼下には市街地。その向こうには海が見える。小さな島の浮かぶ海が。

その海からヴァイキングが攻めて来たこともあっただろう。まだ小さな町だった頃のエディンバラを突然海からやってきた人々が襲う。地元民はこの岩山に逃げたこともあったかもしれない。ヴァイキングの略奪を、恐怖に震えた目で見てる――。

◇   ◇   ◇

エディンバラの旧市街は丘の尾根を中心にして発展してきた。エディンバラ城からまっすぐ尾根筋に伸びる道はロイヤルマイルと呼ばれる。西の端にはエディンバラ城が、東の端にはホリールード宮殿がある。それを繋ぐのがロイヤルマイル。

エディンバラ城からロイヤルマイルの緩やかな坂道を下ってくると小さな酒屋があった。ミニチュアのウイスキー瓶がショー・ウィンドウに並んでいたのが気に入って入ってみる。アイル・オブ・ジュラのミニチュア瓶を選んだ。スコットランドでスコッチを買う。世にミニチュア・ウィスキーは数多いが、地元産のものを買えるチャンスはそう多くはない。家人へのお土産とする。

旅では印象的なストリートミュージシャンに出会うことが多い。今まで出会って来たのはバイオリン、スティール・ドラム、リュート。そしてこのエディンバラではバグパイプだった。聖ジャイルズ大聖堂の脇で、中年男性がキルトの衣装に身を包み、直立不動で演奏している。その物々しさに対してバグパイプの音色は意外なほどに甲高く、中国やトルコに似た東洋的な雰囲気も感じる。写真を撮らせてもらい、楽器ケースにチップを置いても頷いただけで演奏は途切れない。謹直な姿勢は少しも揺るがなかった。

◇   ◇   ◇

ロイヤルマイルの東の端。ホリールード宮殿はおそらくエディンバラ城で使われている石材と同じ地元産の黒い石で建てられているが、与える印象はまるで違う。より華やかで柔らかい。現在も現役、王族が滞在する居住のための城。それでももっと後の時代に築かれた城郭と比べると硬い物々しさがある。

不思議なのは宮殿に隣接、というよりは直結してして残る古い廃墟。中世には立派だったに違いない、堂々たる大寺院の廃墟が屋根を失ったままで建っている。昔は色鮮やかなステンドグラスがはめられていたであろう内陣の窓枠が残り、壁も柱も尖った窓もそのままなのに屋根だけがない。宮殿と隣接しているにもかかわらず、復元はしなかったのだろうか。

とはいえ、廃墟ではその侘しさを楽しむことが出来る。石の影濃い夕暮れにここに来られたら……。廃墟は淋しい。淋しくて甘美だ。ほのなつかしい風が流れる。

◇   ◇   ◇

市街地からすぐ行ける丘、カールトンヒルを目指して歩いていると、アジア人の二人連れから道を訊かれる。話しかけて来た人はどちらかというとタヌキ顔で、中学校の同級生と似たところがあり、日本人かと思って日本語で返答したら韓国の人だった。二人は姉妹でカールトンヒルへ行きたいという。わたしもカールトンヒルへ行くから、と伝えて三人で歩き出す。

妹さんはわたしと同じで短期の語学留学に来ていたそうだ。その人が主に話す。黙ったままのお姉さんの方へ話しかけると「お姉ちゃんは英語が喋れないから」と言われる。それなら、と知っていたたった二つの韓国語、「アンニョンハセヨ」「カムサムニダ」と言ってみると、お姉さんは「この人、韓国語喋ってる!」と予想外に感動してくれた。その後は妹さんの通訳を介して多少のやりとりが出来るようになる。

三人でカールトンヒルの丘に登る。古代ギリシャ神殿風の建物が、遺跡のように建っていて混乱する。この辺りに古代ギリシャ建築が建っているわけが……。これは、戦没者慰霊の建築を古代ギリシャ風のデザインで建てようと、1820年代に着工したものだそうだ。しかし途中で予算が足りなくなり12本の柱を立てたところで放棄されたらしい。大寺院の廃墟といい戦没者慰霊堂といい、遺跡が似合う街ではある。

来た方向を振り返ると眼下にエディンバラの街が広がる。新市街のメインストリートもバルモラルホテルの時計塔も元気だ。街を背景に写真を撮りあう。三人とも笑顔。

いろいろな街ですれ違ってきた人はいるけど、彼女たちもその出会いの一つ。丘の上で、さよならといって別れる。彼女たちもたまにわたしを思い出すことがあるだろうか。エディンバラの街の名前を聞いた時に。

◇   ◇   ◇

エディンバラを発つのは電車で。エディンバラ・ウェイバリー駅からそっと電車が離れる。「Welcome to Edhinburgh Waverley」と書かれた駅のサインが窓の外を通りすぎていく。ウェルカムじゃないよ、もうサヨナラだよ、と思う。エディンバラが少しずつ遠くなっていく。黒い岩の町。そこを離れて緑の牧草地を通って、電車は南へと走る。

 

 

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