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◎旅の画家。雪の画家。空気感まで描く画家、川瀬巴水。

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川瀬巴水という版画家の名前を初めて聞いたのは昔、リンボウ先生のエッセイを読んでいる時でした。……このリンボウ先生が一体何者かというのは本題から離れるので割愛。

そのリンボウ先生が川瀬巴水を好きだと言っていて、「夕暮れ巴水」という本もだしています。

これは実は読んだことがない。川瀬巴水の絵にリンボウ先生が自作の詩をそえたものだそうです。詩を添えることの是非はともかく、このタイトルはいい。たしかに巴水は夕暮れがいい。

 

「東京十二題より深川上の橋」

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川瀬巴水 - ボストン美術館, パブリック・ドメイン, リンクによる

でもわたしは、川瀬巴水は月の画家、雪の画家ではないかと思います。

 

川瀬巴水とはどんな人か。

遅い出発。

wikiさんがいうには、海外では葛飾北斎・安藤広重に並ぶくらいに人気がある日本人画家。

とはいっても北斎・広重より時代はだいぶ下がって、活躍時期は大正期から第二次世界大戦後まで、といった現代の人です。「新版画」というジャンルで多くの作品を残しました。

出だしの遅い画家でした。本格的に日本画を始めたのは27歳の頃。それまで7歳、14歳、19歳、25歳と何度も絵の師匠につくも、体が弱くて諦めたり、親戚の反対にあったり……。

十代後半は家業の組みひも店を継ぐことを前提に、絵と勉学の両方に励んだそうなのですが、20歳を越したあたりで父の事業は失敗。家族は貧乏になってしまいます。

巴水25歳の頃、家は妹が家業の職人の一人を婿にとって継ぐことになり、巴水は好きな絵の道で身を立てようと鏑木清方へ入門を申し込みます。しかし「年がいきすぎている」という理由で入門を許されず、洋画の道を勧められます。

洋画は岡田三郎助の指導を仰ぎ、同時に鏑木清方にも時々日本画を見てもらうという変則的な絵画修業でした。この時の洋画修行がのちの写生に活きているといわれます。

27歳の時、再度鏑木清方に入門を願い出てようやく今度は弟子にしてもらえました。30歳の頃は銀座・白牡丹(和装小物の老舗……だったらしい)での小物や広告デザインを行ないます。これが画家としての最初の仕事と言われます。

現在の「川瀬巴水」に直接つながる絵を描くようになった始まりは、35歳の頃。同門の伊東深水の風景画を見て、自分の道は風景画だと思ったそうです。深水とは長く交友が続きます。

そこで渡邊庄三郎という人物と出会い、「塩原連作」を描いたのが全ての始まり。

版元・渡邊庄三郎との出会い。

大正の頃には、江戸後期にあれだけの花を咲かせた浮世絵も下火になっていました。刷られるものといえば昔の浮世絵の復刻。

勢いをなくしてしまった浮世絵を復活させようと、渡邊庄三郎という人物が「時代に合った、国内でも海外でも愛されるものを作りだそう」と企画します。庄三郎は巴水の作品に目を止めました。巴水はそれまでは肉筆画を描いていましたが、庄三郎により版画の原図を描くようになります。

その後、渡邊庄三郎を版元とし、巴水が原図を描くという体制で巴水の作品が長く世に出ることとなります。深水が美人画を、巴水が風景画を。この2人が新版画の両輪でした。

なお現在も渡邊庄三郎の家業はご健在。重畳。

渡邊木版美術画舗
川瀬巴水の作品を見る場合は「新版画Ⅰ」の部分をどうぞ。

旅の画家。

「今の私に何が好きだと聞かれましたら、即座に旅行!と答へます」という発言もある巴水は、生涯に何度も旅に出ました。

とはいっても、巴水は旅から旅への風来坊というわけではなく、奥さんもめとり家を構え、注文もきっちりこなす真面目律義な質だったようです。

旅は数年に一、二度。描いてきたスケッチをじっくり腰を据えて作品にし、また旅に出る。ネタを仕入れてはその実りを収穫する。クリエイティブな仕事としては大変効率の良い方法が取れた人だったと思います。

しかし関東大震災ではそのようにして描きためた写生帖を100冊近くも(188冊という説もあり)焼失し、スランプに陥ってしまいます。

が、そんな時も立ち直らせてくれるのは、旅。

関東大震災後、渡邊庄三郎は手元に残った巴水の作品を渡し「行く先々で展覧会でもすれば旅費になるだろう」といって旅に送り出します。巴水は3ヶ月半の旅をし、写生を繰り返しました。この旅は巴水を生き返らせただろうと思います。

……まあちょっと考えると、震災で焼け出されてから1ヶ月半しか経ってないのにこんな長い旅行に出られたら奥さんは大変だったと思いますけれども。奥さんがエライ。

「東京」を描く。

3ヶ月半の旅の成果はその後何年にもわたって巴水が取り組んでいくテーマになりました。「日本風景選集」「日本風景集」などのシリーズ。

またこの時期、別の作品群が生まれます。それが「東京二十景」。

旅を愛する画家は、幸いなことに遠い場所しか愛せない画家ではありませんでした。生まれ育った東京を描く筆も豊かで、うるおいがある。抒情という意味では慣れ親しんだ東京の方がその味わいが深いかもしれません。

以前にも「東京十二ヶ月」「東京十二題」などのシリーズがありましたが、震災後に描かれた「東京二十景」は、今はもうなくなってしまった風景への哀惜の思いがこもったものでした。巴水の版画を買い求める人は、これを見て在りし日の東京をしのんだことでしょう。

関東大震災後から昭和初期にかけての「日本風景選集」「東京二十景」「日本風景集」のあたりが一番巴水の脂がのっている時期なのかもしれません。

……ちょっとシリーズのタイトルが似通いすぎてて区別がつけにくいですよねぇ。これはこれで販売戦略だったのでしょうか。

戦中、戦後。

巴水も戦争時には兵士たちをテーマにした絵を描かざるをえなかったようですが、戦争が終わった後、巴水は再び日本の風景を美しく描きます。その絵は海外でも人気だったそうです。

亡くなったのは1957年。およそ40年にわたる画家人生でした。

スタートは遅かったけれども巴水は活動期間を通じて、浮き沈みなく、コンスタントに質のいい絵を生み出し続けました。これは稀有のことだったと思います。

他の出版社との仕事もあったようですが、何よりの巴水の幸運は渡邊庄三郎との出会いでしょう。版画という形式に疑問なく進んでいけたこと、マーケットとして国内はもとより海外も視野にいれたデザインを一緒に考えていけたことは幸運だった。

庄三郎にとっても巴水との出会いは幸運だったはずです。巴水の存在があってこそ庄三郎は自分の目指すところにたどり着くことが出来た。お互いがお互いの翼であったといえるでしょう。まあ双方商売ですから、現実的にぶつかることもあったかもしれませんが。

 

巴水の絵、いろいろ。

巴水の最高傑作は(いろんな意見があると思いますが)、これ。

「東京二十景」より「芝増上寺」。

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川瀬巴水 - Collection Walter Schmidt, パブリック・ドメイン, リンクによる

鮮やかな赤い伽藍と雪の白の対比が。
あざといほど狙っていますが、これは降参するしかないですね。白と赤の組合せは巴水のお得意のスタイルで、他にも「日本風景選集 出雲安来清水」「日本風景集 第一集 東日本編 弘前最勝院」などがあります。

「東京十二題」より「冬の月(戸山の原)」。

巴水が描く月も美しい。

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川瀬巴水 - https://ukiyo-e.org/image/artelino/40095g1, パブリック・ドメイン, リンクによる

満月の光がこんな風に降る夜ってありますよね。月自体も美しいが、この絵は地面との境の表現が素晴らしいと思います。摺師さんがんばった!

「旅みやげ第二集」より「大阪道とん堀の朝」。

空気感といえばこれ。

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川瀬巴水 - ボストン美術館, パブリック・ドメイン, リンクによる

これは朝っぽいですよね~!珍しくわりとざっくり描いている絵かと思うのですが、このシンプルな線もいいし、やはり色の吟味がすごい。青の濃淡でここまで表現出来るとは。

「平泉金色堂」。

雪の名作は数々ありますが、一枚といえば絶筆であるこれを。

Kawase Hasui-No Series-Konjikido in Snow Hiraizumi.jpg
Автор: Кавасэ, Хасуи - http://ukiyo-e.org/image/jaodb/Kawase_Hasui-No_Series-Konjikido_in_Snow_Hiraizumi-00030507-020420-F12, Общественное достояние, Ссылка

金色堂を写真に撮る時には必ずこのアングルですね。実際に写るのは覆堂だけれど。(実際の金色堂はこの覆堂の中にあります)

絶筆が雪の中尊寺とは画家人生がきれいにまとまりすぎでしょう……。絵の奥に消えていく旅の僧に巴水を投影してしまいます。

巴水はもっと若い頃にもほぼ同じアングルで金色堂を描いていて、おそらくそれは夏の夜かと思います。月は出ておらず、星が一つだけ描かれている。夜空の青がきれいです。

 

巴水作品の魅力。

巴水作品の魅力はなんといってもそのうるおいがある色使い。これはもちろん巴水の色彩感覚の素晴らしさですが、総合プロデューサーである版元・渡邊庄三郎と、巴水の厳しい指示を文句を言いながら乗り越えたのであろう彫師・摺師のお手柄ですね。

作品ごとに使った色数は違いますが、だいたい30色くらいの色を使ったそうです。利益を追求するならもう少し色数は減らせた気はするが……そこには「新版画」で版画の復興を願う渡邊庄三郎と巴水の理想があった気がします。

たとえば「若狭……久出の濱」という作品の34工程(色)を分解して見せてくれているんですが、これが黒だけでも12枚もあったりして、いや、さすがに黒12色が全部違う黒ってことはないだろう……という気がするんですよ。4色や5色はあったとしてもね。

同じ黒を場所ごとに分割した部分もあったのか?その方が集中して刷りやすいのかもしれないけど、手間は倍、3倍とかかりますよね。

次に構図。巴水は歌川広重を引き合いに出されることが多く、それを嫌っていたそうです。でも巴水の絵を見ているとやはり構図の妙という意味で広重が浮かんで来るのは止められませんよねえ。

似てる!ということではないと思います。しかし構図の切り取り方、特に縦位置のズームアップ感は広重にもあったものじゃないかなあと。

わたしは巴水の、縦構図の微妙に近づきすぎたズーム感が好きですね。ほんのちょっと不安定。そこが面白みになる。その面白みが広重と近いのではないかと……。横位置だと安定はするけれども落ち着きすぎる。とはいえ、家に飾って四六時中眺めるとなれば横位置構図の方がいいですが。

それに縦位置だとよりいっそうストーリー性が濃くなる気がします。ズームにしたことで細部の情報が詳しくなるからでしょうね。多分巴水は風景を描きたかった人で、人物にはさほど興味はなかったと思うが、点景人物をアクセントにする使い方が上手。

 

空気感まで描く画家。

川瀬巴水の美点はその旅情と空気感だと思います。日本人なら味わったことのある、一人一人が持っている、その日その時の空気感。そういうものがあるんじゃないかな。

巴水は生涯で700枚あまりの作品を残しました。
これは、巴水の律義な勤勉さと渡邊庄三郎という名プロデューサーとの出会い、そして国内外が「日本」を欲した時期――そういういくつもの要因が重なって積み上げられた数字だと思います。

これは巴水の幸運であり、日本の版画史の幸運であり、後世その絵を眺めるわたしたちの幸運です。

思い立ったらすぐ行けるようなところにまとまって展示しているところがあればいいのですが、調べてみてもここ!という場所が見つかりませんでした。

江戸東京美術館など、たくさん持っているところはあるようなのですが、やはり版画はずーっと展示しておくというのは難しいようです。どうしても光を浴びて褪色しがちですからね。

その代わり、東京近辺では思いのほか頻繁に川瀬巴水展が開催されているようです。年に1、2度はどこかでやっている様子。今年、本来は4月~6月会期で平塚市美術館が行なう予定だったようですが、来年に延期となった様子です。


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……欠点といえば大判で厚いので寝っ転がって読むのがツライ、ということですね。何かのテーマで1冊読みたい時、別冊太陽で出ているのであればそれを選んで正解です。

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