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◎美術を楽しく見るためには、好きなジャンルと出会うのが大切。西洋美術・イタリア盛期ルネサンス編。

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西洋美術史の最高峰、盛期ルネサンスです!

まあ最高峰といったからといって、それがすなわち価値の高さというわけではありません。美術に順番をつける必要もないですからね。好きな順番は価値の高さとは別に、個人の心の中に育まれるもの。有名でも無名でも、好きなものを探す。

 

が、やはりこの3人は西洋美術史上の巨人です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ。
ミケランジェロ。
ラファエロ。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ。

日本では昔から、万能の天才と持ち上げられてきたダ・ヴィンチですが……これはしょうがない。だって天才なんだもん。

この人は実は画家ではなかった。いや、画家だったけれど、それは絵が比較的実現しやすかった――かかるお金が少額だった――からで、絵画は数ある才能の一つに過ぎない。

この人が本当にやりたかったのは戦時には軍事技術者、平時には都市設計者、趣味として博物学者、だったと思います。一枚の絵に世界を載せるという、ある意味ではちっちゃな行為よりも、本当はもっと大きなことをやりたかった人だと。

ダ・ヴィンチが晩年を過ごした、フランスはアンブローズのクロ・リュセの館。そこの地下だったか1階だったかには、ダ・ヴィンチのアイディアを再現した模型がつつましい規模で再現されています。これを見た時には驚いた。歯車をとことん活用しつくしていることに。

予算の関係なのか、そこで再現された作品は小規模なものでした。今となっては具体的にどんなものがあったのかは忘れてしまったのですが、実現可能に見える実用的な道具ばかりだったように思います。兵器や農業用の機械など。それらがみな、歯車の上手い組合せによって動いています。とことんまで歯車の可能性を利用し尽くそうと思っているかのように。

ダ・ヴィンチは30歳の頃から20年近く、ミラノ公爵の下で働きました。数々の絵画作品を制作し、大規模イベントの演出者もしました。が、技術者としての活動はなかったようです。そもそもダ・ヴィンチがミラノ公爵に自分を売り込んだのは、軍事技術者としてだったのですが。

そういった仕事が出来なかったのは、機会がなかったからか、ダ・ヴィンチのアイディアが実現不可能なものだったからか、あるいは「実現不可能に見えた」からか、実現するにはお金がかかりすぎたからか――この辺のことを知りたいと思います。

画家レオナルド・ダ・ヴィンチについては語られて止まないし、発明家ダ・ヴィンチについても時々は光が当てられますが、技術者・設計者としてのダ・ヴィンチについても知りたい。現代の技術者が見て、ダ・ヴィンチの設計はどう見えるのかと。

都市計画のアイディアも持っていたようです。そのアイディアが実現していれば、と思う。……しかしこういう大掛かりなことになると、彼自身の根気が続いたかどうかは少々不安です。絵でさえ未完が多い彼のこと、実現に何十年もかかる都市づくりの面倒を最後まで見られたでしょうか。

――絵画の話に戻ります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」

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<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81" class="extiw" title="w:ja:レオナルド・ダ・ヴィンチ">レオナルド・ダ・ヴィンチ</a> - <a rel="nofollow" class="external text" href="http://www.ncm.com/content/files/art_downloads/LeonardodaVinci-TheLadywithanErmineX6803.jpg">www.ncm.com</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる

ここは「モナリザ」を持ってくるべきところでしょうが、わたしは「モナリザ」が、そんなに好きではないのです……。すごい絵だなあと思うけれども、見てそんなに楽しくはない。あちこちで取り上げられるので、またこれか、という気分もある。

「白貂を抱く貴婦人」はなんといってもモデルが魅力的ですね。ダ・ヴィンチの技量がどうこういう以前にモデルが美しい。もちろんその美しさを表したのはダ・ヴィンチなのですが。

怜悧そうな眼。何かに耳をすませているような。少し儚げなものを感じさせる。上品な雰囲気だがアクセサリーは質素で、衣装もそれほど豪華ではない。なで肩で華奢。手の表現はすばらしいがわずかに大きすぎる印象。

身体の正面から45度以上首をひねったこの姿勢は、何時間もポーズをとるには大変だったと思います。そういうところからも緊張感が出てるのかな。

モデルは現時点ではミラノ公の愛妾、チェチーリア・ガッレラーニと言われています。変わる可能性もあるけれども。ダ・ヴィンチは彼女の人格に好意と関心を持ったからこそ、こんなに精緻な肖像画を残せたのではないでしょうか。

興味と関心が多岐にわたり、やりたいことがたくさんあったダ・ヴィンチにとって、お金持ちから注文されたありふれた肖像画にやりがいを感じたとは想像できない。しかしこのモデルが美しく、打てば響くような才があり、十分に知的であれば……ダ・ヴィンチにとっても絵を描く時間は愉しいものになったでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチは有名なわりに作品数はそれほど多くはなく……というか完成作が少なく……弟子も少なくとも何人かはいて、工房も構えていたはずなのに、なんでそういうことになるんだろうかといつも不思議。この頃の画家は職人なのだから、注文されたものに応えられないのは致命的だと思うのですが。

ダ・ヴィンチ本人は興味を失ってしまった絵でも、弟子たちが完成させるという方法もあったのではないだろうか。クオリティは多少下がっても、「未完成の画家」になるよりは評判の上でましだったと思うなあ。フィレンツェからミラノ、そしてフランスへ行ったダ・ヴィンチは、失意を抱えて流れていったという印象が強いのですが、一体どういう心情だったのか。それを知りたい。

この絵は「白貂を抱く貴婦人」と名前がつけられていますが、この動物はシロテンではなく、フェレットだという意見やらオコジョだという意見やらがあります。わたしはイタチとテンとフェレットとオコジョの違いがわからないですが。

 

ミケランジェロ。

大作を数々生み出した人で。もしかしたら作品の規模でいったら歴代断トツ一位かもしれません。なんといっても壁画の「最後の審判」と「天地創造」は単純に大きさだけを考えても群を抜いていますからね。

ミケランジェロは、あの巨大な「天地創造」の大画面を弟子に任せておけずほとんど一人で描いたと言われています。これを4年でなあ……。天井画の描き方に慣れてからは下描きなしに直接描いたそうです。それも神業ですね。何しろあんな大画面ですから。その構成を考えながら。

ミケランジェロは人間嫌いだったらしい。弟子がいなかったわけではないそうですが、孤独な人の印象があります。それまでの時代は画家は職人でしたが、この人とダ・ヴィンチは芸術家という気がする。

ミケランジェロ「ヴァチカンのピエタ」(サン・ピエトロのピエタ)

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Por <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/pt:Michelangelo" class="extiw" title="w:pt:Michelangelo">Michelangelo</a> - Edited version of (cloned object out of background) <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/File:Michelangelo%27s_Pieta_5450_cropncleaned.jpg" title="File:Michelangelo's Pieta 5450 cropncleaned.jpg">Image:Michelangelo's Pieta 5450 cropncleaned.jpg</a>), CC BY 2.5, Hiperligacao

美しい。世界で最も美しい彫刻(amairo比)。大理石で出来ているとは思えない柔らかな衣服の表現。

「ピエタ」とはイタリア語で「憐れみ・慈悲」という意味。美術の分野でピエタという場合、十字架で磔にされた、我が子イエスの死を悲しむマリアの姿を表します。

……が、悲しみだけではない。これは訳のことになるのでわたしはあまりよくわからないですが、日本語で悲しみと慈悲とは似ているようで全然違う。悲しみは我が子が死んでしまったことに対する感情ですが、慈悲は包むような愛です。ある大きな存在が小さくいたいけな生命に感じる、悲しみを帯びた愛しさ。

ピエタという作品はいくつもあり、そこに表されている感情はさまざまですが、このヴァチカンのピエタは悲しみよりも慈悲を感じさせます。若い女性として表現された聖母マリアはその大きな膝に、世界を救ったイエスを抱きとります。世界のために苦しみ、死んでいった若者を大きな愛で包みます。

イエスの身体に比べてマリアが大きすぎるという批判は当時からありました。しかし見ていてその不自然さには気づかない。マリアの美しさに惹かれて、それに気づく余裕がない。

 

現地で見ると防弾ガラスの向こうにあり、正面側からしか見えないので、時々は360度ぐるっと見せて欲しいですね。なかなかそういうアングルで見る機会がない。ずっと前にテレビで特集した時に見せてくれたような気がするのですが……。イエスの顔を上から見たい。

ミケランジェロは他の作品はおしなべて筋肉!マッチョ!ですが、とにかくこのピエタは優美。……こういう彫刻が彫れる人なのに、この他の女性像はへったくそで!(←amairo比)。女性像を彫っても男性にしか見えないゴツさ。このピエタの優美さが彫れるならもうちょっと何とかなったんじゃないかとミケランジェロに言いたい。

ミケランジェロ「ロンダニーニのピエタ」

ミケランジェロのピエタといえばほとんどがヴァチカンのピエタを指すのですが、実は彼はピエタと呼ばれる彫像を4つ作っています。

とても若い頃彫った「ヴァチカンのピエタ」。
その後、70代で「フィレンツェのピエタ」「パレストリーナのピエタ」。
でもこの2つは未完に終わります。他の人の手が入っているという話もありますし、おすすめというわけではない。

しかし遺作である「ロンダニーニのピエタ」は素晴らしいです!

Michelangelo pieta rondanini.jpg
<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%96%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3" class="extiw" title="w:ja:ミケランジェロ・ブオナローティ">ミケランジェロ・ブオナローティ</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

これはミラノのスフォルツァ城博物館にあります。全然期待してなかったのに、実際に見たら衝撃的でした。見る前は未完成の、粗削りな塊だと思っていたのにすでに神性が宿っている!あんなにがしがし彫っているだけで、マリアの寄りそう姿勢、イエスの苦しみに疲れた身体からにじみ出る光があります。

残念ながら写真では良さが大変伝わりにくい。近くで見て印象が変わった作品ベスト5に入るかもしれないです。

やはりミケランジェロは天才だったのでした。

 

ラファエロ。

ダ・ヴィンチ、ミケランジェロに続く第三勢力がラファエロです。ダ・ヴィンチより31歳年下、ミケランジェロより8歳年下。若くして亡くなった人なので、すごく年下なイメージがある。亡くなったのは37歳でした。

わたしのイメージでいうと、ダ・ヴィンチやミケランジェロは文句なく天才。ラファエロはそこまで突き詰めなかった分、誰からも受け入れられやすい調和のとれた画風。後世の画家たちの主な手本となったのはラファエロでした。

ラファエロは本人も美男で社交的で、権力者にも可愛がられたし女性たちにも人気があったそうです。そして工房は大きく、作品は山ほど残している。天に愛された幸せな人である気がする。

わたしにはラファエロの苦悩は見えないのですが、こういう人でも悩んだことがあったのでしょうか。工房は弟子が大勢いて人に好かれて、注文は引きも切らず、多分お金持ち。彼の悩みがあるとしたら……政略結婚をしなければならなくて、身分の低い恋人と結婚できなかったことでしょうか。

そう書くと純愛のような気持になるが、モテモテだったという話を聞くと、その恋人に対する気持ちがどのくらい真剣だったのかなーと思います。ラファエロによる恋人の絵は残っていて、その美しさを見るとついうっかり愛を感じたりするのですが、……それにだまされちゃいけない。上手い人は愛がなくても上手く描けるんだ!

……なぜこんなにラファエロをディスるかというと、その順風満帆ぶりが妬ましいからです。苦悩も挫折も見当らず。まるでアイドルのようにきゃーきゃーいわれて。(←推測。)

でもラファエロは幼い頃に母を亡くし、ついで宮廷画家だった父も亡くしています。11歳の頃でした。いくら才能があっても苦労をしなかったわけではないでしょう。幼い頃母を亡くしたことが、後年の「聖母子像」に繋がっているという説もあります。ラファエロは幼子イエスを優しく抱く、美しい聖母を多く描いた画家でした。

というわけで、ラファエロの絵はこちら。

ラファエロ「小椅子の聖母」

 

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<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/ja:%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3" class="extiw" title="w:ja:ラファエロ・サンティ">ラファエロ・サンティ</a> - <a rel="nofollow" class="external autonumber" href="http://caccioppoli.com/Madonna%20and%20Child%20%28fit%20screen%29/Raffaello/Raffaello%20madonna-della-sedia--3529%20%282%29.jpg">[1]</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

もう、これは宗教画じゃない。

これはどう見たって幸せな親子の図じゃないですか。愛情で結ばれた親子の絆。横で見ている少年の洗礼者ヨハネは、通常イエスへの崇拝の念で祈っているものですが、どうみても親子をうらやましそうに見ているとしか思えない。

宗教画を示すのはかすかに頭上に輝く光の環と後光、そしてヨハネが持つ十字架。しかしそれ以外、ショールも異国風なターバンも、宗教画というより風俗画を感じさせる。美術=宗教のためのものだった中世から、時代はここまで来ました。

イエスの足がむちむちしてかわいいね。いくら赤子でもちょっと肉がつきすぎだろうとは思うけれども。手前の飾りは椅子の一部です。なかなか豪華ですね。天の玉座を表しているという説もあり。しかし椅子に座って、どうすればこのポーズになるのかはいまいちよくわからないが……

……と色々ぶつぶつ言っていますが、わたしはラファエロが大好きなんです。甘すぎるなーと思いつつも、まさにその甘さに心惹かれる。理性と感情の背反。

 

ティツィアーノ。

ルネサンス三大巨匠には知名度は劣りますが、ティツィアーノも当時勢力を誇った画家でした。他の3人がフィレンツェ周辺の出身なのに対して、ティツィアーノはイタリアの北東の端っこのヴェネツィアの画家。当時のヴェネツィアは海洋国家として相当に力を持っていました。

力を持つ=経済力がある=美術品をたくさん作る。ヴェネツィアには今も多くの芸術品が残っています。

ティツィアーノは色彩の豊かさで名高い画家でした。赤が印象的な絵が多いです。この人も弟子が多く、工房も大きい。商業的に成功をおさめていました。宗教画も描きましたが肖像画も多く、ギリシャ神話をテーマにした作品も大変多い画家です。当時ギリシャ神話は裸体表現――あるいは女性の裸を描くためには格好のテーマでした。

なお、ティツィアーノはローマや、おそらくスペインなどにも長期で出張?しています。全ヨーロッパに名前が知られたという意味ではもしかしたらラファエロよりも上だったかもしれません。ハプスブルグ家のフェリペ2世の下で十数年も肖像画家を務めたそうです。

ティツィアーノ「灰色の目の男」

Tizian 076.jpg
By <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/en:Titian" class="extiw" title="w:en:Titian">Titian</a> - The Yorck Project (<span style="white-space:nowrap">2002</span>) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Commons:10,000_paintings_from_Directmedia" title="Commons:10,000 paintings from Directmedia">DIRECTMEDIA</a> Publishing GmbH. <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/International_Standard_Book_Number" class="extiw" title="en:International Standard Book Number">ISBN</a>: <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/Special:BookSources/3936122202" title="Special:BookSources/3936122202">3936122202</a>., Public Domain, Link

わたしがティツィアーノで好きなのは、どうしてもこの絵。

どんな人間なのかが瞳を通して見えるような絵だと思います。決して優しくはないだろう。愛想がいいタイプだとも思えない。必要とあれば嘘もつく、しかし本質的には誠実な人間だと――そんな風に思えます。体に対してちょっと肩幅が広すぎるかな?というところはありますけれども。

タイトルは「灰色の目の男」以外に「若いイギリス人の肖像」とも呼ばれます。わたしは「灰色の目の男」の方が好き。

ティツィアーノは群像図より単体の肖像画がいい気がします。群像図は多分大きな作品も多く、弟子たちも総出で手伝っていると思う。人物画でも弟子が手伝っているだろうけど、大事な顔の部分はティツィアーノが描いていて、服や背景を弟子が塗ったということはありそうです。服までしっかり描く場合には価格が高い、というような。当時は画家は芸術家ではなく、注文制作の職人ですから。

全然タッチや雰囲気が違うのですが、

ティツィアーノ「ピエタ」

Accademia - Pieta by Titian.jpg
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

これも好きな作品です。晩年に、自分の墓所のために描いたと言われています。どこがいいとはいえないけれども、現地で見て感じるところがあった作品。長命だったティツィアーノの晩年ならば、もう視力はだいぶ衰えていたのかもしれないな……と思った絵です。

 

盛期ルネサンス。

西洋美術史上、これでもか!という大輪の花が開いたのが盛期ルネサンスです。まあそれはわたしがルネサンス好きなせいでそう見えるのかもしれないけど。でもダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロはひときわ高くそびえる三巨人という気がする。ラファエロは巨人というにはあまりにも優美ですが。

そして、ここまで理想を追求してきた西洋美術は、この3人の到達の後、迷走を始めます。……迷走といってはマズイか。が、完成された美を示されてしまった、この後の画家たちは違う道を探さなければなりませんでした。

今まで追求されてきた、よりリアルに、より細かく、高みへ。ここを達成してしまった美術は、ある意味ではシンプルだった目標がなくなり、どこを目指すのかそれぞれの画家が模索しなければなりません。以後の美術は目的の地を探す旅になりました。

 

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